高市政権が2月の衆議院選挙後、制定に向けた動きを加速させている「スパイ防止法」。思想・信条の自由が侵害されるおそれがあるなどとして、警鐘を鳴らす声もあります。どのような危険性があるのか、今後具体的な法案が出てきたときに注意すべき点は何か。秘密保護法対策弁護団の事務局長も務めた弁護士の海渡双葉さんにお話しいただきました。
政府も認めた「日本はスパイ天国ではない」
── 高市政権が制定を目指す「スパイ防止法」に対して、反対の声が高まっています。政府は今夏にも有識者会議を設置するとしていますが、現時点(2026年3月)ではまだ具体的な法案は出てきていないのですね。
海渡 はい。参政党や国民民主党がそれぞれ法案を出してはいますが、政府案としてはまだ出されていなくて、「スパイ防止法」という名前だけが一人歩きしているところがあります。とはいえ、法案が出てきてから検証するのでは遅い面もあるので……どんな法案になるのかを推測するときに参考になりそうなのが、自民党と維新の会が昨年10月に発表した「連立政権合意書」です。
「インテリジェンス政策」という項目の中に、以下のような記載があります。
インテリジェンス・スパイ防止関連法制(基本法、外国代理人登録法およびロビー活動公開法など)について25年に検討を開始し、速やかに法案を策定し成立させる。
これがいわゆる「スパイ防止法」だと思われます。加えて、同じ「インテリジェンス政策」の中で〈「国家情報局」および「国家情報局長」の創設〉〈対外情報庁の創設〉〈情報要員養成機関の創設〉などの施策も挙げられているので、今後これらを並行して進めていこうとしているのだろうと思います。
── 「スパイを防止する」というと当然のことのようにも聞こえますが、何が問題なのでしょう?
海渡 まず考えなくてはならないのは、その法律で「防止」しようとする「スパイ行為」とはいったいどのような行為なのか、ということです。一般的に「スパイ行為」とされるのは国家機密の不当な取得や漏洩だと思いますが、それを罰する法律はすでに別にあるんですね。
── 2013年に成立した「特定秘密保護法」ですね。
海渡 これも、保護の対象となる「特定秘密」の範囲が非常に曖昧だったりと非常に問題が多い法律で、最終的には多くの反対の声を押し切っての強行採決で成立しました。ただ、それでも一応、「特定秘密の取得や漏洩」を罰するんだということは明確に定められています。
ところが、政府はそれとは別の法体系として「スパイ防止法」が必要だと言っている。つまり、秘密保護法では罰せられない、「特定秘密の取得や漏洩」とは別の行為を罰するんだ、ということになります。でも、それって何なんだろう? というのが素朴な疑問です。
── たしかに、高市首相はじめスパイ防止法の制定を主張する政治家の発言でも、「スパイ行為」とは具体的に何なのか、明確には示されてこなかったように思います。一方で「日本はスパイ天国だ」などという言説もよく耳にしますが……。
海渡 1980年代に自民党が「スパイ防止法」を制定しようと法案を出したときも同じようなことが言われていたようですが、その根拠ははっきりしないままでした。結局、反対の声に押されて法案は廃案になるのですが……。
そして今回も、「スパイ天国だ」と主張している人がいるのは確かですが、そのわりには秘密保護法の制定から10年以上経っているのに、「特定秘密の取得や漏洩」で起訴された人は一人もいないんですよ。
── 一人もですか?
海渡 はい。22年に海上自衛隊の一等海佐が、退職していた元自衛艦隊司令官・海将に対して安全保障情勢のブリーフィングをした際に特定秘密を洩らした容疑で懲戒免職になっていますが、書類送検はされたものの翌年に不起訴処分となっています。
2024年7月には自衛隊における大量処分があり、その中には「特定秘密の不適切な取り扱い」が問題となった件がありましたが、その内容は「艦艇38隻で、船舶の動向に関する情報などを適性評価(※)を経ていない隊員が見ることができる状態にしていた」などでした。2025年にも、適性評価の有効期限が切れるなどした自衛隊員を特定秘密を扱える職員に指名したことなどが問題になりましたが、これらはすべて自衛隊内部のシステムの問題というべきもの。結局は立件もされませんでした。
そもそも秘密保護法は、先ほども言ったように「特定秘密」の範囲が非常に曖昧だったり、秘密の取得に至らなくてもそのための共謀をしたと認められた時点で罪になったりと、処罰の範囲が非常に広い法律です。それでも起訴にまで至ったケースはゼロなんですね。
実は、2025年8月にれいわ新選組の山本太郎参議院議員(当時)が、維新の会の松沢成文議員らが「日本はスパイ天国」「スパイ活動に対して抑止力がまったくない」などと発言したことを受けて、「政府もそう考えているのか」と問う質問主意書を出しているんです。
※適性評価……秘密保護法には、特定秘密を取り扱う人は犯罪・懲戒経歴、精神疾患、財産状況などを調査する「適性評価」を受けなくてはならないとの定めがある
── 政府の回答はどうだったのでしょう?
