日本は現在、医師数も医療費も先進国中最低レベルです。超高齢社会を迎える中で、医療の現場は厳しい対応を強いられています。また、医療だけでなく、介護、年金、生活保護など社会保障の予算も、年々抑制されています。本田宏先生は、医師として現場を知る立場から、医療と社会保障の再生のための活動を続けてこられました。今回の講演では、歴史の流れを踏まえ、豊富なデータをもとに現状と課題をお話しいただきました。[2018年10月6日(土)@渋谷本校]
医療と社会保障の再生のための活動を開始
私は一般の方にもお話をさせてもらうことが多く、日本の社会保障の問題から、歴史的な問題、政治の問題、社会の問題などを、一人でも多くの方に考えていただけたらいいなと思っております。重い話でもありますから、あえて冗談もまじえてお話しさせていただきますが、無理に笑う必要はありません(笑)。
私が生まれたのは福島県です。二本松というところで3歳まで過ごし、郡山で高校3年生まで過ごしました。福島県で最も古い安積高校を卒業して、弘前大学医学部に入学しました。そして、医師になってからは、東京女子医科大学の病院を経て、1989年から埼玉県の済生会栗橋病院で外科医として26年間働いてきました。医師不足を痛感したのはこの病院にいたときです。赴任当時の外科医は私を含めて3人、365日24時間、呼び出しがあれば緊急手術に対応するわけです。
外科医として、手術をして患者さんがよくなれば嬉しい。しかし、2000年前後から、都立広尾病院や慈恵医大青戸病院など、医療事故のニュースが増えてきました。そうした報道を見ると、私は現場にいますから、人手不足が関係していることがわかります。ところが、メディアは事故が起きれば「医療機関が悪い」としか書かない。そこで調べてみたら、日本の医師数も医療費も先進国で最低だったんですね。びっくりです。私はそれを世の中に知らせれば日本の医療は変わると信じて、情報発信を開始しました。
新聞記事で医療崩壊の危機を伝えたり、NHKの情報番組、バラエティ番組、ラジオ番組にも出たりしました。毎日新聞では月に1回、社会保障の問題について書かせてもらいました。政治に直接訴えようと、衆議院厚生労働委員会で参考人として意見陳述もしました。しかし、何も変わりません。これはもう外科医の片手間にやっていてはだめだということで、2014年に還暦になったのを機に医師を引退し、医療再生のための活動に専念することにしました。以後、講演をしたり、いろいろな場でお話をさせてもらったり、本を出したり、フェイスブック、ツイッターでデータや情報の拡散もしています。
医師は偏在しているのではなく絶対数が不足している
日本の医療の現場は深刻です。日本では、人口当たりの医師数が絶対的に不足しています。厚生労働省の調査(2016年)によると、医師の数は全国で約32万人。この数字をもとに、厚労省やメディアは「地域によって医師の数が偏在していることが問題だ」と言います。しかし、グローバルスタンダードと比較しないで、国内のこの地域は医師が多いとか少ないとか言っていていいのか、ということです。
OECD(経済開発協力機構)加盟国の平均と比べると、日本で一番医師の数が多い徳島県、京都府、高知県よりも、OECD加盟国の平均のほうが多いんです。だから、偏在が問題ではないですね。絶対数が不足しているんです。日本がOECD加盟国の平均並みにしようとすると、医師が10万人不足しています。にもかかわらず、厚労省は数年後から医学部の定員数を削減しようとしています。そうなると、私も医師不足を訴えるのを「やめられない、とまらない」、かっぱえびせん状態で頑張るしかありません。
ちなみに地域の偏在ということでは、西日本のほうが医師数は多い。これは明治維新で言うと薩長軍、官軍の地域です。つまり国は、医学を学ぶ学校も西日本から先につくっている。東北は医大ができるのも遅かった。この国の医療を考えるときに、温故知新、明治時代からの流れを見ていくことが、大きなポイントになってくるわけです。
