政府は、基礎的財政収支の黒字化目標をこれまでの2020年度から、2025年度に先送りする方針を決めた。財政再建を急げば、景気が失速してしまうからだ。だが財務省は、2021年度に中間目標を設ける方針だという。そうすることで、財政を引き締め、2019年度からの消費税率引き上げを正当化するのが目的だろう。
しかし、財務省に騙されてはいけない。森友学園の決裁文書改ざんで、財務省がいかに嘘つきかというのはよく分かったと思うが、財務省がついている最大の嘘は、「日本の財政は先進国最悪で、消費税を引き上げなければ財政が破たんしてしまう」という多くの国民が信じている神話なのだ。
以前にも本稿で書いたが、今回は少し詳しく書いてみようと思う。日本の財政が健全であるということの一つの証拠は国債金利だ。いま日本国債の金利は、0.05%で、世界で最も低い水準にある。「信用できない相手からは高い金利を取る」というのは、金融の世界の大原則だ。例えば、優良大企業が銀行から融資を受けるときの金利は、いま1%を切っている。それが中小企業になると2~3%に上がり、経営状態のよくない企業が金融業者から借りるときは、10%台になる。そうした事情は、国でも同じだ。ギリシャが財政破たんした時、ギリシャ国債の金利は1年で20%を超え、ピーク時には40%に達した。財政状態が悪ければ、金利が上がるのだ。日本の長期国債金利は、無借金財政を誇るドイツを下回り、世界で一番低い。それは、日本の財政が世界一健全だということを示しているのだ。
日本の財政は普通
なぜそうなのか。財務省が作成している「国の財務書類」という統計をみると、連結ベースで国が抱えている債務は1400兆円となっている。これが、国民が聞かされ続けてきた天文学的借金を示す数字だ。しかし、この統計のバランスシートをみると、日本は莫大な債務とともに950兆円という世界最大の資産を保有している。差し引きすると、国が抱える純債務は450兆円にすぎない。日本のGDPが540兆円だから、純債務の対GDP比率は83%で、これは欧米各国とほとんど変わらない水準だ。国際的には、国の財政状態をみるときには、純債務、つまりネットの借金で考える。つまり、世界の物差しで測れば、日本の財政は、ごく普通なのだ。
ところが、財務省は、国の保有する資産は、売れない資産なのだから、それをカウントしてはいけないという意味不明の主張を繰り返している。しかし、そんなことはない。
例えば、国はおよそ100兆円の米国債を保有している。米国債は、世界で最も流動性が高い、つまり売りやすい債券だ。確かに一気に100兆円分を売りに出せば、暴落するかもしれないが、少しずつ売れば、まったく問題はない。
また財務省は、「道路は売れない」と言っているが、イタリアは借金を減らすため、高速道路を民営化して、その株式を売り出した。日本でも同じことはできる。それどころか、日本の高速道路はすでに株式会社化されており、売る気になれば、いつでも売れる状態なのだ。売却がむずかしいとされる不動産も、いくらでも売れる。霞が関官庁街、都心の国家公務員住宅など、すぐに売れるものばかりだ。国家公務員は、緊急事態の招集に対応しないといけないので、公務員住宅が不可欠だと政府は言うが、緊急事態に会社に行かないといけないのは民間も同じだ。しかし、民間で社宅を整備する会社はほとんどなくなっている。
私が、政府の保有する資産を一通りチェックしたところ、すぐに売れないのは国際機関への出資金など、ごく一部だけだった。もちろん、資産をすぐに売る必要はない。ただ、国の財政を考えるときには、国が保有する資産もカウントしないといけないということだ。国債価格を決める債券市場は、それをカウントして国債金利を決めている。カウントしていないのは、財務省だけなのだ。
日本の財政は世界一健全
ここまでの話は、日本の財政は「普通」ということだった。しかし、本当は、日本の財政は世界一健全なのだ。その仕掛けは、財務省がひた隠しにしている「通貨発行益」にある。
アベノミクスの金融緩和は、日銀が保有する国債を大幅に増やした。日銀が保有する国債は、事実上返済や利払いが不要なので、借金ではなくなる。経済学では、これを通貨発行益と呼んでいる。いま、日本の通貨発行益は450兆円にも達している。国の抱える純債務も450兆円だから、通貨発行益と純債務を通算すると、ちょうどゼロになる。つまり日本政府は、現時点で無借金経営になっているのだ。
