平良いずみさんに聞いた:「この海は誰のもの」 浦添西海岸への那覇軍港移設・埋め立て計画

昨年、沖縄県の那覇軍港移設に伴う、浦添西海岸(浦添市)の埋め立て工事に向けたボーリング調査が始まりました。「県内移設」に伴う海の埋め立てという構図は名護市辺野古と同じでも、浦添西海岸の問題は県内でもあまり知られていないと言います。十分な市民の議論なく計画が進められることに疑問を感じた有志が立ち上がり、クラウドファンディングで短編動画を制作。その監督を務めた平良いずみさんにお話を伺いました。(写真提供:平良いずみさん)

サンゴ礁豊かな海の埋め立て計画を知ってほしい

――平良さんが監督を務めた短編ドキュメンタリー『この海は誰のもの~沖縄うらそえ西海岸物語』が昨年11月に完成し、YouTubeで無料公開されています。この動画は、どういう経緯で制作されたものなのでしょうか。

平良 沖縄県浦添市の沿岸への那覇軍港の移設と、それに伴う埋め立て開発計画が進んでいるのですが、県内でも、とくに若い人たちにこの計画がほとんど知られていません。この埋め立て計画をもっと知ってもらいたいと、市民有志による「美ら海を未来に残したいうちなーんちゅの会」がサンゴ礁豊かな浦添西海岸の魅力や埋め立て問題のこと、そして地元の思いを伝える動画をつくりたいとクラウドファンディングを行いました。そこに私も声をかけていただき、監督として動画制作に参加しました。
 私自身は沖縄のテレビ局に勤めていたときから、この計画について長く取材しているのですが、浦添西海岸の海を利用している若い人たちに聞いても、埋め立てについて8~9割の人が知らないのが現状。とにかく若い人にこの問題を知ってほしいという思いがあり、地元の集落に入って取材をしてきました。

サンゴ礁豊かな浦添西海岸

――「美ら海を未来に残したいうちなーんちゅの会」には、どういった方が参加されているのですか。

平良 サーフィンや釣りが好きで、沖縄の海とともに生まれ育ったお二人が中心になって手弁当で動き出した会で、そこに賛同する人が集まってきています。そのお二人も2年ほど前にこの計画を知って、「いやいや、おかしいでしょう」と。議論もなく海の埋め立てが進められることに対して、すごく抵抗感を覚えてこの会を立ち上げたそうです。
 会では「浦添西海岸の埋め立て中止」を求める署名活動もしているのですが、そこには5万筆以上が集まりました。この問題について知れば「いまの時代に埋め立てが必要なのだろうか」と疑問に思う人がやっぱりいるのだということです。

名護市辺野古の移設問題と同じ構造

――クラウドファンディングにも300人以上の支援者が集まったそうですね。浦添西海岸の埋め立て計画について、もう少し詳しく教えていただけますか。

平良 この計画の起点は、いまから50年以上前にさかのぼります。沖縄が本土に復帰して2年後の1974年、那覇空港の隣にある那覇軍港を移設しましょうということで日米両政府が合意しました。その条件として沖縄県内への移設がありました。つまり、全国の皆さんにも注目していただいている名護市辺野古への普天間基地の移設問題とほとんど構図は同じです。
 ですが、この問題がなぜここまで知られていないかという理由に、経済界の期待がものすごく大きいことがあります。那覇軍港は経済的に見て一等地にあるので、返還された跡地利用の青写真がすでに描かれていて、経済界や那覇市、浦添市によるプロジェクトも立ち上がっています。家族がそこに関連する企業に勤めていたり、地域でのいろいろな関係性があったりするなかで、地元の人たちは非常に反対の声を上げづらい状況なのです。そこが、この浦添西海岸の問題の大きな特徴でもあります。

――沖縄県内でもあまり知られていない問題ということですが、メディアではどのように伝えられてきたのでしょうか。

平良 政策が動くときには、もちろん県内メディアも移設問題を報道してきました。当初は、地元の人々や浦添市も海の埋め立てを伴う計画に反対していたんです。2001年に当選した儀間光男浦添市長(当時)が計画を容認しましたが、その後、2013年に現在の松本哲治市長が移設の見直しを表明して当選。そのときには、計画が頓挫するかと思われました。
 しかし、その後に松本市長は容認に転じてしまいます。沖縄県や那覇市が容認するなかで反対しても浦添市だけが置いてきぼりになり、国策が頭越しに進んでしまう懸念があるというのが理由でした。こうした選挙や政策の動きがあるときには、メディアも報道しています。ただ、辺野古の座り込みのように市民の表立ったアクションがないので、今回のようにボーリング調査が始まってもなかなか報道しづらい、というのがメディア側の本音だと思います。

那覇港湾施設の代替施設のイメージ図

埋め立て移設は本当に必要なのか?

