読者からのお便り/4月4日(マガジン9編集部)

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安倍自民党政権を支える国民の精神的風土

 鈴木耕さんの「壊れゆく国の片隅に」を読んで書いてみました。

 恐るべき政治状況が続く。続けられることが出来る理由は何か。国民が怒らないからだ。いや、怒る気力も体力もないのだ。 
 「自立心」、つまり、自分で考え、行動する、という構造を元々持ち合わせていない国民性。よく似た光景は、スポーツ観戦にも見られる。そして、瞬時に思考停止に陥れる「みなさんがそうしています」という魔法の言葉。 
 加えて、親は、子を育てない。学校は、受験に偏重、内面的価値を軽視。大人は、他の評価を気にしながらレースのような人生を歩む。
 ことの判断基準は「善悪」より「損得」。空気を造るのではなく、空気を読む。政治は誰がやっても同じだ、と言いながら政権を変える勇気もない。楽な方へ楽な方へとなびく精神的風土。国民はすっかり「個」を見失ってしまったか。 
 その隙間をつくかのように繁殖する右翼系議員。国民が権力を監視するのではなく、右翼系議員が国民を監視する風潮さえ表れて来た。安倍独裁政権にとっては望むべくもない精神的風土である。

 そんな中、淡い光を放つのが憲法21条1項の保障する「集会の自由」である。民主主義の生命線と言われる「表現の自由」の一角を占める重要な基本的人権。判例(「成田新法事件」最高裁平成4年7月1日)は次の様に述べる。            
 「集会は、国民が様々な意見や情報等に接することによって自己の思想や人格を形成、発展させ、また、相互に 意見や情報等を伝達、交流する場として必要であり、さらに、対外的に意見を表明する為の有効な手段であるから、憲法21条1項の保障する集会の自由は、民主主義社会における重要な基本的人権の一つとして特に尊重されなければならない」

 もちろん、 集会の自由は、多数人が集合する場所を前提とする表現活動であり、行動を伴うこともあるから、他者の権利ないし利益と矛盾・衝突する可能性が強く、それを調整するために必要不可欠の最小限度の規制を受けることはやむを得ないところである。
 ところが、私が体験したのはそんなレベルの話ではない。後期高齢者である私にとって初めてのことだ。国会議事堂正面向いでの安保法制強行採決反対集会に参加した。警官隊の警備、誰の指示なのか、忖度なのか。信号は渡らせないわ、大回りの道を誘導するわ。後で分かったことだが「集会に参加」することを躊躇させる為であったのだ。特に尊重されなければならない基本的人権。擁護するのではなく、侵害する。ここまでやるのかと、そのせこさに驚いた。

 民主主義の前提を肥大させるのではなく、萎縮し続ける安倍自民党政権。過去を検証せず未来を語る危うさ。独裁政治、全体主義の土壌は肥えるばかりだ。 
 しかし、日本国憲法は徹底した「個人主義」の立場に立つ。全体主義に比べ幸せに暮らせると考えたからだ。ところが、私たちは今、日本国憲法とは真逆の方向に進んでいる。この段になっても国民は「仕方がない」を選択するのだろうか。私にはその選択はない。 

 (青森県・鳴井勝敏さん)