かつて日本軍の「慰安婦」とされた韓国人女性をモデルとした絵本『花ばぁば』は、日・中・韓の絵本作家が手がける「平和絵本シリーズ」(全11冊)の中の1冊。しかし日本では出版社の意向により、シリーズの中でこれだけが発売されず「お蔵入り」しかけていました。そして今年春、別の出版社から、クラウドファンディングを利用しての発刊が実現。なぜこのテーマを描こうと思ったのか、そこにどのような思いを込めたのか、作者の韓国人絵本作家、クォン・ユンドクさんに、出版に至る経緯も含めてうかがいました。
「慰安婦」を絵本のテーマに選んだ理由
──『花ばぁば』は、日中韓3ヵ国の絵本作家が企画した「日・中・韓平和絵本」の1冊として制作され、韓国では8年前に発刊されました。絵本作家としてこのシリーズに参加するにあたって、「慰安婦」をテーマに選んだのはどうしてですか?
クォン 「慰安婦」の問題について初めて知ったのは、大学1年生のときです。学内の「女性問題研究所」というサークルに参加していたのですが、その先輩から、慰安婦問題に関する資料を見せてもらったのが最初でした。多くの女性たちが慰安所という場所で長期間にわたって性暴力を受けたということを知って、とてもショックを受けたのです。
そのときの衝撃が残っていて、この問題を何らかの形で伝えたいとずっと思っていました。それで「平和絵本」シリーズのお話をいただいたときに「慰安婦」をテーマにしようと考えたのです。日中韓のすべての国にかかわる問題ですし、いまだ解決を見ていないという点でも、取り上げるべきだと思いました。
──制作にあたって、取材などはどのように進められたのですか。
クォン まず、論文や資料集など、慰安婦問題に関するさまざまな資料を読み込みました。元慰安婦のハルモニ(おばあさん)たちの証言集も5〜6冊読んだのですが、その中でもっとも印象に残ったのが、今回の絵本のモデルになったシム・ダリョンハルモニの証言だったのです。
彼女の話を話の糸口にしたいと考え、証言の採録者に連絡を取ってハルモニが暮らす大邱(テグ)の町まで会いに行ったのです。
──どんな話をなさったのですか?
クォン シム・ダリョンさんにはその後も何度も会いに行っていろいろな話をしましたが、慰安婦にされていたときのことは、あまり聞いていません。トラックに乗せられて連れられて行く前の、子ども時代のことはよく話してくれるのですが、その後のことはほとんど話には出てきませんでした。「そんなこと、どうやって話すことができるのか」とも言われましたね。だから、その部分は証言集に載っている内容や、他の方の証言を参考にしたりしました。
最初に一緒に行ってくれた採録者の方は、元慰安婦のハルモニを支援する市民団体の代表で、シム・ダリョンさんとも親しかったのですが、「彼女は当時の話をすると、その夜悪夢を見るんだ」とおっしゃっていましたね。元慰安婦のハルモニの中には「闘士」という感じの方もいらっしゃいますが、シム・ダリョンさんはそういうタイプではありませんでした。むしろ、集会などに行ってもスローガンを叫ぶのではなく、歌に合わせて体をゆらゆら揺らしたりしながら過ごしていたのが印象的で、私はそういう姿がとてもいいなと思っていました。
繰り返された、出版社からの修正依頼
──そしてできあがった絵本は、2010年に、『コッハルモニ(直訳は「花おばあさん」)』のタイトルで韓国で出版。しかし、シリーズの他の作品と同じように予定されていたはずの日本での出版は成りませんでした。
クォン 日本での版元からは最初、日本で出版するためにはここを変えてほしい、といって何度も修正依頼が来ました。受け入れられる点については修正しましたが、とても受け入れられない点もあって、それについては「できません」とお答えしたのです。
──たとえば、どんな点でしょうか。
クォン 『花ばぁば』では、慰安所の見取り図のような場面や、慰安所がつくられていた地域分布を示す場面なども出てくるのですが、こうした資料的な絵を入れず、もっと「一人の女性の人生」という観点からストーリーをつくれないか、と言われました。でも、私は単なるハルモニの個人史ではなく、その背景にある社会的な要素もあわせて描きたかった。そこは変えたくありませんでした。
また、もっとも受け入れがたかったのは、モデルを別のハルモニに変えてほしいと言われたことです。シム・ダリョンさんは慰安婦として連れて行かれた後、戦後にかけて記憶を失っている時期があるので、証言の確実性がないのではないか、というのです。シム・ダリョンさんのように無理矢理トラックに乗せられたケースではなく、「お金を稼げるよ」と騙されて連れて行かれたハルモニの証言をもとにしたほうが、普遍的な物語になるのではないかとも言われました。
でも、シム・ダリョンさんが記憶喪失になってしまったのは、慰安婦にされて性暴力を受けたことや、戦後に韓国で差別を受けたことの結果であって、そのこと自体が重要な「記憶」です。それを証言として信用できないということには、まったく納得が行きませんでした。私はシム・ダリョンさんだから描きたいと思ったのだし、出版社が「こういうおばあさんの話を描いてほしい」というのなら、それを描いてくれる作家を別に探せばいいじゃないか、という話ですよね。
最終的には、「他のハルモニの話に変えないのならうちの出版社からは出せません」という返事でした。
