安部公房の作品には、国家をはじめとするあらゆる共同体のあり方に疑問を投げかける小説や戯曲が多い。そこでは絶望と希望が紙一重で語られ、『第四間氷期』に見られるようSF的要素、『棒になった男』での不条理劇的なそれなどが織り込まれ、読者は一筋縄ではいかない物語と格闘することになる。
海外での評価も高い理由は作品のもつ無国籍性だともいわれていたからか、実在の歴史的人物を取り上げた本書に若い頃の私は違和感を覚え、手に取ったのは安部作品をあらかた読んだ後だった。
それから数十年ぶりに書棚から引っ張り出して再読した直接のきっかけは、先の自民党総裁選の出馬表明に先立って、現職の安倍首相が述べた「しっかり薩摩藩、長州藩が力を合わせてがんばっていきたい」である。本人の口からとっさに出たのか、ブレーンが知恵をつけたのか、その浅薄な歴史観は論外としても、「維新」が好きな政治家が多い理由を知る、その手掛かりとして榎本武揚は絶好の人物だと思ったのである。
はたして本書の切り口は安部公房らしく、虚実を入り交えた小説の体をなしている。こうでもしないと、この人物のややこしい言動の深層まで下りていけないのだろう。
榎本は旧幕臣の側に立ち、オランダで出帆した開陽丸で戊辰戦争における薩摩軍艦との海戦勝利の後、蝦夷地に上陸した。そして箱館の五稜郭を本拠地として蝦夷共和国を設立。総裁に就任するも、新政府軍との箱館戦争において降伏し、東京の辰ノ口の監獄に収監される。ところが、出牢してからは開拓使、海軍中将、駐露特命全権公使、逓信大臣、農商務大臣など政府の要職を歴任するのである。
福沢諭吉は『痩我慢の説』で、幕府の要職にいた人間が維新後、新政府に仕官し、高位高官の地位にいる、その変節ぶりを批判している。本書においては、榎本とともに五稜郭に籠城し、戦死した新選組の土方歳三を信奉する者らが榎本の態度に疑問を抱き、裏切り者として殺害するまでを考えていた――そのことを記す≪五人組結成の顛末≫という記録が登場する。しかし、それを読み進めるうちに、福沢の見方とは違った榎本の思想と戦略が明らかになっていくのである。
榎本武揚は国内内戦を早期に終結させるため、あえて負ける箱館戦争という八百長をしかけた。それはなぜか? このまま戦闘が長引けば、薩長と取引のない列強諸国が旧幕府軍に武器弾薬を売りつけ、それでも戦局不利となれば地上軍も投入するのは必至。そうなれば日本で代理戦争が勃発し、他の封建国家と同じく、西洋列強に骨の髄までしゃぶり取られてしまう。それを回避することが榎本の最優先事項であった。開陽丸が蝦夷へ向かう途中、薩長軍による攻撃に直面しようとしている仙台藩を沖で傍観していたのは、そこで睨みをきかせるだけで戦闘が中断するのを知っていたからである。
薩長軍もしょせんは殿様政治であり、いずれ政府からいなくなる存在だ。榎本はその先の新しい国家像を見据えていた。蝦夷共和国で行った選挙で総裁に就任したのは、近代国家のリハーサルだったのかもしれない。城内で蒸気機関の製造を試みるなど最新技術を学び極めようとしたのは、新しい時代に必要な人材は工業家だという信念からであった。
ネタバレ的な書評になってしまい申し訳ないが、それでもそこに至るまでの文学的な仕掛けは見事であり、榎本の見立てはいまの時代への警告として読みとれるかもしれない。
ちなみに本書を再読する間接的な理由は「彼が駐露特命全権公使としてロシアとの間で千島・樺太交換条約を締結した、その前段を知りたいと思った」から。それについては別の場に譲りたい。
(芳地隆之)
『榎本武揚』(安部公房/中公文庫)
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