マガ9沖縄アーカイブス(5)知花竜海さんに聞いた(マガジン9編集部)

 辺野古新基地建設への反対を掲げて「オール沖縄」で闘ってきた翁長雄志沖縄県知事の急逝を受け、9月末に知事選挙が行われることになりました。この結果は、辺野古の基地建設の行く末を左右するのみならず、日本全体の今後にも大きな影響を与えることになりそうです。
 マガジン9ではこれまでにも度々、「沖縄」をめぐるインタビューやコラムを掲載してきました。今、人々が語ってきたことを読み返しながら、「なぜここまで多くの人が『新基地建設』に反対するのか」「沖縄は何に対して怒っているのか」「なぜ政府は、これほどまでに基地建設を強行しようとするのか」を、改めて考えたいと思います。知事選挙まで「沖縄アーカイブス」をこのコーナーで、順次紹介していきます。

 2006年から2010年まで、5回にわたって沖縄で開かれた「ピース・ミュージック・フェスタ!」は、音楽を通じて米軍基地問題への関心を高めようと呼びかけられた音楽イベント。うち3回は、普天間基地の「代替」との名目で新基地建設が予定されていた名護市辺野古の浜で開催されました。
 その主催者の一人、ミュージシャンの知花竜海さんにインタビューを受けていただいたのは2010年の夏。民主党・鳩山政権が掲げていた普天間基地の「県外移設」方針が、あっさりと撤回されてしまった後でした。それでも、「多分、僕らが生きてる間はずっと付き合っていかなくちゃいけない問題」だと、前向きな言葉を聞かせてくれた知花さん。「辺野古だけ、沖縄だけの問題にしてはいけない」という言葉も印象的でした。
 この後、辺野古の浜で開かれた2011年のフェスは、ジャンルを超えたさまざまなミュージシャンが参加する、とても気持ちのいいイベントでした。客席にはちらほら米兵の姿も見えて、浜とキャンプ・シュワブとの境界に張られた有刺鉄線(今では高いコンクリート壁になってしまいましたが)が、とてもちっぽけに感じられたのを覚えています。フェス自体は東日本大震災の影響などもあってそれ以降開催されていないのですが、あの日の光景は忘れられないし、忘れてはいけない気がしています。

2010年9月15日・22日掲載
辺野古から発信する「ピース・ミュージック・フェスタ!」

子どものころからの「違和感」が出発点

──沖縄・普天間基地の「移転先」とされる辺野古の浜で10月末、音楽を通じて基地問題へのアクションを起こそうという野外イベント「ピース・ミュージック・フェスタ! 辺野古2010」が開催されます。
 知花さんは2007年からこのフェスの実行委員を務められているほか、基地問題や「沖縄」をテーマにした曲をいくつも発表されていますが、そうした活動に取り組まれるきっかけはどこにあったんでしょうか?

知花 僕は、沖縄の読谷村というところの出身なんです。沖縄戦のときに米軍が上陸したポイントなので、あちこちに「戦争」にまつわる場所があります。戦争中に住民たちが避難した自然壕のチビチリガマやシムクガマ(※)、あと今はもうなくなりましたけど、「象の檻」と呼ばれた米軍施設の楚辺通信所もあった。国民体育大会での日の丸焼き捨て事件もあったし、とにかく戦争の問題、基地の問題を絶えず身近に意識せざるを得ない環境だったんですね。
 それと、田舎の何もない村ではあるんですけど、僕が小学生くらいのときからリゾート開発が始まって、見慣れた光景がどんどん開発されて変わっていってしまった。そういうことに対してもずっと違和感を抱きながら育ったんです。ただ、高校生くらいまでは、本当に「漠然とした」違和感で、問題意識というところまでは行っていなかったですね。

※チビチリガマ、シムクガマ…読谷村にある自然壕(ガマ)。ともに米軍上陸後、住民の避難場所となった。シムクガマでは住民全員が米軍に投降して生き延びたが、チビチリガマでは「米軍の捕虜になったら残虐な殺し方をされる」という教育を受けていた住民らが「集団自決」の道を選び、逃げ込んだ約140人のうち85人が命を落とした。

──音楽を始めたのはいつごろからですか?

