マガ9沖縄アーカイブス(3)石川文洋さんに聞いた(マガジン9編集部)

 辺野古新基地建設への反対を掲げて「オール沖縄」で闘ってきた翁長雄志沖縄県知事の急逝を受け、9月末に知事選挙が行われることになりました。この結果は、辺野古の基地建設の行く末を左右するのみならず、日本全体の今後にも大きな影響を与えることになりそうです。
 マガジン9ではこれまでにも度々、「沖縄」をめぐるインタビューやコラムを掲載してきました。今、人々が語ってきたことを読み返しながら、「なぜここまで多くの人が『新基地建設』に反対するのか」「沖縄は何に対して怒っているのか」「なぜ政府は、これほどまでに基地建設を強行しようとするのか」を、改めて考えたいと思います。知事選挙まで「沖縄アーカイブス」をこのコーナーで、順次紹介していきます。

 ベトナム戦争報道などで知られる写真家・石川文洋さんへのインタビュー。石川さんの半生を追ったドキュメンタリー映画『石川文洋を旅する』公開にあわせてのインタビューでしたが、石川さんの生まれ故郷である沖縄への思いも、たくさん語っていただいています。
 凄惨な戦場をいくつも見てきた人とは思えないほど、穏やかで温かい笑顔が印象的な石川さんですが、「戦争」について語る言葉はきっぱりと、迷いがありません。
 〈戦争は殺人、殺し合いです。いかに多くの人を殺すかを競い合うということ〉
 〈戦争とは、今いる人たちだけではなく、未来の命も奪っていくもの〉
 シンプルな言葉だけれど、本質だと思います。そして、石川さんがそう考えるようになった原点が「沖縄」。今の政治を見ていて「また沖縄が犠牲にされるのではないか」と感じることも多い、とおっしゃっていました。

2014年6月25日掲載 石川文洋さんに聞いた
戦争とは、「いかに多くの人を殺すか」を競い合うこと

故郷の沖縄と、戦火のベトナムが重なって見えた

――公開中の映画『石川文洋を旅する』を見せていただきました。沖縄で生まれ、のちに戦場カメラマンとしてベトナム戦争などを取材し、世界に発信してきた石川さんの歩みを追ったドキュメンタリーですが、ご自身は完成した映画を見てどう感じられましたか。

石川 構成などもすべて監督にお任せしたんですが、できあがりにはとても満足しています。ナレーションは大半が、私が1967年に出版した初の書籍である『ベトナム最前線』から引用しているので、今だったらこういうことを付け加えて言うかもしれないな、と思うことはあるのですが、「今とまったく(考え方が)ぶれてないですね」と言われることもあります。

――石川さんがベトナムで出会った、米国の市民権を得るために志願して米軍に入隊した沖縄出身の青年とのエピソードなど、ベトナムの後もカンボジアやアフガニスタンなど世界各地の戦場を取材してこられた石川さんの原点は生まれ故郷の沖縄にあるのだなということも、見ていて改めて感じさせられました。

石川 ベトナム戦争に限らず、戦争というものを考えるときの私の基本は、やはり沖縄にあるんですよ。沖縄は、アジア太平洋戦争のときに日本で唯一地上戦のあったところです。私自身は沖縄戦がはじまる前に両親に連れられて本土に来ているのですが、沖縄にいた親戚はみな戦争に巻き込まれています。首里に住んでいた母方の祖母と曾祖母は、祖父が防衛隊員として戦死した後、戦火の中を逃げ回って、最後は米軍が設置した難民キャンプにいたそうです。戦後、私は本土と沖縄を何度も行き来して、親類などからそんな話をたくさん聞きながら沖縄について考えるようになりました。
 その後、20代で行ったベトナムでも、さまざまな形で沖縄との関係性を感じざるを得ませんでした。ベトナムを爆撃するB52は沖縄の米軍基地から飛んできたものだったし、そもそも一番初めにベトナムへ投入されたアメリカの戦闘部隊は、沖縄駐留の海兵隊でした。さらに、カメラマンとして米海兵隊に従軍したときも、私が沖縄の出身だというと「キャンプハンセンを知ってるか」とか、「金武町やコザのバーを知ってるか」とか、そんな話がよく出てきましたね。

――沖縄とベトナムが、さまざまな形で重なり、つながった…。

石川 その視点は今も変わっていなくて、今の集団的自衛権行使をめぐる議論や、尖閣諸島の問題にしても、どうしても沖縄と重ねながら考えてしまいます。例えば尖閣諸島をめぐる争いになればまたふるさとが危ないという思いがあるからです。

――映画の中でも、今の政治状況を見て感じることとして「また沖縄が犠牲にされるのではないか」ということをおっしゃっています。

石川 それはそうですよ。例えば、名護市の辺野古は普天間返還の代替施設といいながら、実際には空母級の揚陸艦も停留できるような巨大な米軍基地をつくろうとしているのです。そうなるとやはり、標的になる可能性が高くなります。私が、日本を攻撃しようとするどこかの国の司令官だったら「沖縄を狙え」と言いますよ。戦争とはそういうものです。

戦争とは、「いかに多くの人を殺すか」を競い合うこと

――今、「戦争はそういうもの」とおっしゃいましたが、最近の政治家の発言などを聞いていると、「血を流して貢献する」といった言葉が簡単に口にされたりと「戦争」というものが非常に軽く捉えられるようになっているように感じられます。ベトナム戦争をはじめ、世界各地の戦争を取材して来られた石川さんは今、「戦争とはどういうこと」だと考えておられますか?

