第327回:一枚の写真(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

脂汗が滲んだ…

 9月27日(金)、ぼくは依頼されていた書評原稿を書きながら、時々自民党総裁選の中継を見ていた。途中で、胸が苦しくなった。じわりと汗がにじんだ。こういうのを脂汗というのだろう。
 なんと、高市早苗氏が第1回投票でトップに立ったというではないか。原稿など書けなくなった。決戦投票の開票まで数十分間、胸苦しさに顔が火照った。なんで、ぼくがこれほど焦ったのだろう。
 むろん、高市氏だ。彼女がこのまま当選して、国会で首班指名を受けるところを想像したからだ。国会議事堂が黒く塗りつぶされて、やがてガラガラと崩れていく。そんな光景が脳の中をかき回していたのだ。
 改憲する、軍備がますます増強される、弱肉強食のアベノミクスを追認する、米軍基地や自衛隊基地の強化、徴兵制度も視野に、弱者への税負担増、高額所得者と大企業は減税、学校で思想教育が始まる、学問思想の自由の抑圧、靖国神社の国教化、マスメディア(とくにテレビ)の完全に御用放送化、警察力強化でデモは禁止(ただしヘイト・デモは野放し)、LGBTQは弾圧、社会保障費の削減、国民皆保険制度の崩壊、生活保護は“さもしい”から廃止する……。
 んなわけないだろう……という人は、事態を甘く考えている。
 なにも適当に挙げているわけではない。これまでの高市氏の言動に沿えば、こんなことになる。むろん、大きな反対運動が起きるだろうが、60年安保闘争の際の岸信介首相が企んだような自衛隊の出動だって考えるかもしれない。

高市ショックから覚めて

 石破茂氏が、大逆転して総裁に選ばれた。ぼくは、心底ほっとした。
 だが……と“高市ショック”から少しばかり立ち直り、冷静になって考えた。石破氏ならいいのか? あまりに高市氏トップのインパクトが強かったために、つい安堵の溜息が出てしまっただけだった。
 最悪事態の回避、ということではあるけれど、石破氏だって最悪ではないが、かなり危ない政治家だとぼくは思っている。
 彼は根っからの「改憲論者」であり、自衛隊の国軍化を主張してきた。その上で、かつては「徴兵制も考え、脱走兵は死刑もあり得る」というような発言までしていたではないか。ソフト路線に切り替えて、高市氏の極右強硬路線に対抗して見せただけで、結局は同じ根っこではないかと、ぼくは思うのだ。

「平成の琉球処分」

 1枚の写真がある。2013年11月の写真だ。
 沖縄では、普天間飛行場の辺野古移設(というより、辺野古の米軍新基地建設)をめぐって大きく揺れていた。沖縄世論はほぼ辺野古移設に反対で固まり、沖縄自民党でさえとても賛成とは口にできない状況にあった。
 そこに登場したのが石破茂幹事長(当時)だった。彼は、当時の沖縄選出自民党議員たち5人を呼びつけ、ほとんど脅しつけるような形で「辺野古容認」を、5人の議員に飲ませてしまったのだ。その際、うつむいて金と権力にひれ伏せざるを得なかった5人の沖縄選出自民党議員たちの苦渋の表情が写ったのがこの写真だ。

「沖縄タイムス」より

 これは「平成の琉球処分」とか「第2の琉球処分」などと呼ばれて、沖縄では大きな憤激を巻き起こしたのだった。
 この時の事情について、石破氏は次のように述べている。朝日新聞の古い記事だが引用しよう(2021年5月4日配信)。

「悪役引き受けた」
辺野古の会見、石破氏の回顧

(略)自民党幹事長時代の13年に、沖縄県連の国会議員と記者会見を開きました。(辺野古反対だった県連の方針を転換させ、従わせるような形式だった会見は)今から思えば、沖縄のためにも自民党のためにもならなかったのかなと思うんだけど、私としては、辺野古移設容認は自民党の沖縄の国会議員が悪いんじゃない、ということを見せたくて、幹事長として悪役を引き受けました。あれから沖縄ではあまり歓迎されていないし、今はコロナ禍でいくのははばかられるが、事情が許せばまた行きたいと思います。