知花 高校生くらいのときに、モテたくてギターを始めたみたいな感じです(笑)。もちろん、普通に恋愛の歌とか歌ってましたよ。

──それが少し変わってきたきっかけは…

知花 高校を出た後、沖縄大学に進んで、沖縄の歴史や政治的な立場について、いろいろ勉強することができたんですね。さらに、ちょうどそのころに2000年の沖縄サミットがあったんですが、これがまさに「アメとムチ」の構図だった。サミットが開催されて、守礼の門を絵柄にした2000円札が降ってきて、その一方でサミット主会場になった名護市では、ちょうど会場とは反対側にある辺野古の海岸を基地建設のために埋め立てるという計画が進みつつあって…。
 そういう状況と、自分の抱えてた違和感と、大学で学んだこと。この三つが、そのとき初めて自分の中でつながったんです。「ああ、こういう歴史とか経緯とか仕組みの中で、沖縄はいまこういう状態にあるんだな」と。同時に、初めて問題を自分のこととして、「何かしなきゃ」というふうに思えた。それまでは、沖縄の島の中のことではあっても、どこか他人事というか、自分の問題としては捉え切れていなかったのが、「これは、俺たちが変えないと相当まずいことになるんじゃないか」と感じたんですね。沖縄や基地問題などのテーマを音楽で表現するようになっていったのは、そこからです。
 サミットのときにも、喜納昌吉さんがサミット日程にあわせて辺野古で「ニライカナイ祭り」というイベントをやったので、僕らもバンドで参加させてもらいました。辺野古の問題についても、そのときに初めて「出会った」というか。それまでは新聞やテレビだけで見ていたのが、初めて自分も「当事者」なんだ、と感じて、それがその後の活動のきっかけにもなりましたね。

──ピース・ミュージック・フェスタ! との出会いは?

知花 その後も、基地問題をテーマにした曲を作ったり、それをイベントで歌ったり、といった活動はしていたんですね。2004年に沖縄国際大学で米軍ヘリ墜落事件があったときには、ラッパーのカクマクシャカと2人で「民のドミノ」という曲を発表したりもしました。
 ただ、その中でずっと感じていたのが、そういうテーマで音楽をやっている人が、同世代の中にはほとんどいないということ。「辺野古」とかをテーマにしたようなイベントだと、出てくるのはいわゆる「運動」世代で、音楽もフォークなどが中心。「集会」とか「デモ」とか、若い人たちにとってはちょっと参加しにくい雰囲気だった。そうじゃなくて、若い人をもっと巻き込んでいくにはどうしたらいいんだろう? と考えていたときに、辺野古で第1回のピース・ミュージック・フェスタ! が開かれるんです。

──2006年ですね。最初は那覇の若者たちが主宰したレゲエイベントだったとか。

知花 そうです。僕はそのときは客の1人だったんだけど、大雨の中、辺野古の浜で600人くらいの若者が踊ってるのを見て、すごい感動したんですね。「なんだ、若い連中を集めることはできるんじゃないか」と思って。
 同時に、自分たちとは別のところから、同じようなことをやろうという動きが出てきたのも嬉しかったし、そこから「僕たちも合流したい」という話をして。次の年から僕と伊丹(英子)さんが実行委員に入って、今に至るという形です。

ジャンルを超えた「超党派」イベントを

──そのピース・ミュージック・フェスタ! も今回で5回目。今年は2日間ということで、参加するミュージシャンの数も一気に増えたし、ジャンルも幅広いですね。

知花 そうですね。音楽のジャンルで括るタイプのイベントではないので…。一つのテーマを共有しながらいろんなジャンルの音楽が集まる、音楽の県民大会超党派みたいな(笑)感じでやろうと思ってます。3分の2が沖縄県内で活動してるミュージシャンで、3分の1は県外から。沖縄系移民の2世3世で結成された民謡グループも来沖してくれますよ。

──初参加の顔ぶれも多いのでは?