それから、医師の労働時間。主要先進国の1週間の労働時間はどうなのか。イギリス、ドイツ、フランスの医師は、全年代別平均で週に60時間以上労働していません。週に60時間以上、1カ月労働をすると、過労死認定基準を超えます。日本は、20代から50代までの医師が過労死認定基準を超えて働いている。日本の医療は、現場の医師の過重労働で医師不足を補ってきたのです。これを是正しないと、医師の過労死も、医療事故もなくすことはできません。
医療費は抑え自己負担は重く、それが日本の現実
次に医療費を見てみましょう。メディアでは、「医療費増大」ということをさかんに言います。2015年に日本経済新聞が「ついに40兆円突破」と報じました。ここにもグローバルスタンダードの視点がありません。主要先進国における総医療費(GDP比)と高齢化率の関係を見ると、他国は高齢化率が上がれば総医療費も上がっています。しかし、日本は高齢化率が上がっているのに、総医療費は抑制されています。
メディアが「医療費が過去最高!」などと報じると、みなさんは「これから超高齢社会になるから、病院の窓口で払う自己負担額が増えてもしようがないなあ」と思いますね。だけど、世界の先進国と比較すれば、日本は国が負担する医療費は最低レベルに抑制されているのに、国民が病院で支払う自己負担分はすでにトップクラスなんです。こうした数字はメディアが書かないので、ご存じの方はあまりいないんですね。
ですから、医療法人の経営が黒字になるわけはありません。国立、公立、公的医療法人の利益率はほとんどゼロ。国立病院でさえ繰り入れ金などで調整してようやく平均5%です。赤字でアップアップしている病院はたくさんあります。私は外科医だったので胃がんの手術もしましたが、日本の胃がんの手術の料金は、アメリカの盲腸の手術の料金より安いんです。
それでは、薬の値段はどうか。日本はイギリスの2倍です。手術料金はイギリスの半分以下なのに、薬の値段は倍。大手製薬会社の内部留保は膨大な額になっていて、利益率60%、70%にのぼる会社もめずらしくありません。赤字の都立病院などは独立行政法人化が検討されている一方で、薬の値段は高価なまま。どうでしょう、日本の医療費配分、あまりにもバランスを欠いていると思いませんか。
社会保障全体で言うと、介護の現場も大変です。日本では介護をするために、年間8万人から10万人が離職を余儀なくされています。しかも、介護施設が不足しているのに、介護業者が次々と倒産している。医療機関と同じく、介護点数が抑制されているので経営が黒字にならないからです。さらに、介護職員の給与は安く抑えられ、介護職員を養成する学校の学生充足率は50%に満たない。
他には、たとえば最低賃金は先進諸国の中で最低水準です。それから、生活保護の捕捉率も最低水準。暮らしに困っていて、生活保護を受けるべきなのに受けていない人が多い。年金も同様です。コンサルティング会社(マーサー・ジャパン)による世界各国の年金制度を評価したレポートによると、年金も最低レベルです。とにかく医療、介護、年金など、ほぼすべての社会保障の分野で国は切り捨てにかかっていると言ってもいいと思います。
医療崩壊のルーツは明治維新にあった
今年(2018年)は明治維新から150年になります。今日のお話のタイトルは「明治維新にメスを入れる」となっていますが、今日の社会保障の崩壊のルーツは明治維新にあると私は考えています。
私が医療と歴史を結びつけて考えるようになった大きなきっかけは、長崎大学名誉教授の高岡善人先生との出会いでした。2006年のことです。ある日、お会いしたこともない高岡先生からFAXが届きました。書き出しはこうです。「昨日はバレンタインデイで私が女性だったらあなたにチョコレイトを贈るところです」。びっくりするでしょ?
