『共犯者たち』(2017年韓国/チェ・スンホ監督)

 映画が始まってすぐに、打ちのめされた気分になった。
 すぐ隣の国で数年前、こんなことが起こっていたのかという衝撃。そして何より、「どうして日本では、これができないのだろう」という、絶望にも近いような思い。いろんな思いがぐるぐると渦巻いて、スクリーンから目を離せなくなった。

 2017年8月、文在寅政権誕生の3カ月後に公開された本作(日本では今年12月に劇場公開)は、それ以前の約9年にもわたる韓国の言論弾圧の実態を描くドキュメンタリーだ。08年、大統領に就任してすぐにBSE問題などに関する報道で大きな痛手を負った李明博政権は、マスメディアを自らの支配下に置くべく、警察や検察までをも動員して、露骨なまでの介入政策を取り始める。
 その主な標的となったのが公共放送局のKBS、そして本作の監督であるチェ・スンホ氏がプロデューサーとして勤務していた公営放送局MBCだった。政権に批判的な経営陣は次々に排除され、かわって政権の息のかかった人物が送り込まれる。優れた調査報道で知られた番組は打ち切りになり、政権批判をしそうなジャーナリストは強制的に降板。記者たちも、非制作現場での業務に回されるなど、次々に報道の現場を追われていくことになる。
 12年に成立した朴槿恵政権もまた、前政権の「成功」に倣うかのように、メディアへの介入・弾圧を継続。マスメディアは政府の発表をそのまま垂れ流し、「皆に愛される素晴らしい大統領」の姿を演出する、政府の広報機関に過ぎなくなっていく。
 しかし、そうした状況を、記者たちが黙って見ていたわけではなかった。李政権当時から、労働組合は何度も大規模なストライキを実行(メディアのストライキ、という時点で、日本では想像できない出来事である)。そのたび、経営陣は参加者へ懲戒や解雇などの処分を連発したが、抵抗の動きを止めることはできなかった。
 さらに、解雇された記者たちは、オルタナティブ・メディア「ニュース打破」を設立して、独自の調査報道を継続。その一員であるチェ・スンホ監督は、朴政権がようやく倒れ、文政権が成立した後も地位にしがみつこうとする放送局の経営陣──李・朴両大統領という言論弾圧の「主犯」を支えた「共犯者たち」の責任を厳しく追及し、本作の公開にこぎ着けるのである。

 見ながら、どうしても日本の状況と比較せずにはいられなかった。
 もちろん日本のメディアで、ここまであからさまなこと(放送局の理事会での強行決定に抗議しようとする記者たちが私服警官に暴力によって退けられるとか、制作部門を外された記者がなぜか「スケート場管理」の仕事に就かされるとか)が起こっているわけではないかもしれない。けれどそれは、「そこまでひどくはない」からではなくて、「そこまでする必要がない」からではないのか。そこまでやらなくても物事が動いてしまうからあからさまに見えないだけであって、同じような「メディア支配」「言論弾圧」は、やっぱり日本でも進行中なんじゃないのか。放送局の社長に李大統領の知人が送り込まれるとか、大統領をひたすら持ち上げるだけの内容の番組が流されるとかいったくだりには、日本にもそっくりなことがあったような…と思い出さずにいられなかった。
 本作について、「メディア関係者は全員見るべき」といった声が散見されるし、それはそのとおりだと思う。でも、メディアの状況は、私たち視聴者・読者一人ひとりの関心の寄せ方、あり方の反映でもある。「見るべき」なのは、メディア関係者だけではないのではないか、とも思う。
 本作の公開直後、KBSとMBCの労組は同時全面ストライキを強行。MBCでは社長交代が実現し、なんとチェ・スンホ監督が新社長に選ばれた(KBSでも翌年に社長交代が実現)。すでに、李・朴政権下でのメディアの「没落」を検証する番組などもつくられているという。国境なき記者団による「報道の自由ランキング」でも今年、韓国は前年の63位から43位まで急上昇した(第二次安倍政権下の日本はずっと70位前後に留まっている)。
 隣の国は、すでに新しい一歩を踏み出している。私たちはどうするのか。どこに向かって進んでいくのか。誰もが見て、考えるべき作品だと思う。

(西村リユ)

『共犯者たち』(2017年韓国/チェ・スンホ監督)
12月1日(土)よりポレポレ東中野にて公開、ほか全国順次
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