──それが本当の理由というよりは、慰安婦問題というセンシティブな問題を扱った絵本を出したくなかったのかもしれないという気がします。特に、ここ数年の日本では、「慰安婦」という言葉を出すだけで一部の層からひどいバッシングを受けるという傾向がありますし、「シム・ダリョンさんの証言に問題があるから出さない」ではなく、「日本社会に問題があるから出せない」だったのではないでしょうか。
クォン 本当にそうです。その「日本社会の問題」を、「ハルモニの問題」にすり替えて断りの理由にされたことが本当に悲しくて。そのときにはもう亡くなられていたシム・ダリョンさんに対しても、申し訳ない思いでいっぱいでした。被害者が自分の受けた被害の話をするというのは、本当に苦しくてつらいことなのに、それを否定されたわけですから……。私だけでなく、「平和絵本」シリーズにかかわっていた作家たちはみんな、大きなショックを受けていました。
──しかし、田島征三さん、浜田桂子さんら日本の絵本作家の奔走もあって、2018年に別の出版社からの刊行が決まります。資金集めのためのクラウドファンディングでは、当初の目標額だった95万円がわずか4日間で集まったそうですね。
クォン 2000年の女性戦犯法廷(※)の話などを聞いて、日本には慰安婦の存在を否定したい勢力もいるけれど、それをきちんと検証して知らせようとしている人たちも大勢いるんだということを知りました。日本での出版前から、韓国語版を自分たちで翻訳して読書会を開いてくれているグループもありましたし、そうした人たちが支援してくれたのではないかと思っています。
※2000年に日本の民間団体が開いた、旧日本軍の慰安婦制度を裁くための民衆法廷。NHKがこれを取材して製作した番組が、放送直前に安倍晋三氏ら自民党国会議員の介入により大幅に改変された。
慰安婦問題は「日本と韓国の問題」ではない
──そうして日本語版が刊行された『花ばぁば』ですが、読んでいて印象的だったのが、慰安所のシーンなどに出てくる日本兵たちの「顔」が描かれていないことです。下や横を向いていて見えない場合もあれば、軍服やヘルメットだけが描かれていて、そもそも体そのものを持たない場合もある。花ばぁばや他の少女たちが、小さくても顔が描かれているのと対照的です。
クォン 兵士たちの軍服はすべて黄土色で描いているのですが、これは帝国主義の象徴です。その軍服を身にまとうと、それぞれの「個人」はどこかへ行ってしまって、「兵隊」になってしまう。慰安所に対しても、個人がどう思うかではなくて、そういう制度があって「十分に活用しろ」といわれるから当たり前のように使う。兵士たちをそうした、帝国主義国家に飲み込まれた「顔がない」存在として描こうと考えたのです。
日本兵だけではありません。絵本の後半は花ばぁばが韓国に戻ってからのお話ですが、当時の韓国社会は元慰安婦の女性たちに非常に冷たくて、ハルモニたちは「慰安婦だった」と名乗り出ることもなかなかできず、まるで罪人のように暮らしていました。そうした社会を象徴するものとして、ハルモニや支援者たちによるデモを鎮圧しようとする機動部隊も、国家に組み込まれた「顔のない」存在として描いています。
──また、最後のページには、「花ばぁばが経験した痛みはベトナムでもボスニアでも繰り返されました。/そして今、コンゴやイラクでも続いているのです。」として、アオザイやブルカに身を包んだ女性の絵が描かれています。慰安婦問題は、「日本と韓国の問題」ではないんだ、というメッセージを感じました。
クォン 慰安婦、つまり国家による戦略的な性暴力というのは、戦時下なら世界のどこでも起きうる問題です。だから、慰安婦問題を単に日韓の対立として描くのではなく、そこを乗り越えて「戦争と女性」という普遍的なものとして描きたいという思いがありました。
今、韓国ではベトナム戦争での韓国軍による民間人虐殺や性暴力について真相究明しようとする動きがあります。そのように、ある場合に被害者だった国も、次には加害者になることもある。その前提に立った上で、すべての性暴力、戦争犯罪の真相究明を求めていかなくてはならないと思います。
──最後に、これから『花ばぁば』を読む日本の人たちにメッセージをお願いします。
クォン 子どもから大人まで読んでいただける本だと思うので、まずは「こんなことがあったのか」と知ってもらえたらうれしいです。
私たちは、互いの国に対して怒るのではなく、慰安婦問題のような歴史を歪曲し、否定しようとする動きに対してこそ怒らなくてはなりません。日本でも韓国でも大多数であるはずの平和を愛する人たち、そして日本と韓国の子どもたちが、この本を読んで慰安婦の話をしながら、友達になっていけたらいいなと思います。
(構成/仲藤里美・写真/マガジン9編集部)
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『わたしの描きたいこと 絵本作家クォン・ユンドクと『花ばぁば』の物語』
クォン・ヒョ監督(2012年韓国)クォン・ユンドクさんが『花ばぁば』の創作に取りかかるところから、日本での刊行が頓挫した2012年までを追ったドキュメンタリー。出版社の通販サイトから購入できます(絵本『花ばぁば』とのお得なセットもあり)。