海渡 「スパイ天国であるとは考えていない」という答弁書が出ました。つまり、「スパイ活動が野放しだから」という、スパイ防止法の立法事実(※)であるはずの事実が存在しないことを、政府自身が認めているんです。当時はまだ石破政権でしたが、首相が替わったからといって突如認識が変わるとしたら、それもおかしな話ですよね。
※立法事実……その法律の必要性や合理性を裏付ける、法律を制定する際の前提となる事実のこと
「反戦」を叫んだら「スパイ行為」になる!?
── では、これから出てくるであろう法案では、どのような行為が「スパイ行為」とされる可能性があるのでしょうか。
海渡 たとえば、参政党のスパイ防止法案では、「諜報等」として下記のような定義がされています。
①公になっていない情報のうちその漏えいが我が国の安全保障に支障を与えるおそれがあるものを取得するための活動その他の不当な活動であって、 我が国及び国民の安全を著しく害し、又は害するおそれのあるもの
②虚偽の情報の発信その他の不当な方法により我が国における公職の選挙、国民投票その他の投票又は国若しくは地方公共団体の政策決定に 不当な影響を及ぼす活動であって、直接又は間接に、我が国及び国民の安全を害し、又は害するおそれのあるもの
①は「情報の取得・漏洩」ですが、「支障を与えるおそれ」「害するおそれ」とあって、該当する範囲が秘密保護法よりもさらに広くなりそうです。
── 実際には支障も障害もなかったとしても「おそれはあった」と言えてしまいますね。
海渡 さらに怖いのが②です。「虚偽の情報」「不当な方法」「不当な影響」そして「害するおそれ」。これを誰が判断するのか、ということですよね。政府だとすると、政府にとって都合の悪い情報はすべて「虚偽だ」「発信方法が不当だ」などと決めつけることもできてしまう。戦時中の大本営発表と同じようなことになりかねません。
たとえばこの先、「憲法改正」の国民投票があったとして、「改正」に反対する人が「改正案のここがおかしい」という情報を発信したら、「虚偽の情報を流して国民投票に不当な影響を及ぼした」といって罪に問われる、なんていうことも考えられます。
あるいは、第一次世界大戦中のアメリカでは、徴兵制度に反対する内容のチラシを配った人がスパイ防止法違反で有罪判決を受けた例がありました。そのように、戦争に向かっていく流れの中で、徴兵制反対だけではなく「反戦」を唱えること自体を、敵国を利して「国民の安全を害する」おそれがあるとして取り締まることも可能になってしまうかもしれません。
── 現政権は「憲法改正」にも前のめりですし、その危険性はありそうです。
海渡 もちろん、政府案がこの参政党案とまったく同じ内容で出てくるわけではないでしょう。ただ、秘密保護法では取り締まれない、「秘密の取得・漏洩」以外の「スパイ行為」を具体的に定義するというのはかなり難しい── というか、ほぼ無理なんじゃないかと思います。それをやろうとしたら、参政党案と同じように非常に曖昧な書き方になる可能性が高いはずです。
ちなみに、私も最近知ったのですが、外務省がホームページで「中国の反スパイ法」に対する注意喚起をしているんです。
── 中国における「スパイ防止法」ですか。
海渡 そうですね。そこでは「中国に行ったときには、こういう行為が反スパイ法によって罪に問われる可能性があります」と長々と説明されているのですが、一番最後にこう書かれています。〈具体的にどのような組織や人物が「スパイ組織及びその代理人」に該当し、どのような行為がスパイ行為とみなされるか明らかでなく、列挙されているもの以外にも様々な行動が幅広くスパイ行為とみなされたり、当局によって不透明かつ予見不可能な形で解釈される可能性があります〉。
でも、今のままでいくと日本の「スパイ防止法」も同じように、「どのような行為がスパイ行為とみなされるか明らかでない」ものになる可能性が非常に高い。自分たちが注意喚起している、それと同じことをやりたいんですか? と言いたくなります。
── 思ってもみないことが「スパイ行為」とされてしまうかもしれないのですね。
海渡 連立政権合意書でやはり「25年に検討を開始する」とされている「外国代理人登録法」もそうです。これは、国内で外国政府の「代理人」としてロビー活動などを行う個人や団体に登録を義務づけ、登録せずに活動した場合は処罰するという制度。たしかに、欧米などで同様の法律を定めている国はいくつかあるのですが、国によってかなり建て付けが違い、「代理人」が非常に幅広く解釈されてしまう危険性があるんですね。
たとえばアメリカでは2024年に、ある国際問題の専門家が「韓国のインテリジェンス機関の代理人を務めているにもかかわらず登録をしていなかった」として起訴されています。「代理人を務めている」と見なされた理由として「韓国のインテリジェンス機関の関係者に話を聞いて得た情報を雑誌に掲載した」ことなどが挙げられています。でも、それって国際問題の専門家なら当たり前のことじゃないですか?
