「公園」に求められるものって?(西村リユ)

 ツイッターを眺めていたら、大阪市の吉村洋文市長が、こんなツイートをしていました(11月9日)。

ひと昔前の大阪城公園は、女性やファミリーが行こうと思う公園じゃなかった。さらに4000万の税金を使っていたが、今では民活で、2億円以上、市がもらっている。増税なき住民サービス拡充。賑わいも出て、女性や子供が集える公園になった。これからは夜も面白くなるよ。

 最近の大阪城公園が、新たに商業施設ができたり、イベントが企画されたりして賑わっているのは事実。でも、すでに多くの人からツッコミが入っていますが、私がまだ子どもだった数十年前も、週末の大阪城公園はお花見や散歩に訪れたたくさんの人たちで賑わっていました(もちろん家族連れやカップルも多数)。遠足や社会科見学で行ったという声も少なくなく、ひと昔前(というのがいつを指すのかは分かりませんが)は「女性やファミリーが行こうと思う公園じゃなかった」というのは、いくら何でも事実誤認だろうと思います。
 同時に、吉村市長の他の発言や、大阪市内の他の公園の整備のされ方なども見ていて思うのは、市長が掲げる(それが本心かどうかは知りませんが)「いい公園」というのは、商業施設がたくさんあって、夜も明るくて賑やかで、現代的でキレイで清潔感にあふれていて…というものなんだろうなあ、ということです。逆に言えば、何をするのでもなくぼーっと歩ける「なんにもない」空間は、「特に必要のないもの」という認識なんじゃないだろうか、と感じます。
 2012年に、同じ大阪市内にある「中之島図書館」を廃止し、築100年以上で重要文化財にも指定されている建物を図書館ではなく別の施設として活用する、との案が報じられたときのことを思い出します。結果的には、市内外からの抗議の声も殺到し、具体的なプランがあったわけではなかったのかこの案は特に進行することなく終わるのですが、当時の橋下大阪市長や松井大阪知事による「あんなところ(中之島図書館は市内の一等地にあります)に図書館を置く必要はない」「あそこで事業をしたい事業者はものすごい数がいるはず」との発言は衝撃でした。一等地だからこそ、図書館のような誰もが自由に使える公の施設を置くことに意味があるとは考えないのか。「事業者を入れて収益を出す」こと以外に、大事にすべきことはないのか──。
 橋下・松井両氏と同じく「維新の会」所属の吉村市長にも、共通する姿勢を感じます。彼が先のツイートとともに引用している読売新聞の記事には「稼げる公園」とのフレーズがあるのですが、これこそ、吉村市長や「維新の会」が目指す「公園」の姿なのかもしれません。
 でも、「公」園の目指すものが、本当にそれだけであっていいのでしょうか。都市部であれば、商業施設は他にいくらでもある。公園までが、夜になっても明るかったり、賑やかであったりする必要があるの? と思います。それより、誰もが自由に、懐が寂しいときであってもふらっと立ち寄り、気にせず時間を過ごせる場所を確保することも、「公」の重要な役割ではないのでしょうか。
 もちろん、商業施設を入れることすべてを否定するわけではありません。でも、「商業化」「収益を出す」ことが最重要であるかのような言い方には、大きな引っかかりを感じます。「公」園である以上、華やかな商業施設だけではなく、誰でも自由に、お金を使わなくてものんびり過ごせる「なんにもない」空間も、同じくらい大事にされるものであってほしい。そんなふうに思います。

(西村リユ)