第460回:「マヌケを守れ!」〜高円寺再開発反対パレード。の巻(雨宮処凛)

 あまりにも、あまりにも楽しいデモだった。

 それは9月23日、高円寺で開催された「高円寺再開発反対パレード」。

 ごちゃごちゃしてて平日昼間からガード下で人々が呑んだくれ、駅前広場では夜な夜な貧乏人が集まって路上宴会をしている上、たまに巨大デモが起き、小さな個人の店がひしめき合うカオスタウン・高円寺。商店街の公式キャラクターの名前が「サイケデリーさん」という街・高円寺。そんな高円寺に、随分前から再開発の話があるのだという。詳細はこちら松本哉氏のブログでご覧頂きたいが、「このマヌケな高円寺の良さをぶっ潰すとは何事だ!」「高円寺からカオスをとったら何も残らない!」「普通の綺麗な街にしてどうすんだ!」と立ち上がったのが、高円寺の暇で貧乏で愉快な人たちの集団「素人の乱」。3・11以降の「原発やめろデモ!!!!!」でおなじみのあの集団である。

 デモ当日、高円寺には1000人ほどが駆けつけた。その中には、高円寺から一歩出ると死ぬんじゃないかと噂されている人(松本哉氏が、バンド「ねたのよい」を称して言った言葉)、高円寺がないと生きていけない人など、重篤な高円寺病を患う人が含まれていた。

 かく言う私もその一人だ。

 住んではいないものの、頻繁に高円寺に出没し、やたらと路上宴会を繰り広げている。なぜ、路上で飲むのかと問えば、それは路上が誰も排除しない場所だからだ。これが「店に行く」となると、私が一緒に飲みたい人の大半は排除される。「金がない」という厳然たる事実があるからだ。しかし、路上宴会は誰も排除しない。それぞれが好きな飲み物を買ってくればいいし、誰かが買い出しに行ったものを分かち合い、カンパ制で払える人が払えばいい。456回の原稿で、インドネシアの研修生数十人と高円寺で路上飲みしたことを書いたが、あれがまさにそうだ。インドネシアから来ている研修生にお金の余裕などあるわけがない。あれが「居酒屋に行こう」という話になっていればみんなとの飲み会は成立しなかっただろう。

 しかし、高円寺には「路上飲み」という文化がある。常に誰かがそこで飲んだり食べたり寝転がったりと自宅並みにくつろいでいるので変な目で見る人はいない。これが高級住宅街だったら通報モノだろうが、高円寺にはそんな無粋なことをする人はおらず、ごく普通に「街の風景」として受け入れられている。そうしてそんなふうに路上で飲んでいると、いつの間にか暇を持て余した人やたまたま通りかかった人、酔っ払いなんかが話しかけてきて、気がついたら一緒に飲んでいたりする。そんなゆるい空間が、街のいたる場所にある隙間が、高円寺の文化や作法を作ってきた。こんな街、他にあるだろうか? 少なくとも、私は知らない。

 さて、そんな高円寺は「平日昼間の飲酒率」が高い街でもある。平日の昼間から大の大人がガード下とかの屋台風の店なんかで飲んでいるのだ。この光景を見るたびに、「ちゃんと働こう」とか「ちゃんと生きよう」という気持ちが瞬時に消え失せ、「生きているだけでいいのだ」という気持ちになれる。これは私のメンタルにとって、とても重要なことだ。

 「無条件の生存の肯定」というスローガンをいくら掲げていても、「やっぱもうちょっと生産性高くないといけないんじゃないだろうか…」とか、「同業者のあの人はもっともっと活躍してるのに…」なんて言葉が思わず頭をよぎることもある。しかし、高円寺で昼間っから飲んだくれてる人たちを見るとそんな気持ちは瞬時に吹き飛び、「仕事で忙しい人生より、酒飲んだり遊ぶことで忙しい人生の方がいいに決まってるじゃないか」と、本来の自分を取り戻すことができるのだ。

 高円寺という街の風景は、このように「生産性が高くなくちゃいけない地獄」とか「長時間労働」とか「就職したりとかちゃんと生きなくてはいけないという脅迫」みたいなものから多くの人を遠回りに救っていると言える。実際、私の友人には、高円寺から引っ越してオフィス街っぽいところに住んだ途端にウツになった人がいる。これが巷にいう「高円寺から一歩出ると死ぬ」という現象である。とにかく、高円寺は、ダメな大人がダメなままで生きられる街であり、別に輝かずに、薄汚いままでOKな街なのである。

 さて、そんな高円寺の再開発に反対してデモ前集会に駆けつけ、スピーチした人々がこれまたすごかった。新宿駅の再開発で追い出されそうになったのに、お客さんたちの署名活動などもあって生き残ったカフェ「ベルク」の店長。そして下北沢の再開発反対運動を担ってきた「SAVE THE 下北沢」の代表。また、現在取り壊しの危機にある京都大学の吉田寮(築105年の素晴らしい魔境。学生によって管理運営されてきた)に住む学生など。彼らは「再開発」というテーマ上、非常に理解できる人選だが、それ以外のメンバーもすごかった。