知花 多いですね。僕らのこれまでの活動を見て「一緒にやりたい」と言ってきてくれたミュージシャンもいるし、こちらから「出てほしい」ってアプローチした人たちもいます。
 例えば、THA BLUE HERB、B.I.G. JOE、それからOLIVE OILっていうヒップホップのミュージシャンたち。今年の7月に、彼らが普天間の問題をテーマに共同制作した「MISSION POSSIBLE」っていう曲が発売されて、すごく話題になったんですね。それで「ぜひ出て欲しい」ってお願いして。
 あと、FAKE KINGZというヘヴィロック系のグループも今回初めて参加してくれることになっているんですが、彼らは普段、米軍基地で米兵相手にライブをやってるグループなんですよ。

──そうなんですか。その彼らが「基地はいらない」を掲げるイベントに出演する…。そこにはどういう思いがあるんでしょう。

知花 直接「どうして?」と聞いたわけじゃないからわからないけど、彼らもウチナーンチュだし、基地とか戦争とかに対して「嫌だ」という思いはもちろんあると思うんですね。だけど、僕もいつも感じることだけど、米兵1人1人は、ライブハウスで会ったりとかすれば、僕らと同じように音楽が好きな「いい奴」なんですよ。彼らは、そのことも肌で感じてるわけで。だからこそ、彼らともっといい形の関係性を持っていくことができないかな、という思いはあるんじゃないかと思います。
 「米軍基地はいらない」というと、アメリカ人全体を攻撃してるかのように誤解されることがあるんですが、もちろんそういうわけじゃない。個人としてのアメリカ人が嫌いなわけじゃないし、その人格を否定しているわけじゃないんです。その意味でも、彼らが出演してくれるというのはすごく大きいと思っています。

辺野古の海から世界が見える!

──ステージのほかには、どんなプログラムを?

知花 フードコートは例年も出してましたが、ほかに今回は新しい試みとして、音楽ステージとは別にトークイベントのステージも設けようと考えています。あと、子どもたちが遊べるスペースや、絵のワークショップやシーサーづくり、カヌーなんかの体験ブースもつくりたいなと。2日間、「辺野古」という場所をまさに体感できる、そしてサブタイトルでもある「辺野古の海から世界が見える」を1人ひとりが感じられるようなイベントにしたいと思っているので、ぜひゆっくり楽しみに来てほしいですね。

──ちなみに今、実行委員は何人くらいでやっているんですか?

知花 5人くらいです。ほぼみんなミュージシャンなんですけど。

──それでこれだけの大きなイベントを、というのは相当大変では?

知花 やることは膨大だし、お金になるわけじゃないし、正直なところ大変です(笑)。でも、何かきっかけさえあれば、自分も何かやりたい、こうした問題にかかわりたいというアーティストは実はたくさんいると思うんです。だけど、だからって誰もが主催側になれるわけじゃないし、だったらその部分は僕たちが頑張るからみんなやろうよ、という感じですね。

──地元のボランティアスタッフも増えているとか。

知花 毎回100人くらいが手伝ってくれるんですが、今回は特に、地元の沖縄の人たちがすごくたくさん動いてくれています。
 基地問題がテーマのイベントというのは、沖縄ではとても難しいところがあるんです。やっぱりみんな、家族とか友人とか職場の人間関係とかのしがらみがあって、表立って何か発言したり、参加したりというのは難しいんですね。
 でも、昨年からの普天間基地移設をめぐる一連の流れの中で、初めて沖縄の中でも、基地問題を話題に出せるような空気ができてきた。ずっと「まともに取り合ってもらえるわけがない」というあきらめのムードがあったのが、「もしかして、本当に基地がなくなるのかも?」という期待が生まれてきたんですね。もちろん、結果として県外移設は実現しないままここまで来てしまったわけだけど、出演者も含め、「一緒にやりたい」と言ってくれる地元の人たちがすごく増えたことは、とても大きいと思っています。

──そうして5年間、輪を広げながら継続してきたというのはすごいですよね。

知花 まあ、実は、やめられるものならやめたい、という思いもあるんですけど(笑)。これは伊丹さんや、スタッフみんなの一致している考えですが、こんなフェスをやらないでいいならそのほうがいい。「ピース・ミュージック・フェスタ!」なんていらない世の中にするのが本当は最終目標なんですよね。でも、今はまだとにかく「やらざるを得ない」状況なので、なんとか頑張ってやっていきたいな、と。
 ただ、ずっと赤字赤字で来ているので、今回大赤字を出しちゃったらさすがに多分次はないかなあ、とも思っていて(笑)。その意味でも、1人でも多くの人に来てもらいたい。あと、資金集めのためのTシャツも販売してるので、ぜひ協力していただけると嬉しいです!

