鈴木邦男さんが「会いたい人に会いにいく」対談シリーズ。今回のゲストは、2000年の大晦日に起きた世田谷一家殺人事件によって、実の妹家族4人を失ったご遺族の入江杏さんです。入江さんはその後、犯罪被害からの回復、自助とグリーフケア(※)に取り組む活動を行っています。世間からの「被害者遺族はこうあるべき」という視線、そして社会での「悲しみ」の共有へと話が広がります。
※死別のみならず、さまざまな「喪失」を体験し、グリーフ(大きな悲しみ)を抱えた方々に、心を寄せて、寄り添い、ありのままに受け入れて、その方々が立ち直り、自立し、成長し、そして希望を持つことができるように支援すること。
「被害者遺族はこうあるべき」
鈴木 初めまして。今回は入江さんから「お話ししたい」と仰っていただき、「愛国問答」に来てもらったわけですが、またどういう理由でしょう?
入江 鈴木さんの本は、内田樹さんとの対談なども含めていろいろ読んでいるんです。私は悲しみの体験をして被害者遺族の立場になったことで、段々と社会的な関心をもつようになりました。鈴木さんは「右」から「左」になったとか言われていますけど、きっと鈴木さんご自身は変わっていらっしゃらないんだろうなと思います。私自身も、何も変わっていないのに「被害者遺族」ということで周りからいろいろなイメージをあてはめられた体験があって、そういう部分でも鈴木さんとお話ししてみたいと思っていました。
鈴木 それはありがとうございます。普通、リベラルな一般の方というのは、僕のような右翼には会いたがらないんですけどね(笑)。だからうれしかったです。入江さんは「世田谷一家殺人事件」のご遺族として知られているわけですけども、2000年12月に隣地に住んでいた妹さん一家4人が殺害されて、いまも犯人さえ特定されていない未解決事件のままなんですよね。
入江さんが書かれた、『悲しみを生きる力に――被害者遺族からあなたへ』(岩波ジュニア新書)、『この悲しみの意味を知ることができるなら――世田谷事件・喪失と再生の物語』(春秋社)を読みましたが、とても感動的でした。そこまでどうしたら強くなれるのかな、と。それから、世間からの「被害者遺族はこうあるべき」という視線があって、それに合わない人を誹謗中傷する人がいるという話もありましたが、いまの日本の風潮を考えるとすごくよくわかりますね。
入江 ありがとうございます。でも、私は全然強くないんですよ。これらの本は、被害者遺族の手記というジャンルに分類されてしまうのかもしれませんが、もっといろいろな読み方をしてほしいと思って書きました。実際に、「グリーフケア」という悲しみを支える活動をしている大学などの学びの場、NPOを含めた各地の団体があるのですが、そうしたところで教材のような形で使われることもあります。あるいは全く悲嘆経験のない、たまたま手に取った若い方々からも「直接響く心への語りかけ」という捉え方として、さまざまに読んでいただいています。
鈴木 そうですか。被害者遺族の集まりのことは、僕はよく知らなかったんです。当事者の方たちで集まることが多いのだと思いますが、この本のように一般の人に向けて何かを伝えるということは、これまで少なかったのではないでしょうか。
入江 あまりなかったかもしれないですね。世田谷の事件が起きた当時は、まだ被害者遺族の権利については取り沙汰されていませんでした。被害者やその遺族のことが社会的に注目されるようになったのは、2000年以降だったと思うんです。被害者の遺族報道のあり方も変わってきていて、事件報道だけでなく、遺族に焦点をあてた報道も増えています。
そういうなかで、被害者遺族だけの問題に囲ってしまうのではなく、「悲しみ」をキーワードにいろいろな人をつないでいけないかと思うようになったんです。「あの人たちの悲しみは自分には関係ない」と距離をつくらないためにも、あるいはかかわり方がわからない人のためにも、どうすればいいかと考えてきました。人生のなかで悲しみを体験していない人はいません。誰もがもつ当事者性に気づいてほしいという気持ちで書いた本です。
加害と被害の狭間で
鈴木 入江さんのプロフィールにありましたが、上智大学のグリーフケア研究所というところにいるんですか?