石川 それははっきりしています。戦争は殺人、殺し合いです。いかに多くの人を殺すかを競い合うということです。
 それも、殺されるのは圧倒的に民間人です。ベトナム戦争で犠牲になった政府軍兵士は22万人強、米兵が5万8000人強ですが、ベトナムの民間人は約200万人が亡くなったと言われています。沖縄戦も県外日本兵の犠牲が6万5000人強に対し、民間人は9万5000人くらいが亡くなっている。軍属として徴用された老人・少年を加えると全部で12万人以上になります。戦争とは、多くの民間人を含めた「殺人」なんです。

――ただ、これも石川さんが映画の中でおっしゃっていたことですが、そうやって「いかに多くの人を殺すかを競い合う」兵士も、一人ひとりは当たり前の、私たちと何も変わらない人間なんですよね。それが戦争というものに行くと変わってしまう、ためらわず人に銃を向けるようになる…。

石川 そのとおりです。アメリカ兵も、普段話しているときはとてもフランクで、付き合いやすい人たちでしたよ。それが、ベトナムでは徹底的に農村を攻撃し、大勢の民間人を殺して、村ごと焼き払うようなことをやっていたのです。
 なぜそんなことができるのかといえば――まず、軍隊は命令組織だから、上官に「あそこを攻撃しろ」「殺せ」と言われれば、兵士はみんな従います。そしてもう一つ、彼らからしたらベトナム人というのはすべて「敵」なんですよね。そこは「敵地」なんだから、そこにいる人間は民間人だろうと攻撃することになります。
 当時、普通のアメリカ人にはベトナムがどこにあるかも知らない人もたくさんいたと思います。だからベトナム人がどんな民族で、どんな生活をしているか知るはずもない。その中で、奴らは自分たちと同じ人間ではなくて、背が低くて目の吊り上がった「グーク(当時のアジア人への蔑称)」だ、という軍事訓練が繰り返されるうちに、殺すことにためらいがなくなっていくんです。
 要するに、戦争で相手を殺せる理由の一つは差別なんですよね。相手が自分と変わらない人間だと思っていれば、そんなにたくさんの人は殺せないですよ。だけど、相手が自分より、自分の国の人間より劣ると思っていれば、殺せる。ナチスドイツもユダヤ人に対してそういう言い方をしていたでしょう。

――戦争の中で、あるいは戦争に向かう流れの中で、そうした「相手を劣っているものと見る」空気がつくられていくんですね。

石川 そうです。逆に言えば、戦争を防ぐには自分と違う民族、国の人たちを理解することが一番大事だと思います。

戦場に行けば、誰でも「殺す側」になりえる

――そういう意味では、在日コリアンなどに対するヘイトスピーチが蔓延して、表で大声で叫ばれるような場面さえある今の日本の空気は、非常に怖いと感じます。

石川 そうなってきているのには、日本人のほとんどが戦争を知らない世代になってきていることもありますが、日本が自国の戦争について総括していないことが大きいと思います。かつて日本がどんな戦争をしたのか、学校教育の中でも十分には教えない。だから安倍首相が「侵略の定義は定まっていない」と言い出したり、研究者までがそれに同調するようなことが起こるんです。
 侵略の定義は、私からははっきりしています。自分の国に有利な条件をつくるために他国に対し軍事力を使う、それは間違いなく侵略です。だから、ベトナム戦争は明らかにアメリカによる侵略だし、中国にあれだけの軍隊を送って満州国という傀儡政権をつくった日本の行為も、侵略です。そういうことを学ばないままに親になり、政治家になり教員になる人が大勢います。そういう状況が怖いのです。

――日本の戦争についてもそうだし、そもそも「戦争とはどういうことなのか」がきちんと伝えられていないのかもしれません。

石川 それもあるでしょう。繰り返しになるけれど、戦争というのはどんな形であれ殺戮と破壊なんですよ。
 アメリカがイラクを攻撃したとき、当時の小泉首相は「アメリカとの連帯を強くすることが日本の国益になる」と言って支持しましたが、国益になればイラクの子どもたちが死んでもいいということなんでしょうか。戦争になれば爆撃機から爆弾が落とされる、その下には民間人が、子どもがいるんだということに想像力が働かない、気がつかない人が増えている。戦争を防ぐのは、そうした「悲劇を想像する力」だと思います。