 つまり、沖縄の自民党議員たちを悪者にしないために、自分が敢えて悪役を引き受けてみせたのだというわけだ。なかなかの詭弁術。本意ではないけれど、悪役を演じてみせたというわけだ。しかしほんとうにそうだろうか。どうもうさん臭い。
 幹事長という党ナンバー2の権力をふるって、部下たちの意見を頭ごなしに替えさせてしまっただけではないか。

アメとムチ

 同じ沖縄で、同じ幹事長として名護市長選に介入した際の強引なやり方も、ぼくの記憶にある。
 2014年には、名護市長選があった。石破幹事長は急遽、名護市に入り金をちらつかせて、自民系候補の末松文信氏に投票するよう名護市民に迫ったのだ。石破氏は「夢を形にするために500億円の名護振興基金を作ります!」とぶち上げたのである。
 だが、この時の選挙では「辺野古移設反対」を掲げる革新系の稲嶺進氏が末松氏を破って当選した。すると、石破氏は「名護振興基金」など、あっという間に忘れてしまったのか、一切触れなくなった。しかもこの基金、詳細に見ていくと、すでにある様々な予算をかき集めただけで、新たな「振興基金」とはとてもいえない代物だった。
 もし自民推薦候補が当選すれば、こんなに美味しいのだ。だが、落選するなら一切の政府中央からの援助などないものと思えという、いわゆる「アメとムチ」の典型的な自民党政治だった。
 そんな石破茂氏が、ついに自民党総裁に上りつめた。
 石破氏は、前出の記事のような“悪役”を降り、“善玉”に変身したのだろうか。今回の総裁選で、沖縄では党員票数がトップだったという。ぼくは「えっ?」と首を傾げた。沖縄の人たちは、あの「平成の琉球処分」の屈辱を忘れたのだろうか?
 これには訳があった。
 石破氏は「日米地位協定の見直し」に言及していた。米軍基地が集中する沖縄では「日米地位協定が日本国憲法より上にある」と言われるほど、アメリカに対する配慮が憲法の規定よりも先立つ。
 米兵が犯罪(とくに性犯罪)を起こしても、基地に逃げ込むことによって日本側の捜査権が及ばないことが多い。その協定を見直すと、石破氏は言うのだ。それが沖縄での自民党員の投票にも影響したのではないかと言われている。だがほんとうに、そんな不平等な米兵犯罪の取り扱いを改善せよ、というのが石破氏の主張なのか?
 どうもそうではないらしい。石破氏はむしろ軍事面での日米地位協定の強化を言っているのだ。グアム島の米軍基地に自衛隊を常駐させることなど、日米の軍事一体化の主張が彼の「日米地位協定の見直し論」の主眼らしい。米兵犯罪の取り扱いの見直しなどは、どうも石破氏の頭の中に入っているとは思えない。
 ここでもまた、沖縄の人たちの淡い期待は裏切られることになる。

早くも約束破り

 石破氏はすでに約束を破っている。
 「与野党間での討論を経て、私の政策を国民に分かって貰った上で解散総選挙をする」というのが、彼の“公約”だったはずだ。だが、首相就任もしていない9月30日に「10月9日に国会解散、27日投開票」というスケジュールを決めてしまった。石破氏は「解散は首相の専権事項」という考えにさえ疑問を呈してきた人だった。それが、首相就任(10月1日)するや否や、これまでのさまざまな自分の意見をかなぐり捨ててしまった。こんなデタラメな首相も珍しい。
 いや、自民党首相の伝統を踏襲しただけ、というのが正しいということか。

 あの1枚の写真がすべてを物語っている。高市氏よりは石破氏。そう安堵したことは、ぼくの一時の気の迷いだった。
 包装紙を新しくしたところで、腐った中身は隠せない。その包装紙すら、実は古紙の二度づかいに過ぎなかった。
 自民党政治は、何も変わっていない。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。