入江 はい。研究所では当事者の気持ちを少しでもご理解いただけるように、対人援助の基本についてお話ししています。行政のグリーフサポート検討委員というお役目もいただいていて、グリーフサポートの普及にも努めています。『悲しみを生きる力に』という本と同じタイトルで講演をしたのですが、私の講演を聞いたことがグリーフケアやグリーフサポートの問題に関心をもつきっかけになったと仰ってくださる方もいて、全国にたんぽぽの種がまかれるように広まりつつあります。
また、「人権の翼」という、加害者の人生のやり直しや再犯防止を考える活動もしています。私自身は、世田谷の事件は未解決ということもあり、「曖昧な喪失」の中に身を置いているので、加害者に寄り添うとか、和解するとかは、とても言えないのが正直な心情です。ただ、更生教育に向き合っている方々には共感するところも強くて、私はそのサポート役という感じでしょうか。でも、同じ被害者遺族の中でも、「加害者に寄り添う」ということが受け容れられないという人もいます。
鈴木 被害者遺族の方、またそれを支えるグループの中でも、いろいろ議論や反発が起こるでしょうね。
入江 議論になれば、ある意味良いのかもしれませんが、議論にならずに疎外していくということもあります。それは残念ですよね。
鈴木 入江さんはどう考えているのですか?
入江 そうですね……。先ほど申し上げたように、私は未解決事件の被害者遺族で「曖昧な喪失」の中にいます。もし実際にいま加害者が目の前に現れたら、自分がどうなってしまうのか全然分かりません。でも、加害者に寄り添うという考えの方がいてもいいんじゃないか、というのが私の立ち位置です。絶対に許さないというお気持ちをもつ必罰・応罰的なご遺族とも縁がありますし、加害者との対話も視野に入れる修復的傾向のご遺族とも親しくしています。すべての方を「被害者遺族」とひと括りにするのはどうなんでしょうか? 応報、修復という二項対立ではなく、柔軟に豊かな論議を……という立場です。
怒りは消えないが、憎しみの連鎖にしたくない
鈴木 僕は被害者遺族でいうと、原田正治さんに何度も会ったことがあります。入江さんにもぜひ会ってほしいですね。1983年の事件ですが、原田さんの弟さんは保険金目当てに殺害されています。刑務所にいる加害者から、原田さんのところに何度も何度も手紙が来たんだそうです。絶対に読むものか、会うものかと思っていたのに、あるときちょっと読んでしまった。そして事件から10年経ってついに会いに行くんです。
原田さんは最初「極刑を望む」と言っていて、実際に死刑の判決がでたんですが、途中から死刑制度に反対するようになります。許したわけじゃないのだけど、死刑制度に対して疑問をもっていく。そうすると、今まで原田さんを支えていた人たちが「何だ」と思っちゃう。みんな同じ方向を向いて「犯人は許さない、死刑にしてくれ」と言ってるときは団結していたのに、それが変わっちゃうと「自分だけいい格好して」と言われてしまうんですよね。
入江 原田さんのお話は聞いています。原田さんと同じように修復的なお立場の中谷加代子さん(※)という方とご一緒させていただいて学び、活動をともにしています。死刑というものに対して廃止か存続か、という二項対立からは豊かな論議は生まれません。大変重い苦しみの前に、ましてや非当事者は沈黙せざるを得ません。当事者の方々にとっては人生が覆る大きな体験なので、人それぞれに異なる思いがあるのは仕方ありません。世間の「被害者遺族はきっとこうだろう」というイメージには、私も葛藤を感じてきました。
もちろん怒りはあります。それは必ずしも消えたわけじゃありません。でも、怒り=憎しみの連鎖というふうになってはいけないし、怒りが憎しみに向かわないようにするというのは、当事者のためでもあると感じています。
※2006年に起きた「山口女子高専生殺害事件」で長女を失った被害者遺族
鈴木 テレビ番組なんかでは、「お前らは被害者遺族の気持ちがわかるのか」と怒鳴ってる人がいますよね。原田さんも、仲間と死刑反対の署名運動をやっていたら、通りがかりの人が「お前に被害者遺族の気持ちがわかるのか!」と怒鳴ってきたことがあった。それで「この人が被害者遺族ですよ」と仲間が言ったら、その人は慌てて逃げていったそうです。