 哲学者の柄谷行人氏がいたかと思えば、韓国、台湾、香港の若者がそれぞれスピーチし、高円寺の斉藤電気の斉藤さんもいれば区議会議員もいる。「知の巨人」と「電気屋のオッサン」とアジア人がともに集って反対する「高円寺再開発」。柄谷氏は、中国でも「素人の乱」のような「マヌケの運動」が広がっていることに触れ(もちろんそういう中国人たちと松本哉らはつながっている)、「高円寺はマヌケのメッカ。マヌケの高円寺を守ろう」とスピーチ。韓国や台湾や香港の若者たちは、自らの国でも再開発が進み、「ジェントリフィケーション」(高級化)が進む中で、家賃が高騰し、街がどんどん金持ちや大資本しか存在しないつまらない場所に変貌していくことへの違和感を語った。

 そう、再開発の問題は、多くの国でまさに同時進行で起きていることで、再開発がなされた後は、どこの国でも似たり寄ったりの光景が出現し、街の魅力を半減させている。そんな状況だからこそ、この日スピーチした韓国や台湾や香港の若者たちもごちゃごちゃした商店街が残る高円寺が大好きなのだ。

 翻って、北海道の自分の出身地を思うと悲しい気持ちがこみ上げる。郊外にショッピングセンターができて以来、駅前のシャッター通りは廃れていくばかりで帰省するたびに廃墟感が増している。自分がいた頃にあった店が潰れていくのを知るたびに、愛着もなくなっていく。車がなければ生活できない場所で、免許を持たない私は帰省するたびに、どこか幽閉されているような逃げ場のない気持ちになる。もともと国道沿いにチェーン店が並ぶような、典型的な田舎町だった。それがさらに廃れていくさまは私のどこかに大いなる喪失感を与えている。だからこそ、出身地でもない高円寺に愛着を感じているのかもしれない。そして高円寺は、そんな余所者にも開かれた場所なのだ。

バンドカー! 安定のマヌケっぷり!

「マヌケを守ろう」と訴える柄谷行人氏

サイコビリー軍団と。

 そうして、再開発に反対する人々によるデモ隊は、出発。

 この日はバンドカーとDJカーの二台が出動したのだが、運転手の一人は外山恒一氏(2007年、東京都知事選に立候補して政見放送でいろいろやった人)という謎の豪華さだ。バンドカーでは「どついたるねん」や「パンクロッカー労働組合」「ねたのよい」「BOOViES」などが次々とライブ。デモ隊からは「百姓一揆」というのぼりが突き出している。デモは高円寺を一周するものだったのだが、さすが高円寺住民、「デモ慣れ」していて飛び入り参加者もやたら多い。また、窓やベランダからデモ隊を見る高齢の方々も「また若い奴らがなんかやってるわい」って感じで、爆音のサウンドカーでライブをするパンクバンドやハードコアバンド、そして踊り狂う人々を見ても驚く様子すらない。さすがは阿波踊りの街、そして「原発やめろデモ!!!!!」が開催された街である。「祭り」を受け入れる住民の器のデカさが半端ないのだ。

 午後4時に出発したデモ隊は、そうして歌って踊って大騒ぎして、午後6時に高円寺中央公園に到着した。午後7時からはアフターパーティーだ。

 踊りまくったデモの後だというのにみんなまたしても歌って踊って喋って、これからも再開発反対のデモを続けようという話になって、大盛り上がりのまま、第一回目の「高円寺再開発反対パレード」は終わった。

 「あー、面白かった。こんなバカな大人初めて見た」

 満面の笑顔でそう言った若者を見て、デモの成功を心の底から確信した。やってよかったと、主催者でもないのにしみじみ思った。
 
 そう、私たちにできることは、「バカな大人」「ダメな大人」の姿を積極的に下の世代に見せていくことだと思うのだ。なぜなら、世の大半の大人は、若者に「頑張り方」とか「耐え方」くらいしか教えていない。本当は、もっともっと「遊び方」とか「サボり方」とか「全力で楽しみながら抵抗する方法」とかを教えるべきなのだ。そうして「生産性」なんてなくても、営利活動で役に立たなくても、まったく問題なく生きていていいのだと伝えるべきなのだ。私が高円寺で、昼間から飲んでいる肩の力の抜けたオッサンたちの姿からそう学んだように。

 「隙間」がすごいスピードで消えていく時代の中で、普通に息ができてカッコつけなくてもいい場所はどんどんなくなっている。全てが商業施設に変わってしまったら、路上飲みなんか絶対できない。だからこそ、再開発反対と言いつつ、よくわかんない変な人たちと呑んだくれていたいのだ。

「どついたるねん」ライブ!!

「BOOViES!!」

トリはやっぱり「ねたのよい」!!

デモ出発直後の「パンクロッカー労働組合」。この直後、村上くん(赤髪)が逮捕される!

雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。