「継続する」ことの大事さを伝えたい

──さて、いよいよ来月に迫った「ピース・ミュージック・フェスタ! 辺野古2010」ですが、実は一時は「今年はやれないかも」という話もあったとか?

知花 ええ。去年のフェスのときが決定的な大赤字だったので、「今回はもう、さすがにちょっと無理じゃないか」という話もしていました。

──それでもやろう、ということになったのは?

知花 この半年くらいの普天間問題の動きを見ていると、やっぱり今年が節目の年になるだろうし、「今やらないでいつやるんだ」という話になって。半分無理矢理、ほとんど気合いで(笑)やろうということになったんです。

──というと?

知花 去年の衆院選のとき、沖縄の人たちはみんな「最低でも県外」という言葉を信じて民主党を勝たせたわけじゃないですか。ところが、結局「県外移設」を掲げていた鳩山さんは辞任して、また「辺野古へ移設」という話になってしまった。それによって、期待が高まっていた反動で多くの人が政治離れしてしまったというか、みんなの気持ちが引いてしまったのを強く感じたんですね。

──たしかに、今年夏の参院選では、沖縄の投票率は全国でも最低。かつては「辺野古への移設容認」を掲げていた自民党候補が当選という結果になりました。

知花 多分、ずっと基地移設に抵抗して頑張っている人たちの固定票は、今回もその前も変わらないんです。ただ、政権交代の前後から「基地がなくなるかも」ってにわかに期待を抱いて動いた人たち、いわゆる浮動票といわれる層が、「やっぱりダメか」って失望して、あきらめてしまった。そういう結果だったと思います。
 だけど、それじゃ基地をつくりたい人たちの思うツボでしょう。今こそ「ふざけんな、まだ終わってない」っていうことを、ちゃんと沖縄から言わないといけない。そして同時に、「継続することが大事なんだ」ってことを、「あきらめちゃった」人にも見せたい、と思ったんです。僕らは今回初めて何か淡い期待を抱いて動き出したわけではないし、一貫して着実に続けていくことが大事だ、というスタンスなので。

焦って結果を求めるより、長いスパンで考えよう

──今回ダメだったからもうダメ、じゃなくて、一貫して声を挙げ続けていくことが重要だ、と。

知花 そもそも、自民党政権がずーっと解決できなかったものを、民主党政権に代わったからって1年とかで劇的に状況が変わるなんてこと、あるわけないじゃないですか。多分、僕らが生きてる間はずっと付き合っていかなくちゃいけない問題なわけで。

──メディアの報道の多くも、鳩山政権成立後は「早く結果を出せ」の大合唱でしたね。

知花 これは沖縄の人に限らず、日本人みんながそうなのかもしれないけど、ちょっと結果を求めるのが早すぎるところはありますよね。早く結果を出せ、答えを出せ、と迫って、それでダメならすぐに幻滅して支持率が下がっちゃう、みたいな。「もうちょっと頑張らせよう」って長い目で見て、段階的にやっていかないと何事も進まないのに、すぐに目に見える成果を求めてしまう。
 一番よくなかったのはあの「5月末決着」という話ですよね。

──たしかに!

知花 どう考えてもそんな短い時間で決着できるわけはないのに、「やりますやります」と言っちゃって。それに間に合わせようとして、あっさり「やっぱりダメでした」という結論を出しちゃった。
 基地問題って、社会の構造、システム全体の問題だし、さらに言えば人間の生き方そのものの選択の問題でもあると思うんです。そういうことって、一気にガバッと変えることは不可能でしょう。段階を踏みながら、少しずついい方向へ進めていくことが必要なんじゃないか、と思うんですよね。

基地問題は「沖縄の問題」じゃない

──「ピース・ミュージック・フェスタ!」開催も、その「段階」の一つ?

