第36回:桐生市がもたらした心の肌荒れとヒビ、あかぎれ、癒すのは……(小林美穂子)

生活保護制度が機能不全になった町

 群馬県桐生市の「桐生市生活保護違法事件」の調査団(団長:井上英夫金沢大学名誉教授・日本高齢期運動サポートセンター代表理事)として、4月4日、5日と2日間にわたり「桐生市の生活保護行政をよくする市民集会・シンポジウム」などに参加してきた。
 桐生市の生活保護対応のひどさは筆舌に尽くしがたい。徹頭徹尾、すべてのプロセスにおいて不適切・違法行為が散りばめられているためにポイントが絞れないだけでなく、一つひとつのレベルが極悪で単純に言葉を失ってしまう。想定できるレベルの斜め上……というか遥か上、大気圏に突入し宇宙の彼方イスカンダル(古っ!!)なレベルで、もうSF。実際、最初のうちは誰しもが「まさかそんな」と本気にしなかったくらいなのだから。
 その「まさか」を、可視化させたのが、長年、群馬県内で生活困窮者を支援してこられ、市民集会を目前にして急逝した司法書士の仲道宗弘さんだった。

●生活困窮者支援に尽力 志半ばで死去の仲道宗弘さん 遅咲きの司法書士 桐生・生活保護問題でも奔走

福祉事務所がまるで反社

 桐生市の福祉事務所は、市民の命と生活を守るはずの生活保護制度を運用する身でありながら、なぜ生活に困って助けを求めて来た人たちに鞭打つような真似を続けてきたのか、利用者の心を破壊し尽くすようなハラスメントを執拗に繰り返せたのか。生活保護法や憲法を無視してゆがめ、なんの法的根拠もなく嫌がらせの限りを尽くした。まるで、いびり倒して利用者が保護を諦め、辞退するのを願っていたかのように。
 2011年から10年余りで保護件数を半分にまで減らした桐生市の、極悪な対応の裏付けともなる利用者の証言の数々はとても痛ましい。ただただ、驚き、心が痛み、激しい怒りが湧く。
 先日行われた市民集会で報告を聞いた方々が、「まるで反社」「反社の方がまだ筋が通ってる」と感想を漏らしていた。市の公務員って、福祉って一体なんだろうな。
その市民集会について、多くの方々が記事に上げてくださっている。マガジン9では調査団の呼びかけ人の一人でもある雨宮処凛さんが既にレポート(第674回:独自の謎ルールが進化している桐生市を突撃! 〜桐生市生活保護違法事件全国調査団」として群馬に行ってきた〜の巻)されているので、是非読んでいただきたい。その酷さに誰もが言葉を失う筈だ。

多忙の中にあっても日常が平和

 私は普段は、月曜日はつくろい東京ファンドのミーティングに出たり、高齢者のお宅を訪問して、ゴミを集め、シンクにたまった食器を洗い、汚れたシーツや枕カバーを変えたり……と、介護ヘルパーまがいのことをやり、そして水曜日にはカフェ潮の路の仕入れと仕込みをし、翌日木曜日はカフェ営業もしている(現在はお弁当販売とコーヒースタンド、古書販売のみ)。
 それ以外の日を取材や原稿執筆、生活相談対応に充てている。お仕事依頼はとてもありがたいことなのだが、原稿や講演依頼が増えると時間に余裕がなくなり、原稿執筆や資料作成はどうしても土日を充てるしかなくなり、休息がなくなる。倍速のベルトコンベアの上を走るように、締め切り仕事がどんどん迫って来る。焦る。焦ってアクセクしてばかりいる。
 アクセクが何カ月も続くと、仕込みとカフェ営業で丸2日間が潰れるのがいたくなる。
 脇目もふらずに仕入れをし、40人~50人分の料理を一心不乱に作り、そしてその間にも相談電話は容赦なく掛かってくるし、加えて介護が必要になった実家関連の電話までが上乗せされて、作業は何度も中断させられる。目まぐるしすぎて記憶が断片的になったりする。疲れが溜まると心中愚痴濃度が高まる。
 しかしである。
 翌日、エンドレス借り物競争でもするようにキリキリ舞いで弁当を詰め、開店ギリギリに準備が終わり、衛生帽をゴミ箱に叩きつけるように脱ぎ捨てて、そのゴム跡が額にくっきり残るのを気にしながらカフェを開店すると、それまでとは一転、マイナスイオンでも浴びてるような気持ちになる。洗剤のCMで真っ白なタオルやシーツに囲まれた俳優のような気持ちだ。または芳香剤のCM。トイレから立ち上る黄土色の悪臭が、一瞬でCGのお花畑に代わり、口を開けて笑う好感度高めの芸人のような。長らくテレビを見ていないからイメージですが。
 実際に私が浴びているのは、ゾロゾロとご来店する常連のおじさんや高齢者たちなのだが、驚くなかれ、彼らこそがマイナスイオンを発して私をリフレッシュしてくれている人々なのである。