――那覇軍港は遊休化しているので移設せずに撤去すべき、という意見もあると聞きました。

平良 そういう意見もあります。ただ、いま米軍が那覇軍港をどれだけ使用しているかという情報は公表されていません。なので、遊休化していることを具体的な数字で示すことは難しいのですが、那覇軍港が最も使われていたのは、1970年代のベトナム戦争のころ。当時は物資や兵士の移送に頻繁に利用されていました。その後、沖縄県が発表している数字によれば、1987年には年間96隻の寄港が確認されましたが、2022年には年間35隻にまで減っています。それ以降は情報が公表されていなくて利用状況がわかりません。

――移設計画では、米軍の軍港が48ヘクタール、民間の港が109ヘクタールと、東京ドーム30個分にあたる施設ができる予定です。一方、浦添西海岸は3キロにわたる自然の海岸線が残る貴重な場所で、「カーミージー」と地元で呼ばれる海域には、サンゴ礁に囲まれて希少な海の生物も生息していると言われているそうですね。

平良 浦添西海岸はキャンプ・キンザー(米軍牧港補給地区)に囲まれた場所にある海で、2018年に西海岸道路が開通するまでは、一般の人が立ち入れない場所でした。地元で大切にされてきた「カーミージー」の海だけは、浜におりる小さな道があって特別に出入りできるようになっていたんです。矛盾するようですが、米軍施設があることで手つかずのまま守られてきた海でもあります。
 動画に出てくる海洋学者の鹿谷夫妻も、20年前に訪れて「こんなきれいな海がまだ残っているんだ」と驚いたそうです。2018年に道路ができたことで市民の目にも触れるようになり、いまでは夏になると海水浴やシュノーケリングなどを楽しむ人たちがたくさん訪れています。「カーミージー」は保全地区に指定されていますが、埋め立てが進めば生態系が影響を受けるのは必至です。

――今後の予定はどうなっているのでしょうか。

平良 昨年からボーリング調査が始まってしまいましたが、防衛省によると現時点の計画では、2027年からこの海の埋め立てを開始して、工事完了まで16年もかかる見通しです。およそ20年もの工事のあと、この海と生きていくのは誰かというと若い世代の人たち。その若い人たちの頭越しに、計画が決められてしまっている。いま埋め立て計画を進めている政治家たちは、20年後には責任をとれる立場にはいません。那覇軍港の返還後の跡地を有効利用することには大いに賛成ですが、私自身は「返還」と「県内移設」を切り分けて、この問題を考えるべきではないかと思っています。

「尊厳が踏みにじられていること」の痛み

――『この海は誰のもの』では、50年以上前から地域の海とともに暮らしてきた“銘苅(めかる)おじぃ”や、子どもたちとサンゴ礁を守る活動を続ける地元出身の若者のエピソードなどが紹介されています。銘苅さんの「日常生活で使える海は市民も利用する権利がある」という言葉がとても印象的でした。

平良 この動画では「賛成/反対」は抜きにして、地元の人たちが海とどう生きてきたのか、なぜそれを守ろうとしているのか、その思いを伝えています。というのも、先ほども話したように地元の人たちは国策による分断を経験してきて、大事にしている地域の輪を壊すような声を上げにくいからです。
 辺野古移設の問題でも、私たちは分断されたり、いろいろなことに心を引き裂かれたりしながら、埋め立ての是非を問う2019年の県民投票でも重い一票を託して意思表示をしてきました。その結果、7割の県民が反対を明確に示しましたが、結局国はそれを踏みにじって工事を強行しています。辺野古の問題の何がこんなに痛いんだろうと思ったときに、これは「自分たちの尊厳が踏みにじられていること」に対しての痛みなんだなと気づきました。
 浦添西海岸の工事が始まれば、これから20年もの間、若い人たちは海が軍事施設のために埋め立てられていくのを目にし続けることになる。それによって、また尊厳が傷つけられていくような気持ちがします。