知花 そうですね。細かい部分を突き詰めていったらみんなそれぞれ意見は違うだろうけど、辺野古の海を見たときに、「この海を埋めていいわけはないだろう」というのは、ほとんどの人が納得できるラインなんじゃないかと思うんです。そのラインに立って、派閥とかタブーをどんどん打ち破って、まずはみんなで考えよう、話し合おうという空気をつくりたい。出演者同士、お客さん同士、出演者とお客さん、みんなが互いに「どう思ってるの」っていう話をするきっかけになれればと思っています。

──ただ、地元の辺野古住民は、少なくとも表面上は普天間基地代替施設の受け入れに賛成、ということになっていますよね。そこで「基地をつくらせない」というイベントをやるというのは、どういった受け止められ方をしているんだろう、とも思うんですが…。

知花 沖縄では基地問題について発言するのが難しい、という話をしましたけど、その中でも辺野古の人たちは、多分一番意見を言えない立場にあるんですよね。賛成にしろ反対にしろ、表立って声をあげることはほとんど不可能です。お金を使った分断工作で人間関係も相当壊れてしまってるし、多くの人にとっては「波風立てずにそっとしておいてほしい」のが本音じゃないかと思います。
 だから、もしかしたら今回の開催については、不本意に感じている方もいるかもしれません。だけど、そこで僕らがひるまずに言わないといけないのは、「これは辺野古だけの問題じゃないし、沖縄だけの問題でもないんです」ということだと思うんですよね。

──「地元の人たち」だけの問題ではない?

知花 沖縄に住んでる僕らでさえも、やっぱり辺野古の住民ではないから、この問題に関しては「よそ者なのに口を出していいのか」という遠慮があります。でも、それって沖縄の人と県外の人の関係についても言えることじゃないですか。「沖縄の基地問題は大変だと思うけど、沖縄の人間でもない自分たちがどこまで言っていいの?」みたいな。

──たしかに、私たちにもそういう遠慮というかためらいはどこかにありますね。

知花 だけど、それって結局、基地をつくりたい側の思うツボじゃないですか。ずっとそういうふうに、辺野古だけの、沖縄だけの問題だ、というふうに思わされてきて、それによって結局いいように事態が進められてきてしまったわけで。辺野古にしろ沖縄全体にしろ、「当事者」だけじゃ数が少なすぎて、決定を覆せないですから。
 でも、新しく基地がつくられることで、被害を受けるのは何も辺野古だけじゃない。そこに離発着する飛行機が墜落する可能性は島のどこにでもあるし、基地の固定化につながるという意味では沖縄全体が等しく被害を受ける問題でもある。さらに言えば、周辺諸国が警戒して軍拡を進める可能性だってありますよね。
 しかも、基地を建設したり移転したりするのに使われるのは、日本人全体の税金です。その意味でも、全然「沖縄の人の問題」じゃなくて、当然日本人全体が考えないといけない問題、国民全体に突きつけられてる問題なわけです。辺野古という象徴的な場所でイベントをやることが、そのことを意識する一つのきっかけになったらいいなと思っています。

──ありがとうございます。では最後に、知花さんの考える「平和な社会」とは? を聞かせていただけますか?

知花 多様な文化や価値観が、お互いを尊重し合い、狭い地球の上で調和して共存していける社会だと思います。そのためには、今の社会のシステムと、僕らの「生き方」を変えていかないといけない。
 沖縄のことで言えば、これまでは戦後強制的に基地の島にされてどうしようもなくここまで来た。だからと言ってこれからあとの未来もそれでいいのか。おそらく基地依存経済はあと10年持たないですよ。それまでに沖縄の海や豊かな自然やコミュニティや人の心は破壊し尽くされてしまう。「豊かさ」に対する考え方、戦争に対する考え方、エネルギーに対する考え方、国家に対する考え方…未来を見据えてぐいっと違う方向へ舵を切れるかどうか、今の僕たちはその岐路に立たされていると思います。

ちばな・たつみ 沖縄を拠点に、「ジャンル・文化・言語・国境線を音楽で越える」活動を続けるアーティスト。2001年にバンド「DUTY FREE SHOPP.」として発表した、沖縄をテーマにしたアルバム「カーミヌクー」が県内で話題に。また2004年には、ラッパーのカクマクシャカと共に沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落事故をテーマにした「民のドミノ」を発表し、全国的に注目を集める。2010年4月に開催された「普天間飛行場の早期返還を求める沖縄県民大会」のオープニングライブも務めた。2007〜2010年にかけてSOUL FLOWER UNIONの伊丹英子と共に野外音楽フェス「Peace Music Festa!辺野古」を主催。2012年に1stソロアルバム「新しい世界」を発表。ホームページ http://www.akagawara.com