なんだかあやしいと思われるかもしれないが、通貨発行益は、貨幣制度が登場して以来、世界中で、ずっと使われ続けてきた。それは日本も同じだ。例えば、明治維新のとき、新政府は、太政官札という政府紙幣を発行して、維新の費用をまかなった。太平洋戦争のときは、戦時国債を日銀が引き受けて、その資金で戦争が遂行された。明治維新も、太平洋戦争も財源は、通貨発行益だったのだ。さらに古くは、江戸時代の幕府は、財政が苦しくなると、小判の金含有量を減らす改鋳を行い、通貨の発行量を増やした。発行量を増やした分は、幕府の財政収入となる。これも、通貨発行益の活用なのだ。
通貨発行益は、使い過ぎるとインフレを招く。戦後の日本は、太平洋戦争中やその後のインフレに懲りて、通貨発行益の使用を控えてきた。つまり、必要以上に財政と金融を緊縮化してきたのだ。そのツケで、日本は通貨発行を増やしても、物価上昇率がプラスにならない深刻なデフレに陥ったのだ。日銀が、あといくら通貨発行を増やしたら、デフレ脱却が達成されるのかは、正確には分からないが、天井が相当高いことは間違いないだろう。少なくとも、あと1000兆円程度の国債発行は、問題を起こさないとみられる。太平洋戦争の戦費は、GDPの9倍だったからだ。
消費税引き上げに全精力を傾ける財務省
そうした状況にもかかわらず、財務省は来年10月に予定される消費税率の引き上げに向けて全精力を傾けている。それも、安倍政権を打ち倒すということを通じて消費税増税を実現しようとしているのではないかと、私はみている。
予め断っておくが、私は安倍政権の政策の大部分を支持していない。憲法改正も、原発政策も、働き方改革も、すべて反対だ。ただ一点、マクロ経済政策、すなわち財政政策と金融政策に関しては、安倍政権のやり方は、正しいと考えている。特に、消費税増税を下げようとする姿勢は、100%正しい。
安倍政権が登場する前までの日本は、財務省が支配する国だった。そこにくさびを打ち込んだのが、安倍総理だったのだ。官邸スタッフを経済産業省出身者で固め、内閣人事局を作って、人事面から官僚を抑え込んだ。消費税率の引き上げも、過去2回凍結した。財務省にとっては、史上初めて現れた天敵が、安倍総理だったのだ。
財務省のマインドコントロールは、強力だ。民主党が政権を取った2009年の総選挙の際に、消費税引き上げ凍結を訴えていた野田佳彦氏は、総理大臣になって財務省のレクチャーを受けると、あっとう言う間に消費税増税派に心変わりしてしまった。そして、いま、ポスト安倍と呼ばれる自民党の政治家たちのマインドコントロールも、すでに完成させているのだ。
現在、次の自民党総裁に最も近いところにいるのが、岸田文雄外務大臣だ。その岸田氏が4月18日に開いた派閥のパーティで、岸田派の政策骨子となる「K-WISH」を発表した。「Kindな政治」「Warmな経済」「Sustainableな土台」などの頭文字を取って名付けられたという。
岸田氏の政策の方向性は、一言でいうと、アベノミクスの否定だ。政策の柱として打ち出したのが、財政再建とボトムアップ型の政治だ。安倍政権が採ってきた積極的な金融緩和・財政出動を基本とする経済政策を否定する。また、官邸に官僚の人事権を集中する安倍流トップダウン政治を否定して、ボトムアップ型の政治に戻すことを打ち出したのだ。
自民党内には、この政策に追随する動きが、早くも現れている。竹下派会長に就任したばかりの竹下亘総務会長は、自民党総裁選に関して「政策的に近いのは岸田派」と述べて、岸田派への親近感をあらわにしている。石破茂元幹事長も4月19日に開かれた派閥例会で、岸田派が財政の持続可能性などを打ち出したことに触れ、「私たちが3年前にグループを立ち上げた時に言ったことと、奇しくもというべきか当然というべきか、似たような方向になっている」と述べ、自民党総裁選で岸田氏と連携する可能性をにじませた。
すでに自民党内では新政権でのポストを確約する「毒まんじゅう」が出回り始めたとも噂されており、自民党内でも、倒閣の動きが、急速に広がりつつある。
岸田文雄氏の政策は、しばしば「リベラル」と言われるが、経済面からみれば、増税路線かつ官僚支配、つまり財務省支配の完全復活に直結する政策なのだ。
倒閣の動き強める財務省
このように整理してくると、いま財務省の取るべき戦略が、たった一つになるということが分かるだろう。それは、安倍首相を失脚させることだ。私は、そもそも森友学園の問題は、財務省が安倍政権を追い詰めるためにやった自作自演の大芝居だと思っていたが、最近は、その効果を徹底するために、財務省が炎上商法を仕掛けているようにみえてならない。
