第750回:自民圧勝の衝撃と高市人気〜この国で生きてると、「明るさの兆し」や停滞した空気の変化に飢えるのはそりゃわかるけど〜の巻(雨宮処凛)

撮影・井上治

 史上最短の衆院選が、終わった。

 結果は事前に報じられていた予想を上回り、自民が316議席と圧勝。

 中道は49と議席を大きく減らし、参政党は15議席、チームみらいは11議席を獲得。れいわは9議席から1議席という衝撃の結果となった。

 ここから先の社会を想像すると、目の前がどうしても暗くなる。

 スパイ防止法が制定され、憲法は改正され、防衛費は増やされ福祉予算は削られ、高額療養費制度は負担増になり、ナショナリズムが煽られるだけ煽られ、「国に貢献できない人間」への風当たりはより一層厳しくなり、さらなる自己責任社会が訪れる――。

 それが控えめに見た未来予想図だ。だって生活保護を「さもしい」と口にした総理大臣と「生活保護は恥」という財務大臣がタッグを組んだ政権が白紙委任を受けたようなものなのだから。

 円安と物価高でただでさえ苦しい庶民の生活は、さらに厳しくなるだろう。なぜなら、政治家生命が長い高市氏だが、私は彼女から一度も「庶民生活への関心」を感じたことがないからだ。

 その発言を振り返っても、軍事的な部門や「停波」発言に見られる国家による統治・支配には積極的だが、日々スーパーで値段を気にしながら生活する人々に対しての悪気のない無関心さを感じる。私が高市氏にキャッチコピーをつけるとしたら、「社会保障より安全保障」だ。

 例えば貧困の問題を訴えたとしても、自力で日本一の男社会でのし上がってきた非・二世議員であり女性という、自民党では圧倒的マイノリティの高市氏は「貧乏が嫌ならなぜ努力しない?」「私は自力でここまでやってきた」という感想しか抱かないのではないか。

 それが企業人とかだったら別にいいのだが(あまり声高には言ってほしくないしそういう人にオピニオンリーダー的な存在にはなってほしくないが)、政治家、ましてや総理大臣である人には、「努力しようにもその前提が揃っておらずスタートラインにも立てない人」「努力しても非正規などの人が報われない社会構造」に対する想像力が不可欠だ。そもそも政治は、もっとも弱い立場の人にこそ必要なものではないのか。強者の論理は「今、困っている人」に対しては暴力以外の何者でもない。

 一方で、高市政権を評価した人は何をもって良しとしたのか、今世紀最大くらいの謎である。

 高市総理がしたこととして私の頭にまず浮かぶのは、台湾有事発言による中国との関係悪化だ。その結果、中国人観光客は激減して日本経済は大きな打撃を受け、日本人アーティストの中国公演が軒並み中止になるなど貴重な文化交流の機会も喪失、日中友好の象徴だったパンダも帰国。たった一言で国益を損ねまくっているわけだが、そこのところはどう思っているのだろう?

 だけど、高市総理を支持する人の気持ちも、なんとなくだけどわかるのだ。

 じわじわと貧しくなる「失われた30年」をこの国で過ごした一人として、私の中に、この停滞した「空気」を変えてほしいという悲願は強くある。長く続く閉塞を打破してくれるようなものを、喉から手が出るほど求める気持ちは確実にある。

 そんなどんよりとした中で現れたのが、テンション高く、いつも笑っている「明るい」女性総理。しかも日本初だ。例えば菅さんや石破さんの表情や声色、発するオーラは「明るさ」では決してなかった。そこに突如として現れた圧倒的な「陽」のキャラ。いや、もともとあんなキャラじゃなかったはずだが、「キャラ変」が、本人の意図を超えて「人々の願望」と化学変化を起こすように奇跡的に成功した。明らかに、この国の空気は――表面的な空気だけは――変わった。それが高支持率となっているのだろう。具体的な政策とか成果とかより、これくらいのことでいいのだ。それくらい、切羽詰まっているのだ。明るさの兆しに飢えているのだ。

