第4回:言わねばならないことを言わない、という罪「関東大震災時の朝鮮人虐殺」をめぐって…(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 突然、解散風が吹き始めた。安倍首相が、いわゆる側近の言葉に乗せられて「いま選挙をすれば勝てそうだ」というただそれだけの理由で、衆院解散総選挙に打って出ようということらしい。
 国会が始まれば、また「モリカケ疑惑」で野党の追及を受けるのは必至。しかも新資料や証拠がボロボロ出てきているから、苦しい答弁を続けざるを得ない。そうなれば、少しだけ上向いた安倍支持率も、また急降下しかねない。ここは逃げるしかない。
 幸い、民進党はガタガタ、離党者が相次ぐという惨状だし、前原新代表は共産党との共闘には難色を示し「野党協力」はなかなか進まないという状況。選挙をやるにはいまが絶好機と見た…。
 追及逃れ、つまりお友だちに便宜を図ったという疑惑を逃れるための、まさに「アベの私利私欲解散」「モリカケ隠し解散」でしかない。
 だが、いったん噴き出した解散風はもう誰にも止められない。風が吹き出せば、政治家たちの頭の中は選挙一色。国民のことなんか、これっぽっちも考えちゃいない。

「危機」と「政治空白」の矛盾

 安倍政権は北朝鮮のミサイルの脅威をさんざん煽った。15日早朝には、まるで空襲警報のような不気味なJアラートが東日本全域に響きわたった(東京はなぜか例外だったが)。
 それほどの危機ならば、衆院解散で「政治空白」を作っている暇などないはず。つまり「現在は、危機なんかじゃない」ってことを、安倍自らが解散風を吹かせることで証明しちまった。
 「我が国に対する重大な脅威」という安倍首相の言葉は、単なる煽動でしかなかったのだ。もし、「いまが危機だ」と強弁するのなら、なぜこの時期に解散なのか?「危機にもかかわらず解散する理由とは何か」を、国民の分かるように説明するのが筋ではないか。
 何度も指摘したけれど、「安倍話法」は口先だけ、あまりに軽すぎる。いくら矛盾したって屁とも思わない。だが、それとこれとは安倍首相の頭の中では別らしい。どうにも不思議な頭脳構造をしている。

送られなかった追悼文

 「政治とは言葉である」と、ぼくは何度も述べてきた。
 しかし、言ってはならない言葉がある一方で、発しなければならない言葉もある。語らなければならない言葉を止めてしまうという行為は、逆の意味を内包していると受け取られても仕方ない。
 その典型例が、小池百合子東京都知事がこれまで恒例になっていた「関東大震災における朝鮮人虐殺への追悼文」を、9月1日の慰霊祭に送付しなかった件だ。つまり、小池知事は「追悼文」を送らなかったことにより「朝鮮人虐殺などなかった」と主張する一群の歴史改竄主義者たちにエールを送ったと同じ結果を招いてしまったのだ。
 小池知事は9月1日の記者会見で、朝鮮人虐殺の有無についての認識を問われ「いろいろな歴史書の中で述べられていて、さまざまな見方があると捉えている。歴史家がひもとくもの」と逃げた。
 では、これまでの東京都知事たちが慰霊祭に「追悼文」を送ってきた行為は誤った認識に基づいたものだった、というのだろうか。
 政府の中央防災会議が2009年までにまとめた報告書でさえ「虐殺という表現が妥当する例は多かった。対象は朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人(日本人)も被害にあった」と明確に記し「犠牲者数は震災の全死者数の1~数%と推定され千~数千人にあたる」としている。
 つまり、政府の公式見解でさえ、千~数千人が「虐殺」されたと述べているのだが、それを小池氏は無視した。このことが、まさに「朝鮮人虐殺はなかった」と広言するネット右翼たちにお墨付きを与えることになってしまった。同時に、小池百合子氏という人物の思想信条も明らかになった。彼女は明らかにネット右翼的な人たちと親和性がある。
 間違ったことを言うのは政治家として反省しなければならないが、言わなければならないことを言わない、ということもまた「罪」になる場合がある。それは政治家として肝に銘じておくべきことだ。
 むろん、小池都知事に対しては批判が巻き起こった。以下は、多くの人たちが署名した「抗議文」である。ぼくも末席ながら、名を連ねさせてもらった。
 以下に、全文を掲載する。