入江 ニュースとか新聞でも、すごく「分かりやすさ」が求められているんだなと感じます。一部分だけが切り取られてしまうので誤解を受けたり、「被害者遺族らしくない」「なぜ笑っているの?」と戸惑われたりする。そうすると、こちらも萎縮してしまい、わかりやすくしていなくちゃいけないのかなと思ってしまう。まあ、なるべく意識しないようにしていますけれど……。
鈴木 被害者遺族だといっても、普通の生活もあるわけですよね。僕も被害者遺族に対して、同じようなイメージで見ているところがありました。でも、入江さんの本を読んで、そうじゃないんだと気づきました。イメージと違うことを言ったり、考えたりするとバッシングする、そういう日本社会はひどいなぁ。
そういえば、少し前にテレビ番組で何かトラブルがあったそうですが。
入江 ええ、2年くらい前です。未解決事件を捜査するTV番組で世田谷の事件を取り上げたいと言われて、ちょっと不安もあったのですが引き受けてしまったんです。ある程度信頼している人からの申し込みだったのと、事件から時間が経って取り上げられなくなっていたので、風化してしまうのではというのもありました。
でも、番組を見たら、私が言ってもいないことを言ったかのようにテロップやナレーションなどで編集されていて……。すごく腹が立ちましたし、恐ろしいと思いました。「悲しみ」が消費の対象にされてしまい、こちらには自己決定権がない。しかも、相手から開口一番に言われた言葉が、「すごく視聴率が良かったですよ」だったんです。
鈴木 視聴率ですか。
入江 最初に言うことがそれなのか、と思って。結局、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会に審理を申し立てたんですが、それも大変でした。BPOから勧告が出ると、テレビ局は「勧告を受けました」と放送しなくちゃいけないんです。でも、それだけ。一度放映されてしまったイメージは回収できません。これをきっかけに、メディアは被害者や事件事故をどう取り上げていくのか、ちゃんと考えてほしいと思います。
当事者だけの悲しみにせず、多様なつながりを広げるために
鈴木 入江さんが開催されている「ミシュカの森」というのはどういうものなんですか?
入江 「ミシュカの森」は、2006年から毎年、事件のあった12月に開催している催しです。いろいろなゲストをお呼びして、亡き家族と出会いなおすという思いで続けてきました。「ミシュカ」というのは、殺された姪と甥が可愛がっていた小熊のぬいぐるみの名前で、再生のシンボルでもあるんです。これまでに、作家の柳田邦男さん、先日帰天された医師の日野原重明さんはじめ、イラストレーターのエムナマエさん、哲学者の山脇直司さん、教育家の副島賢和さん、批評家の若松英輔さん、作家の平野啓一郎さんや星野智幸さんなど、さまざまな方にお話をしてもらっています。今年は小児がんの治療に携わってきた医師で作家の細谷亮太さんをお招きします。
事件を風化させたくないと思っていても、関心をもってくれるのは、遺族や警察、マスコミに限られてしまうんですよね。被害者やその遺族だけの集まりだと、「ほかの人は関係ないんだ」と思われてしまいます。だから、いろいろな人が集まれる催しにして、事件にかかわっていきながら、多様なつながりを広げていく場にしたいと思ってきました。今では「ミシュカの森」はイベントの名前というだけでなく、ネットワーキングの足がかりとなって、多くの方々とご縁をつくるようになりました。ありがたいことです。
鈴木 伺っていると、入江さんはいろいろな立場の人を受け入れる許容量がすごいですね。ナチスの収容所にいたヴィクトール・E・フランクルが、『夜と霧』という本で「潜水病(潜函病)」の話を書いていました。ここで書かれている「潜水病」とは、異常に高い気圧の深海に潜っていた潜水労働者が突然上に来ると肉体的にも意識的にも故障がくるように、長い間強い圧迫を受けていた人が急に解放され、場合によっては精神や健康を損ねてしまうことです。例えば、「長い間弾圧されていたんだから、少しくらい社会秩序を破ってもいいだろう」と考えてしまい、自分勝手なトラブルを起こす。そういう人は、左翼にも右翼にもいっぱいいますよ。
入江 「潜水病」は、初めてお聞きしましたが、なるほど……。「これだけ悲しい目に遭ってるから復讐していいし、その権利が与えられているんだ」という思いと同じですね。それは「破壊的権利付与」といわれるもので、家族療法では基本概念のひとつです。
