今月22日、数年ぶりの大雪に見舞われた東京。早い時間の帰宅が呼びかけられたり、電車の運行が乱れたりと、あちこちで混乱が生じました。
そんな中、予定どおりに行われたのが都内では初めてとなる「弾道ミサイルを想定した避難訓練」。文京区の東京ドームシティ近辺で、雪交じりの雨が降る中、近隣住民ら約300人が参加したといいます。政府による避難訓練はこれで27回目、地方自治体などが独自に実施したものを含めるとすでに130回以上もの訓練が全国で行われているのだとか(ロイターより)。
それだけを見ていると、まるで明日にも北朝鮮からミサイルが降ってくるような気にもさせられそうですが、果たして本当にそうなのでしょうか? 2月4日には、「北朝鮮は本当に『悪魔の国』か?」というタイトルでマガ9学校が実施予定(すでに満席となっています)。それに先駆け、講師を務めていただく東京外国語大学教授の伊勢崎賢治さんにお話をうかがってきましたので、ここでご紹介します。(西村リユ)
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もし今の状況で、政権与党によって改憲発議がなされれば、特に、当初の発表のように自衛隊の存在を明記する見え透いた手口ではなく、「戦力不保持」を定めた9条2項はそのまま維持し、シンプルに「前項は、国家存続に必要な自衛力の保持を否定してはならない」というような案が出されれば、国民投票ではあっさりと「賛成」が過半数を超えるだろう──。僕はそう考えています(ちなみに、僕は9条2項は変える必要があるという立場ですが、上記のように自衛隊の活動範囲を指定しない、いわゆる『安倍案』には賛成できません)。
その理由は簡単で、「北朝鮮の脅威」です。とにかく、ここ最近の「北朝鮮の脅威」への煽り方はひどいものがある。そして日本社会というのは、そうした「脅威」への恐怖に、非常に弱い社会だと感じるのです。
落ち着いて考えてみれば、北朝鮮がいきなり攻めてくる、本気で日本をミサイルで狙うなんていう可能性はほぼありません。北朝鮮にとってリスクの大きすぎる選択だからです。
北朝鮮だけではなく中国も、そして世界中のどこの国も、いきなり「先制攻撃」や「侵略」をするなんていうことは絶対にやりません。それは明確な国際法違反であり、そんなことをしたら国際社会から一斉に非難されるのが分かりきっているから。その程度の国際秩序は培われ、機能しているのが現代の国際社会なんです。
それでも北朝鮮が日本を攻撃するとしたら、国際社会からさらに孤立させられ、追い詰められて、「窮鼠猫を噛む」みたいな状況になったとき。そしてその場合も、彼らが取る行動はミサイル攻撃でも核攻撃でもない、日本の海岸線に並ぶ原発への攻撃でしょう。そのほうが圧倒的に簡単で効果的だし、「政府がやったわけではない」という逃げ道も付けられる。仮に日本に今「北朝鮮の脅威」なるものがあるのだとしたら、それはただ一つ、「原発への攻撃」しかないと思います。
こうした、少し考えれば分かるようなことも検証せずに、まるで「脅威を楽しんでいる」かのような状況が続いている。もっとも罪深いのはメディアだと思いますが、あんな避難訓練までもが大まじめに行われているのを見ると、怖くなってきます。
今、日本で進行中のこうした事象を言い表す、ぴったりの言葉があります。それが「セキュリタイゼーション」です。
これは、国際関係論の世界における比較的新しい概念。何か新しい法律をつくりたい、習慣を変えたいなどと考えた勢力が、それまであまり顕在化されていなかった何らかの「脅威」を強調し、「これに迅速に対応しないと大変なことになりますよ」「このままにしておくとこんな状況になりますよ」と、うまく「物語化」して喧伝することで世論を味方につけ、目的を達成する、というものです。
一番分かりやすい例は、9・11同時多発テロ事件の後のアメリカでしょう。「イスラム」という敵に対処しないと、自分たちの安全が脅かされるという喧伝がさかんになされ、結果としてアメリカは「愛国法」を成立させて戦争へと突き進みました。
あるいは、ヨーロッパなどで広がる排外主義もそうかもしれません。「難民が入ってきたら犯罪率が上がる」などの──これは、実際に統計を取ってみればまったくのデマだったりするのですが──恐怖が煽られ、それによって排外主義を掲げる政党の支持率が上がる、といったことが起こっています。
日本で今起こっているのも、これとまったく同じ。「9条を変える」という目的のために、「北朝鮮」という脅威が強調され、「それに対処するためには9条を変えないとならない」と喧伝され続けているわけです。先に指摘したように、実際には「ありえない」脅威が煽られているわけで、非常にレベルの低いセキュリタイゼーションなのですが、それに少なくない人たちが乗せられてしまっているんですね。
その理由の一つは、日本がこれまで「戦争をしてこなかった」こと、より正確に言えば多くの人がそう考えていることだと思います。実際には、ベトナムやアフガニスタン、イラクの戦場にも日本の米軍基地から飛び立った戦闘機が向かっていたし、アメリカを通じて多くの戦争に日本は関与してきていたわけですが、そのときの「敵」はなんといっても地理的に遠かった。自分たち自身が直接的な反撃を受ける可能性はほとんどなかったし、その「敵意」を感じることもなかった。
それが今回、北朝鮮という至近国家がアメリカとの対立を強めたことによって、初めて我々は「脅威」を感じて慌てている。その意味では、自分たちの国が本当の意味で戦争をしてこなかったわけじゃないということを、我々は今思い知らされていると言ってもいいのかもしれません。
こうした「セキュリタイゼーション」を、どうすれば脱することができるのか。それに対しては学問的にも、いまだ明確な回答は見出されていませんし、僕もはっきりとした答えを持っているわけではありません。
せめてもの抵抗として、僕は今、「北朝鮮の脅威」についてメディアからコメントを求められても、基本的に答えないことにしています。そうして話題にすること自体が、セキュリタイゼーションに荷担することになると思うからです。
2月4日の「マガ9学校」では、僕のゼミの学生たちが、世界各地で起こったセキュリタイゼーションの事例について報告してくれる予定です。それをもとに、「脱セキュリタイゼーション」の鍵がどこにあるのか、改めて考えたいと思っています。
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※2月4日の「マガ9学校」はすでに満席となっており、当日券も発行しない予定です。当日のレポート、動画なども後日サイト上に掲載する予定ですので、そちらをごらんください。