高岡先生は『病院が消える 苦悩する医者の告白』(講談社・1993年)という本を書かれていて、医療制度の不備を指摘し、医療改革を提言しておられた方でした。この頃、私は新聞に寄稿したり、医療崩壊について情報発信をしたりしていたので、それを目にして「自宅に来ませんか」と誘ってくださったのです。高岡先生からはいろいろなことを教えていただきましたが、胃がんで亡くなる3カ月前に渡されたのが渋沢栄一の資料でした。
渋沢栄一は、「日本資本主義の父」と言われている人です。『論語と算盤』という著作では、明治国家の問題点を書いています。日本は官尊民卑の官僚社会であること、経済人は社会に貢献する意識が乏しいこと、富は一部が独占するのではなく国全体で共有すべきこと。私はこれを読んで「あっ」と思いました。何も変わっていませんね。医療、福祉を後回しにする社会保障崩壊のルーツはここにあったのです。
そもそも明治維新は、庶民による革命ではなく倒幕派が王政復古を果たした政治体制の変革でした。それを支えたのは、アヘン貿易で大儲けをした英国のマセソン商会が日本に送ったトーマス・ブレーク・グラバーです。薩長両藩は長崎のグラバー商会の支援を受け、戊辰戦争に勝って、明治政府を設立したわけです。
その過程で斬新な憲法の構想を訴えていた赤松小三郎をはじめ、近代司法制度を整備した江藤新平、四民平等をめざした坂本龍馬や西郷隆盛などが命を落としていきます。そうして誕生した明治政府の初代総理大臣は、長州藩出身の伊藤博文です。以降、日本の総理大臣は長・薩・長・薩と交代で続きます。江藤新平は生前こう言ったそうです。「奴ら薩長人は国家というこの苗木を丹精して育てるよりは、その樹液を吸い取ることだけを考えている。これでは苗木はやがて栄養不良で枯死することは避けられん」と。
歴史は勝者が書くものです。明治維新は輝かしい歴史として描かれることが多いですが、私は英国のアヘンマネーに支えられた薩長下級武士によるクーデターだったと思います。天下り、公文書改ざん、身内の優遇、格差と貧困の放置。これは今に始まったことではなく、150年間延々と続いているこの国の姿と言えるのではないでしょうか。
私は長く医師をやっていましたので、「正しい診断をしないと正しい治療はできない」と考えています。なぜ日本の社会保障は機能しないのか。その原因を探っていくと、明治維新までたどり着きます。そうした歴史の流れを十分に理解した上で、一人ひとりが考え、行動できる社会に変えていくことが大事です。社会保障と医療の再生への道のりは険しいかもしれませんが、諦めずに続けていくしかありません。
私が諦めずに活動しているのは、入院していた母がトイレに行こうとして転倒、骨折した、医療事故とも言える経験をしたからです。父は母に「どうして看護師さんに声をかけなかったんだ?」とたずねました。想像した通りの答えが返ってきました。「看護師さんは忙しそうで声をかけられなかったから」と。
私たち医師も、その家族も、病気になります。私たちは現場を一番よく知っています。しかし、現場を知らない官僚が政策を決めているんです。医師不足の解消、社会保障の充実を求めて声をあげることをやめるわけにいきません。希望を捨てず、これからも情報発信を続けていこうと思っています。
本田宏氏(元外科医、NPO法人医療制度研究会副理事長、立教大学兼任講師、日本医学会連合労働環境検討委員会委員)
1954年、福島県生まれ。1979年、弘前大学医学部卒業、同第1外科に入局。その後、東京女子医科大学臓病総合医療センター外科に移動、腎移植、肝移植の研究に携わる。1989年、埼玉県・済生会栗橋病院に外科部長として赴任。2001年、同病院副院長に就任。2011年、7月より院長補佐。2014年、還暦を迎えたのを機に、2015年3月で外科医を引退し、栗橋病院を退職。講演や論文執筆、SNS投稿等による情報発信と市民活動を通して、医療と日本再生の活動を開始。2014年5月7日と2018年7月13日に衆議院厚生労働委員会で参考人として意見陳述を行う。著書は『本当の医療崩壊はこれからやってくる』(洋泉社)、『がんになる性格、ならない性格』(共著・廣済堂)、『Dr.本田の社会保障切り捨て日本への処方せん』(自治体研究社)他多数。