私自身は、「悲しみ」をキーワードに活動していくうちに、事件事故、自死遺族や終末期ケア、貧困問題など、多方面の社会活動にかかわるようになりました。そのなかで、「当事者だけを囲い込んで悲しみを背負わせてはならない」と感じるようになったんです。私はたまたま犯罪の被害で妹たちを失ったけれども、理由は違っても悲しみということでは同じ思いをしている人たちがいます。
あるとき自死のご遺族の方から「入江さんの家族は殺人事件で亡くなったんだから同情されやすい。私の娘は勝手に死んだんでしょと言われてしまうんです」と言われて、それはとてもつらかったですね。殺人事件の悲しみと自殺の悲しみ。悲しみの多寡は計れず、比較もしない、ということがグリーフケアの基本のアプローチですが、自殺とか貧困とかを「自己責任でしょ」と責める人がいます。何度も死にたいと思った私ですから、目の前にいる悲しみを抱えた人を大切にしたい。社会の無関心、無知をきちんと知ることで、関心に変えていくことが、目の前にいる人の悲しみを大切にすることだと思うようになったんです。
鈴木 すごいなあ。よくそんな風に考えられますね。
入江 いえいえ……こんな風にいっていても、また明日には気持ちがダメになっているかもしれません。先ほどの潜水病の話でいえば、すごい水圧を受けてきたわけですから。殺人事件で、しかも未解決。警察にはしっかりして欲しいと思います。「社会なんか何もしてくれなかったじゃないか」という気持ちになったこともありますよ。でも、多くの人の温かさで社会への信頼を取り戻していく過程で、自分が何もしないではいられなかったんです。
悲しみの水脈の広がりに気づかされる瞬間
鈴木 40年前に、2・26事件にかかわった元軍人の末松太平さんが言っていたんですけど、事件の頃に比べていまは社会に同胞感がなくなったと。かつては、軍隊が雪の八甲田山で軍事演習して亡くなった時は、国民みんなが家族のように悲しんでいたと言うんです。そういう同じ悲しみをともにする気持ちがあったのに、いまは全然ないじゃないかと言っていました。
この話から40年経っていますので、今はもっとないでしょうね。安倍(晋三)さんとか、「自己責任」と言ってすぐ見放すじゃないですか。ジャーナリストが海外に行ってテロリストに処刑されたりすると、「なんとか助けよう」ではなく「ほら見ろ」というような風潮がある。それはやっぱり怖いと思います。
入江 怖いですよね。でも、希望もあると思います。大震災が起きたときには、ボランティアに行った若い人がたくさんいましたよね。ある意味では、自分が共感疲労を起こしちゃうくらいに、悲しみに寄り添った人たちもいました。今だって誰かに「もっとかかわりたい」と思ってる人たちはいると、私は感じているんです。だけど、私たち大人や社会が、そういう若い人たちの心にうまく寄り添えていない部分もあるのかもしれない。悲しみの水脈の広がりに気づかされる瞬間があります。そうした時をとらえて、「悲しみ」は「愛しみ(いつくしみ)」なんだ、という思いを語りかけ、社会に響く言葉として紡げるようになっていけば、鈴木さんの仰る「同胞感」が野火のように広がるのではないでしょうか。
鈴木 なるほど。そうかもしれません。うーん……、入江さんはやっぱり本物の「愛国者」なんですね。
入江 えっ、私が「愛国者」ですか? そんなことは、考えたことも言われたこともありませんけれど(笑)。
鈴木 ご自分ではそういう言葉は使わないだろうけど、聞いていてそう感じました。いやあ、お会いできてうれしかったです。
入江 こちらこそ。お話ができてよかったです。どうもありがとうございました。
(構成・写真/マガジン9編集部)
【対談を終えて】
●「悲しみ」とも「哀しみ」とも表記される「かなしみ」は、古来より「愛しみ」でした。「悲愛」は「あはれ」。ただ本当に悲しい時は涙も流せず、声にも出せない。第一発見者になってしまった亡母の嘆き「これほど思っているのに涙も出ない、夢にも出てきてくれない」。忘れられません。見えない涙、発されない声に気づく。哀に愛で応える(response)ことが責任(responsibility)。他者の痛みへの想像力を巡らせることが国を統べる立場の人たちに強く求められ今、「哀」と「愛」を知る鈴木邦男さんとの意外な組み合せ、問答の場に感謝します。(入江杏)