海を大切に守ってきた銘苅全郎さん

戦前、この海は地域にとって生活の場だった

――動画を公開されたあとの反応はいかがでしたか。

平良 動画を見た若い人たちから「いままで知らなかった」という声をいただいています。ありがたいことに、地元の小学校でも上映会をしてくれました。地元の人たちの目線で描かれている動画なので、非常に受け止めやすかったという感想もありました。
 また、ある大学生の「地元の人たちの目が本当にキラキラしていた。その目を見たときに、このまま声を上げずにいることがとても申し訳ないような気持ちになったから、やれることをやりたい」という言葉がとても印象的に残っています。

沖縄だけでも、日本だけの問題でもない

――タイトルの『海は誰のもの』の「誰」のなかには地元の住民や若い人たちも含まれているのだと思いますが、多くの自然環境が失われてしまったこの時代に、そもそも人間だけの都合で生態系を破壊するような埋め立てを進めていいのかと問われているようにも思いました。

平良 タイトルを仲間と議論しているときに、いろいろな話をしました。選挙の度に埋め立て計画容認だとか反対だとかが取り上げられて、常に地元の人たちだけが問題を背負わされてきたのですが、そのことに対する違和感が強くあります。
 あの海は浦添市民だけのものかと言ったら、そうではありません。日本国民全体の税金を使って埋め立てられることを考えたら、沖縄県だけの問題でもありません。日本国民全員の問題でもあるし、さらに言えば、あの海で生息している生き物全体の問題でもあるし、地球に生きる全員にとって貴重な海でもあります。タイトルには、そこに気づいてほしいという思いも込めています。

――動画を見た人が、何かできるアクションはありますか。

平良 今すぐこのアクションを、と答えられるものがないのですが、まずは多くの人に知ってほしいと思っています。もし今後、この問題を市民投票や県民投票に持っていくチャンスがあったときには、大きなムーブメントを起こしたいし、それを支えてほしい。そのためにも、まずは世論が動くことが大切です。

「無数の命を救う」ことが活動の羅針盤

――平良さんは、沖縄テレビに勤めていたときから、幅広いテーマでドキュメンタリー番組を制作していらっしゃいました。一番の関心、テーマの根底にあるものは何でしょうか。

平良 沖縄のメディアに25年間身を置き、ドキュメンタリー番組を20本ほど作ってきました。テーマは本当に多様でしたが、ずっと市井の人を取り上げてきました。
 正直、ドキュメンタリーに出てもらう方たちにはご負担をかけることもあります。それでも、なぜ作るのかというときに、私のなかで一つの羅針盤になっているのは「無数の命を救う」こと。これは私のドキュメンタリーの師の言葉でもあります。浦添西海岸に関しても、海に生きる小さな生き物もそうですし、あの地域で生きる人たちの思いや暮らしを救っていけたら、という思いがあります。

――沖縄でのPFAS汚染の問題にも取り組んでいらっしゃいますね。

平良 沖縄の米軍基地が由来とされるPFASによる水汚染について取材を続けていて、この夏に映画が公開予定です。沖縄県民45万人が飲んでいる水道水に有害とされるPFASが入っていたことが9年前に発覚したのですが、日米地位協定が壁になって米軍基地内に調査にすら入れません。こんなことが許されていいのかと、沖縄のお母さんたちが行動し続けています。
 自分の子どもだけではなく、沖縄に生きる全ての子どもたちを救いたいという純真な思いが、国の対策を後押ししてきました。いま全国でPFASの問題が取り上げられるようになりましたが、その起点には沖縄の市民運動がある。そのことを知っていただけたら嬉しいなと思っています。

(取材・構成/中村)

たいら・いずみ ディレクター。沖縄県出身。1999年、沖縄テレビにアナウンサーとして入社。以後、基地問題、医療、福祉などのテーマでドキュメンタリーを制作。共通するのは主人公が社会のために闘う人! 主な作品に『どこへ行く、島の救急ヘリ』、『障害者魂!』、『まちかんてぃ~明美ばあちゃん涙と笑いの学園奮闘記』、『菜の花の沖縄日記』、『水どぅ宝』など。日本民間放送連盟賞、「地方の時代」映像祭、ギャラクシー賞など受賞歴多数。「2019年度 放送ウーマン賞」受賞。映画『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』で初監督を務める。2024年夏からはGODOM沖縄のディレクターとして活動。2025年夏公開に向け、PFAS汚染を追ったドキュメンタリー映画を制作中。

短編ドキュメンタリー『この海は誰のもの~沖縄うらそえ西海岸物語』

●映画『「透明な闇」PFAS 汚染と闘うウナイ』(仮題)制作応援のお願いはこちら
https://godom.okinawa/archives/77

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!