小池都知事の朝鮮人虐殺犠牲者追悼メッセージ取りやめに抗議します

 私たちは、9月1日に行われた朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典に対しての追悼メッセージ送付を取りやめた小池百合子都知事の決定に、抗議します。多民族都市・東京の多様性を豊かさとして育んでいく上で、関東大震災時の朝鮮人虐殺という「負の原点」を忘れず、民族差別によって非業の死を遂げた人々を悼むことは重要な意義をもっていると考えます。
 
 1923年9月1日に発生した関東大震災では、都市火災の拡大によって10万5000人の人々が亡くなりました。その直後、「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を入れた」といった流言が広まり、関東一円で朝鮮人や、朝鮮人に間違えられた多くの人々が虐殺されました。

 このとき、内務省や警察が流言を拡散してしまったことが事態を悪化させ、一部では軍人や警官自らが虐殺に手を染めたことは、内閣府中央防災会議がまとめた「1923関東大震災報告第2編」でも指摘されています。

 東京に住む人々が隣人である朝鮮人たちの生命を奪い、それに行政が加担したのです。歴代の都知事が、横網町公園の朝鮮人犠牲者追悼碑の前で行われる虐殺犠牲者追悼式典に追悼のメッセージを送ってきたのは、「二度と繰り返さない」という東京都の決意を示すものでした。またそれは、1973年の追悼碑建立の際に当時の都知事はもとより東京都議会の各会派が賛同した経緯をふまえたものでもあったはずです。碑の建立と毎年の追悼式に参加してきた人々の思いは決して軽くはありません。

 ところが小池都知事は今年、メッセージ送付を取りやめました。私たちは、この誤った判断が、むしろ「逆のメッセージ」として機能することを恐れます。史実を隠ぺいし歪曲しようとする動きに、東京都がお墨付きを与えてしまうのではないか。それは追悼碑そのものの撤去まで進むのではないか。差別による暴力を容認することで、災害時の民族差別的流言の拡散に再びつながってしまうのではないか――。メッセージ取りやめが、そうした方向へのGOサインになってしまうことを、私たちは恐れています。

 東京は、すべての国の人々に開かれた都市です。さまざまなルーツをもった人々が出会い、交わる街です。その出会いが、この街に次々と新しい魅力を生み出してきました。多様性は面倒や厄介ではなく豊かさだと、私たちは考えます。街を歩くたびに聴こえてくる様々な国の言葉は、東京の「恐ろしさ」を示すものではなく、豊かさの証拠であることを、私たちは知っています。

 東京の多様性をさらに豊かさへと育てていくためには、民族をはじめとする差別が特定のマイノリティー集団に向けられる現実を克服していく必要があります。民族差別が暴力として爆発した94年前の朝鮮人虐殺を記憶し、追悼し、教訓を学ぶことは、そのための努力の重要な一部であると、私たちは考えます。それは、多民族都市・東京のいわば「負の原点」なのです。

 私たちは小池都知事に訴えます。来年9月には虐殺犠牲者への追悼メッセージをあらためて発出してください。虐殺の史実を教育や展示から排除するような方向に、これ以上進まないでください。

 そして、いま東京に生きている、あるいは東京に縁をもつ人々にも訴えます。94年前に不当に生命を奪われた隣人たちを悼み、それを繰り返さないという思いを手放さないでください。虐殺の史実を隠ぺいし捻じ曲げる動きを許さず、未来の世代に教訓として伝えていくべきだと、行政に、都議や区議に、声を届けてください。そのことが、多様性が豊かさとして発揮される東京をつくっていく上で重要な意義を持つと、私たちは考えます。

 2017年9月15日
 声明とりまとめ 加藤直樹
 声明についての連絡先 seimei1923@gmail.com
 Facebook 小池都知事の朝鮮人虐殺犠牲者追悼メッセージ取りやめに抗議します

 なお、この声明文には、
いとうせいこう、小沢信男、加藤直樹、香山リカ、斎藤美奈子、坂手洋二、島田虎之助、島田雅彦、鈴木耕、田中正敏、永井愛、中川五郎、中川敬、中沢けい、中島京子、平井玄、平野啓一郎、平松洋子、星野智幸、森まゆみ、山本唯人、吉野寿
 の各氏が賛同人として署名しています。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。