第335回:仲良きことは美しき哉(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

秋空の下の楽しいお祭り

 日曜日(24日)、東京都府中市の公園で、とても楽しい催し(というより「お祭り」です)が開催された。毎年この時期に行われ、ぼくも楽しみにしているイベントである。「朝鮮文化とふれあうつどい」という。からりと晴れた秋空、風は少し吹いていたけれど、とても気分のいい休日。ぼくらは夫婦で出かけた。
 会場はかなり広い公園。ステージでは、西東京朝鮮第1第2幼初中級学校の生徒たちの朝鮮舞踊、子どもたちのテコンドーの演武、そして素敵な音楽コンサート。コンサートは、李紗栄(リ・サヨン)さん、POE(朴保)さんなどのライブ。とくにリ・サヨンさんの「アリラン」は素敵だったなあ。
 むろん「朝鮮の食」の出店もたくさん。ぼくら夫婦には、これが楽しみのひとつ。今回は、サムゲタン、豚肉とキムチの煮込み、それにチヂミという豪華3点セットで、いやあ、満足満腹! でありました。
 そして広い会場は、たくさんのフリーマーケットの出店。様々な品物の店が並び、見て回るだけでも楽しい。子どもたちが駆け回り、その歓声も響いていて、なんとも素敵な午後のひととき。
 この「お祭り」の特徴のひとつは多民族参加だ。むろん朝鮮韓国の人たちが多いなのは言うまでもないが、例えばヒジャブを身につけたムスリムの親子連れ、白人やアジア系とおぼしき人たち、他にも国籍は分からないけれど明らかに外国人とおぼしき人たち。ぼくらのような日本人もたくさん。まあ、どの人が日本人かなんて、とても見分けることはできないけれどね。知り合いにも何人か会いました。
 つまり、簡単にいえばさまざまな国の人たちが一緒に楽しんでいる秋の午後、というわけだ。こういうの、いいなあ……とチヂミを食べながら実感する。
 ぼくらは「白菜キムチ」を700円分買って帰りました……。

なぜ仲良くすることを拒むのだろう?

 仲良くするって、良いことだし楽しいことです。だって、気持ちがいいじゃないですか。でもね、どうしても仲良くすることを拒む人たちも、残念ながらこの国には存在する。それに関して、ある判決が出た。東京新聞(11月22日付)の記事。

クルド人排斥デモ禁止
さいたま地裁、初の仮処分

 埼玉県でクルド人へのヘイトスピーチ(憎悪表現)を投げかけるデモが相次いでいる問題でさいたま地裁は21日、企画者のうち神奈川県の男性に対し、川口市の在日クルド人団体「日本クルド文化協会」の事務所近くで行わないよう命じる仮処分を決めた。裁判所が在日コリアンを標的としたデモを禁じた例はあるが対クルド人では初めて。(略)
 市川多美子裁判長は、ヘイトスピーチに当たるなどとする申し立て内容を全面的に認め、協会の事務所から半径600メートル以内でのデモを禁止。「クルド人は日本から出ていけ」などと侮辱し、協会の業務を妨害することを差し止めた。(略)

 これはある意味、画期的な決定だ。むろん、罰則はなく実効性には課題もあるけれど、ともかく、司法が日本クルド文化協会への直接的な攻撃デモを禁止したのだ。
 ここで注意すべきは、このデモを企画実行しようとした男性は、問題となっていた埼玉県川口市には何ら関係のない人物(神奈川県在住)であること。クルド人から日常的に迷惑を被っているわけではない。要するに、ただ「クルド人差別」だけが目的のヘイターだということだ。
 ぼくは不思議でしょうがない。
 なぜ自分の地元でもなく、具体的な迷惑行為を受けているわけでもない遠い場所まで出かけて、死ね、出ていけ、ゴキブリ……などと、特定の属性の人たちへの憎悪を煽るのだろうか? 自分がひどい迷惑を受けているのなら分かるけれど(それでもヘイトスピーチ等は許されない)、自分には縁もゆかりもない土地の、見知らぬ外国人に向けて、なぜ凄まじい罵声を浴びせるのだろうか?
 この禁止の仮処分決定でヘイトデモがおさまるかと思われたが、残念ながら、執拗なヘイターたちはモグラ叩きのモグラのように這い出てくる。
 これも東京新聞(25日)の記事。