 そんな選挙終盤、高市総理の演説を生で見る機会があった。駅前には大勢の人が詰めかけて高市総理の話を聞いていたが、人の多さのわりには「熱狂」がまったくなかったのが意外だった。あれほどテレビで「サナ活」と言われたり、SNSでは若者を中心に「早苗ちゃんかわいい」と大人気と言われているというのに、聴衆にほぼ熱がなく、拍手もあまり起こらない。

 それでも、世論調査をすれば高い支持率を叩き出し、選挙にもめっぽう強い、空気としての高市政権。だけど苦労するのはここからだろう。「空気を変えるかも」くらいの支持率は、変わらなかった途端に手の平を返す。人々にそっぽを向かれた高市総理がどんな態度を取るのか、私はかなり、警戒している。その時、「本性」が出るのではないのかと。

 さて、そんな選挙中、私がちょうど1年前に書いた「なぜリベラルは『負ける』のかについて考えてみた」というimidasの原稿が多く読まれ、また津田大介さんがXで紹介してくれたことから、この連載で3年前に書いた「なぜ維新なのかについてのロスジェネ的考察」も多く読まれることとなった。

 なぜリベラルが負け、嫌われるのか。この選挙でも多くの人が考えざるを得なかったテーマだろう。

 私はこのことについては書き尽くした感があるが、『マスコミ市民』2026年2月号で興味深い記述を発見した。上智大学教授の中野晃一さんと武蔵野大学名誉教授の永田浩三さんの対談からだ。その中で、中野さんはトランプ政権が誕生するタイミングでハーバード大学に1年間行き、極めてリベラルな地域で暮らした結果、「なぜ知的水準の高いリベラルな人たちが嫌われるかというかことがわかる部分がありしまた」と語っている。

 以下、引用だ。

 それは、我々が保守的に見えているからということがすごく大きいと思ったのです。
 我々は、立憲主義や護憲を訴えて、ルールをきちんと守ったまともな政治をしようとか、社会が壊れないようにしようと言っています。でも、すでに壊れた社会の中で生きている人たちからすると、『お前らはいいよな』としか思えないのです。自分がまったく享受したことがない、あるいは感覚としてわからない安定とか平和とか繁栄といったことを、それを体験し、その中で生きている人から言われても、それは自分に対するメッセージではないと受け止めてしまうのです。
 それはとても残念なことですが、リベラルがネオリベ化を許容してしまったことや、場合によってはそれに加担してしまったことによって、極めて不信感をもって見られているということを深刻な現実として受け止めなくてはいけません。ネオリベ化してしまった社会における勝ち組・負け組ということで考える時、リベラルは勝ち組で、その中でも偽善的な連中だと思われているのです。だから、負け組になってしまった人からは、こいつらの言うことだけは聞くまいと思われるのです。
 それは彼らのせいというよりは、こちら側に慢心があったのではないかと思うところもあるのです。彼らが排外主義やヘイトに向かうのは正しいことではありませんが、リベラル批判にはそれなりの根拠があって、リベラルが受け皿にならない理由もあるということは理解しなければいけないと思います」

 日本よりもすごい勢いでリベラルと保守の分断が進むアメリカの、しかもトランプが「リベラルすぎる」と助成金をカットするほど目の敵にしてきたハーバード大に1年いた中野さんの指摘は、重い。

 さて、それではここからどうすればいいのか。

 ほとほと途方に暮れつつも、「知的水準の高いリベラル」ではない私のような高卒・元フリーターのリベラル(自認)だからこそできることがある気がしている。

 落ち込んでる暇などない。ここから起きることを先読みし、動いていくだけだ。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年、北海道生まれ。作家。反貧困ネットワーク世話人。フリーターなどを経て2000年、自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版/ちくま文庫)でデビュー。06年からは貧困問題に取り組み、『生きさせろ! 難民化する若者たち』(07年、太田出版/ちくま文庫)は日本ジャーナリスト会議のJCJ賞を受賞。著書に『学校では教えてくれない生活保護』『難民・移民のわたしたち これからの「共生」ガイド』(河出書房新社)など50冊以上。24年に出版した『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)がベストセラーに。