例えば、複数の女性記者に対してセクハラ発言をしていたと週刊新潮で報じられた財務省の福田淳一前事務次官は、財務省自身がセクハラを認定し、福田氏自身も責任を取って辞任した。ところが、福田前次官は、週刊新潮を発行する新潮社を名誉棄損で提訴する構えを変えていない。証拠もあるし、証言もある。まったく勝ち目のない裁判を福田氏はなぜやろうとするのか。目的は、安倍政権への国民の批判を継続させるためだとしか考えられない。
福田氏は、情報提供と引き換えに記者に対して性的関係を迫ったのだから、本来なら懲戒免職の対象だし、刑事責任も追及されるべきだ。ところが、財務省としての処分は、退職金のわずかな減額にとどまり、逮捕もされていない。決裁文書の改ざんを支持した佐川前国税庁長官も同じような状況だ。20年前に大蔵省がノーパンしゃぶしゃぶ事件を起こした時は、何人も官僚が逮捕され、三塚大蔵大臣が責任をとって辞任した。決裁文書の改ざんとセクハラは、ノーパンしゃぶしゃぶより、はるかに罪が重いと思うのだが、お咎めはほとんどないのだ。
そして、最近で言えば、まったく存在しないとされてきた森友学園に対する国有地払下げの価格交渉の資料も、大量に「発見された」と報じられている。あれだけ探して見つからなかった資料が、なぜ突然出てくるのか。
次から次に安倍政権に揺さぶりをかける財務省は、いま倒閣運動を本格化させているとみて、間違いないだろう。野党やメディアは、その財務省の戦略に、まんまと乗せられているのだ。
いまこそベーシックインカム導入の議論を
私は、国会や国民が、いま進めなければならない議論は、財政に余裕があるいまこそ、ベーシックインカムの導入を目指すことだと考えている。
ベーシンクインカムというのは、政府が、すべての国民に例えば月額7万円といった一定額を、無条件で支給する制度だ。無条件だから、低所得者にも富裕層にも、同額が支給される。富裕層への給付に違和感を覚える人もいるかもしれないが、ベーシックインカムの財源は税金だから、富裕層がより多くの税金を支払うように税制を作ってやれば、所得の再分配機能は失われない。フィンランドやインドでは、ベーシックインカムの社会実験がすでに始まっている。
多くの人が抱くベーシックインカムへの疑念は、そんなことをすると、勤労意欲が失われて、誰も働かなくなってしまうのではないかというものだ。しかし、その懸念は、これまでに行われてきた複数の社会実験で明確に否定されている。ベーシックインカムは、勤労意欲を一切阻害しないのだ。福沢諭吉は心訓のなかで「世の中で一番さびしいことは、する仕事のないことです」と言った。人間は、何も仕事をしないことのほうが、はるかに辛いのだ。
しかし、ベーシックインカムを導入する財政的な余裕があるのかという疑問を持つ人はいまでも多い。この点に関して、駒澤大学の井上智洋准教授が、近著の『AI時代の新・ベーシックインカム論』(光文社新書)のなかで興味深い推計をしている。1人あたり月額7万円を支給するベーシックインカムを導入しようとすると、単純計算で100兆円の財源が必要となる。しかし、失業給付や基礎年金など、廃止できる給付があるので、実質的に64兆円の財源を新たに見つければよい。たとえば、相続税率を一律30%引き上げ(最高税率85%)、所得税率を15%引き上げ(最高税率60%)にすれば、ベーシックインカムを導入できるという。さらに、井上准教授は、税金を財源にするベーシックインカムと通貨発行益を財源にするベーシックインカムの、二階建ての制度の導入も提言している。
昨年度は日銀が国債保有を31兆円増額したので、31兆円の通貨発行益が生まれている。また、「不公正な税制をただす会」の「消費税を上げずに社会保障財源38兆円を生む税制」によると、租税特別措置の廃止など、不公正税制を正すだけで、38兆円の財源を確保できるという。通貨発行益と不公正税制の是正による税収増の合計は69兆円だから、増税を一切しなくても、月額7万円のベーシックインカムを導入して、お釣りがくることになるのだ。
AIが仕事を奪うことで、今後人間がやらないといけない仕事は、創造的な仕事が中心にならざるを得ない。創造的な仕事は、もともと所得格差が大きいし、収入が不安定だ。だから、国民の健康で文化的な生活を守るためにも、ベーシックインカムの導入は、これからとても重要になってくる。
野党は、安倍政権打倒に注力するよりも、こうした建設的な提案で政府と対峙すべきだし、その前に「日本の財政は世界一健全である上に、莫大な財政黒字を持っている」という現状認識をもとに、政策を考えるべきだろう。