禁止決定後 クルド排斥デモ
「仮処分で抑制は限定的」「条例制定を」

 さいたま地裁が、神奈川県の男性に対してクルド人に対するヘイトスピーチ(憎悪表現)を伴うデモを禁止した仮処分を決定してから初めての日曜日となった24日、別の保守系グループによるデモが、仮処分の範囲内にあたる埼玉県蕨市のJR蕨駅周辺で行われた。また仮処分を受けた神奈川県の男性らは、デモの禁止エリアの外側のJR川口駅前で街宣活動を行った。(略)
 24日は仮処分に抗議する保守系グループが「クルド人のせいで治安が悪くなっている」などとマイクを使って駅前で演説した。日本クルド文化協会の事務所へ向かおうとしたが「ノー・ヘイト」とシュプレヒコールを上げて反対する市民らに囲まれ、引き揚げた。(略)

 裁判所の仮処分決定にもかかわらず、川口市や蕨市に押しかけ、汚語をまき散らし憎悪表現で罵る。いったいなぜここまでやるのだろう?
 「クルド人が住み着いてから治安が悪化した」と彼らは主張するが、実はそれは市当局や警察によって否定されている。むろん、多少のいざこざはあるだろうが、それは別にクルド人だからというわけではない。日本人がこのところ引き起こしている「闇バイト」のほうが、よほど凶悪ではないか。
 ともあれ、ここではヘイトデモを阻止しようとする市民たちが立ち上がり、ごく少数のヘイターたちはすごすごと退散せざるを得なかった。

ターゲットを替えるヘイターたち

 ヘイトの対象は、ヘイターたちにとっては誰でもいいみたいだ。自らの胸の中に溜まった鬱憤を、憎悪という形で吐き出すことができれば、相手は誰であろうが構わないということなのか。
 当初は、在日韓国朝鮮人に対して「在日特権で日本人よりも優遇されている」などという根も葉もないデマをこねる集団が出現したことが始まりだったようだ。これに関して数々の事件が引き起こされた結果、神奈川県川崎市などでは「ヘイトスピーチ条例」を制定し、刑事罰まで課すことができるようにした。これが一定の歯止めになった。

 ヘイターたちは次にはターゲットを沖縄に向けた。
 辺野古米軍基地建設に反対する人々に対するヘイトは、屈折した表現を伴って今も続いている。
 西村ひろゆき氏なる人物が、辺野古現地の「座り込み〇〇日」と書かれた看板に対し、自分が訪れた際には誰もいなかったからあの看板は偽りだ、などといちゃもん(としか思えない)をつけたり、最近ではあの著名漫画家・弘兼憲史氏が『社外取締役 島耕作』の中で、座り込みにはバイト金が出ているという、すでにデマであることが確定している内容を登場人物に語らせたり……。(注・MXテレビ「ニュース女子」という番組が同様のデマを流し、裁判でデマであることが認定されている)
 デマを、こうした形でまるで事実のように世間に伝播させてしまう人がいて、それがある種の人たちの悪意・憎悪に火をつける。

憎悪はくたびれる…

 人間は、決して一面だけの存在ではない。いい面だけの人間は存在しないし、また悪意だけの人間も(多分)いないだろう。ぼくだって、時には「あのクソ野郎、さっさと死ねばいいのに!」などと、心で呟くこともある。
 けれど、悪意や憎悪をずっと心に抱いているのは、ものすごく疲れる、くたびれるのだ。そんな自分に嫌気がさして「いや、オレも悪かったんだ。あいつだけのせいじゃない」と、憎悪を霧散させようとする心理が働く。そうでなければ、日々を暮らせない。あのヘイターたちは、毎日をどんな心理で過ごしているのだろうか?
 ぼくは、なぜあんなに憎悪の感情を持続させることができる人がいるのか、それが不思議でたまらない。人を呪わば穴二つ、という。いつか自分に戻ってくる憎悪に、いつになったら気づくのだろうか。

 かつて、武者小路実篤の色紙が流行ったことがある。かぼちゃの絵などに、独特の文字でこんなことが書かれていた。
 「仲良きことは美しき哉」
 若かった頃のぼくは、この色紙を見るたびに「なんだか甘っちょろいなあ…」とバカにしていたものだが、この年齢になるとしみじみ「仲良きことは美しき哉」と思う。
 ひるがえって、憎悪は美しくないのである。
 「朝鮮文化とふれあうつどい」のように、どんな人たちともつながろう、誰とでも仲良くなりたい……。
 ぼくも、そう思って暮らしていきたい。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。