――さらに今、集団的自衛権行使容認の論議が進められていますが、ベトナム戦争のときにお隣の韓国は集団的自衛権を根拠として参戦、自国の兵隊が大勢犠牲になっただけでなく、ベトナムの人たちにも多大な被害を与えました。もし日本も集団的自衛権を行使するということになれば、同じように戦争に足を踏み入れざるを得なくなる可能性があるのではないでしょうか。

石川 それはあるでしょう。イラクにも自衛隊は派遣されたけれど、あのときは日本には9条があって集団的自衛権が行使できないから「非戦闘地域に限って」活動する、という理屈をつけて行った。ただ、実際には「最前線」が明確だった昔の戦争と違って、今の戦争ではどこで戦闘が起こるか分からない、戦闘地域と非戦闘地域の明確な区別がありませんから、自衛隊員に犠牲が出なかったのは運が良かったとしか言いようがないんです。
 ましてやそうした縛りもなくなるとすれば…自衛隊員に犠牲が出るかもしれないというのはもちろんそうだし、もしそこで戦闘が起これば、彼らだって「敵」を殺すことになるでしょう。私だってその場に行けばそうしますよ。撃たれれば撃つ、戦争というのはそういうものですから。だからこそ、「そういう状況」をつくってはいけないんです。

命どぅ宝――戦争は未来の命をも奪っていく

――こうした今の状況を懸念されてのことでしょうか、最近は以前にも増して積極的に、講演などもされているそうですね。

石川 私は人に話す才能はないと自分で思っているので(笑)、以前はそれより現場に行って撮影したほうがいいと考えていたんですが…最近は、自分の体験したことをできるだけ次の世代に伝えていきたいという思いが強くなりましたね。特に学校での講演会など、子どもたちに話を聞いてもらう機会があれば、万難を排して行くようにしています。

――どんなことをお話しされるのでしょうか。そして、一番伝えたいことはなんですか。

石川 やっぱり、命が何より大切だということ――沖縄の言葉でいう「命どぅ宝(命こそ宝)」ですね。ベトナムでは、ジャーナリストが日本人だけで14人が亡くなっていますから、私が死んでいても不思議ではなかった。私は運良く生きて帰ってくることができたから、その後も船で地球一周の旅をしたり、アメリカ縦断や日本縦断をしたりと、本当にいろんなことができたけれど、死んでしまったら何もできないんだ、戦争は人の殺し合いで、民間人が犠牲になるんだ、という話をします。
 そして、自分の命、友達や家族の命が大切だというのはもちろんだけど、それだけではなくて、他人の命を思いやる、想像する習慣をつけてほしいと思っています。例えばアフガニスタンで撮影した、地雷で足を失った子どもの写真や、学校が破壊されてしまって野外で授業を受けている――授業といってもノートも鉛筆もないんだけれど――子どもたちの写真を見せながら、「みんなは今、ここでこうして勉強しているけれど、同じ瞬間にこんな状況にいる子どもたちもいる。戦争だけでなく、食べ物がないためにどんどん命が失われていっている国もあるんだよ」という話をします。

――反応はいかがですか。

石川 ある小学校では、先生が子どもたちの感想を冊子にまとめて送ってきてくれたんですが、私の話をちゃんと受け止めて、しっかりと考えてくれていると思いました。その冊子は私の宝物ですね。子どもたちは、話をすればちゃんと受け止めてくれる。受け止めないのはむしろ、大人のほうではないかという気がします。
 命どぅ宝というのは、命のつながりを指して言う言葉にもなります。沖縄戦のとき、集団自決のあったチビチリガマに行くと、そこで命を落とした人たちのそのときの年齢が書いてあるんですよ。中には3歳とか5歳というのもあって…私はそれを見るたび、「この子どもたちが生きていれば、いろんな人生が送れただろうな」と思ってしまいます。大人の戦争によって、子どもの夢が絶たれたのですよ。
 私自身も、母親は首里高等女学校の出身ですが、この首里高女からは「瑞泉学徒隊」に入った女子学生・職員が49人も亡くなっています。もし、母親が10年遅く生まれて学徒隊に入っていたら、死んでいたかもしれない。そうしたら私は生まれていないし、私が生まれなければ、もちろん私の息子も生まれていません。そういう命のつながりが絶たれていくのが戦争で、実際にそういう人たちがたくさんいたということですよね。戦争とは、今いる人たちだけではなく、未来の命も奪っていくものなんです。

いしかわ・ぶんよう 1938年沖縄県生まれ。 報道写真家。64年、毎日映画社を経て香港のファーカス・スタジオに勤務。65年から戦場カメラマンとして南ベトナムの首都サイゴン(当時)に滞在。69年から84年、朝日新聞社に勤務。著書に『写真記録ベトナム戦争』『戦場カメラマン』『日本縦断 徒歩の旅』『カラー版 ベトナム 戦争と平和』『カラー版 四国八十八カ所―わたしの遍路旅』『まだまだカメラマン人生』他多数。日本写真協会年度賞、日本雑誌写真記者協会賞、日本ジャーナリスト会議特別賞などを受賞。2005年、ベトナム政府より文化通信事業功労賞が贈られる。現在、二度目の日本列島縦断の旅に挑戦中。

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