「いやぁ、78歳になっちゃったよ!」

 週に一度彼らの顔を見て「お元気ですか?」と一言二言交わすことが、リポDやモンスターを飲んだくらいの元気アップ効果を私にもたらす。
 自著『家なき人のとなりで見る社会』で私に夜の青空を教えてくれた人が、硬貨を握りしめてやってきて弁当を買い、「いやぁ、オレ、78歳になっちゃったよ」と顔を歪めて報告する。
 「信じられねーよ。もうすぐ80だよ。小林さんと会った頃はまだ60代だったのに」
 そうだった、そうだった。出会った頃の彼(60代後半)は、体が消耗しており、駅の階段も、シェルターの階段も、数段ごとに休み休み上ったのだった。この9年間くらいの間にも、何度も健康の危機を迎えた。そんな人が78歳になったのは本当にめでたいことだ。
 そして、無事に78歳を迎えたこと以上に注目すべきは、誕生日だったことを人に伝えるという行為で、それって自分を大切にするようになったことであり、私との関係性が深まっている証のようでもあり、しみじみと感慨深い。
 カフェが閉店し、片づけやら雑用を済ませて夜。美味しそうなケーキをいただいたので、お誕生日のお祝いにとその人のドアを叩くと、「あーいっ!!」と大きな声がしてドアが開いた。「これ、誕生日プレゼント!」と言い終わらないうちに、その人は両手でケーキを受け取ると「あ、はいはい、ありがとね、おやすみなさい!」バタンとドアが閉まった。安っぽい「ちょっといい話」的展開を許さないドライさにスカッとして惚れ直す。

ハプニング満載だけど……

 カフェの開店時間は12時~15時と短い。その間に沢山のご来店があり、平均40個のお弁当が売り切れる。懐に余裕のある人が、余裕のない人のためにお弁当代を先払いするシステム「お福わけ券」を購入してくださる方も後を絶たない。
 あるお客様はトイレを溢れさせて、その日のお客様トイレが使用不可能になったり、またある人は酩酊状態で来てスタッフにウザ絡みして私にめちゃくちゃ怒られたり、客同士でトラブルがあったりと、ハプニングの無い日はない。
 それでも関係性は続いていく。みんないろいろだけど、それぞれ何とか頑張って生きており、ケンカしたり、笑ったり、まぁ、いろいろあるけれど、同じ地域でともに生きているのだ。
 大好きなおじさんの一人は、持病があって頻繁に入院するのだが、あまり荷物を持っていくと長引きそうだからと、最小限の荷物と私の本を持って入院したと聞いた。電話すると、「二回目を読んでる」のだそうで、ありがたいやら照れくさいやら。

生活保護制度が支える生活、命

 福祉が機能不全を起こした地域で、圧倒的権力を持つ強者が弱者を叩きのめす自治体を目の当たりにし、心がヒビ割れを起こして痛む時、そのヒビを埋めるのは、福祉が機能する自治体で、人々が制度に支えられてその人らしく生きる姿を見ることだ。その人たちと共に在ることを実感する時だ。
 そして、全国の福祉職の方々や支援者、政治家たちが、桐生市のような自治体を是正し、制度を正常に機能させようと、それぞれの持ち場で尽力するのを見るときだ。
 いま、桐生市で苦しめられる利用者、過去に深い傷を負った元利用者、そのご家族、そして、利用することすら阻まれている人たちに、生活保護制度があなたの「権利」であり、桐生市福祉課の一職員による恩恵でなどないことを、声を大にして言いたい。
 間違っているのは市の方だ。利用者ではない。
 桐生市民が要件を満たせば必ず制度にアクセスできるよう、そして利用者が一日も早く、市による支配と監理からも解放されるよう、県も国もしっかり指導して欲しい。これまでずっと放置してきたのだから。

 福祉制度が機能している町で、多様な人たちと他愛ないことで笑い合いながら、群馬の空の下、暮らす人々を思う。そして、時間が欲しい……。

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小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。