── そうすると、ジャーナリストが海外で政府関係者から取材するのにも代理人登録が必要になる……?
海渡 その可能性が出てきます。そうなると、ジャーナリズムにとって非常に重要なはずの「取材源の秘匿」も難しくなってきますよね。
場合によっては、もうインテリジェンス機関とかはほぼ関係なく、外国の政府と協力して活動している組織はみんな対象になる可能性がある。そうなると、特にこれだけ排外的な言説が広がっている中では、代理人登録をすることで「こいつは外国の手先だ」とレッテルを貼られるかもしれないし、国際協力NGOなどの活動も非常に萎縮してしまうんじゃないかと懸念しています。
この「外国代理人登録法」については、連立政権合意書の中にはっきりと法律名が書かれていますし、早期に法案として出てくる可能性は非常に高い。どういう内容、建て付けの法案が出てくるのか、しっかりと注視する必要があると考えています。
歯止めがなくなってからでは、止められない
── 「スパイ防止」というと「自分とは関係ない話」のように思いがちですが、お話を伺っていると、むしろ私たちの日常の言動が非常に萎縮させられる可能性があるということでしょうか。
海渡 そう思います。ここまでの経緯を見ていると、「スパイ防止法」という言葉から多くの人が想起する内容とはだいぶ違うんじゃないか、と思わざるを得ません。むしろ「スパイ行為」をでっち上げることで、政府の方針に異を唱える人を「非国民」のような存在にするための法律を作ろうとしているんじゃないかと感じます。かつての治安維持法と同じですよね。
── ただ、先ほど「秘密保護法で起訴された人はいない」というお話がありました。「成立のときにあんなに『危険だ』と言われていたのに誰も起訴されていないのなら、スパイ防止法も同じで、実際にはそんなに危ないことにはならないのでは?」と考える人もいそうです。
海渡 私は逆に、秘密保護法の成立時にあれだけ反対運動があったからこそ、これまで何も起こらなかったのだと考えています。「危険だ」とさんざん指摘されただけに、検察も軽々しく「秘密保護法違反」では立件できない状況があるとも聞きます。むしろ、時間が経って「危険だ」という声が下火になってきたときこそ危ないのではないでしょうか。
戦前の「軍機保護法」などがまさにそうでした。「軍事機密を保護する」ことを目的に、機密の取得や漏洩を罰する法律で、1937年に改正されて「機密」の範囲が拡大されたのですが、そのときは慎重派の国会議員もいて、「軍事上の秘密なることを知りてこれを侵害する者のみに適用すべし」として運用は制限的に行う旨の附帯決議がつけられていた。それが時間が経つうちにどんどん摘発対象が拡大され、1945年の敗戦で廃止されるまでの間、家族や友人と雑談していただけなのに「会話の内容に軍事機密が含まれていた」として起訴、有罪にされる事例が頻発したといいます。
秘密保護法も成立から10年以上経って、これからそうなっていく可能性はないとは言い切れません。今の政権はやらなくても、もしかしたら次の政権がもっと積極的な運用をするかもしれない。そして、そんなふうに歯止めがなくなってからでは、とても止められないんです。
── スパイ防止法についても、成立してすぐは特に問題が起こらなかったとしても、この先ずっと問題がないとは言い切れないですね。そして、いったん成立した法律をひっくり返すことはかなり難しい……。
海渡 だから、常に最悪のケースを想定しておくことはとても大事です。そして「罪刑法定主義」というように、どんな行為が犯罪とされるのか、明確に法律で定めておかなくてはなりません。政府の胸先三寸でいかようにも解釈できてしまう、恣意的な運用ができてしまうような法律はそもそも作らせない。少なくとも国会できちんと議論して、問題のある部分を修正してからでないと成立させてはいけない。
これから出てくるであろうスパイ防止法案についても、そうした観点で見ていかなくてはならないと思っています。
(取材・構成/仲藤里美)
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かいど・ふたば 弁護士。2011年に早稲田大学大学院法務研究科修了、2012年に司法試験合格、翌年に弁護士登録。現在、横浜合同法律事務所所属。秘密保護法対策弁護団の事務局長、神奈川県弁護士会の人権擁護委員会副委員長、日弁連の秘密保護法・共謀罪法対策本部委員も務める。






