「私自身は福島産のものを食べて応援したいけれど、孫にはちょっと……」
このねじれた感情を抱えつつ8年。「甲状腺被曝の隠された真実」「個人被曝線量論文を巡る疑惑」などが浮上して、答えが見つかるどころか、ますます混乱して、思いは千々に乱れるばかり。
ましてや被災当事者の心情は、どれほどのものだろう。その福島の人々の、心の底に鬱積した思いを言語化し、傷の深さを可視化したドキュメンタリー映画が、来月公開される。『沈黙を破る』(2009)『飯舘村・故郷を追われる村人たち』(2012)など、パレスチナ・イスラエル、福島を追い続ける映像ジャーナリスト・土井敏邦監督が4年の歳月をかけ、100人を超える人々を取材、そのなかから選び抜いた14人の証言で綴る2時間50分の証言ドキュメンタリーだ。
ただひたすら「子どものため」に自主避難した妻と、同じく「子どものため、生活のため」に福島にとどまる夫。その離散家族の軋轢と崩壊。
〈勇気を持って避難した人〉と〈やむを得ず残った人〉、ふるさとを〈捨てた人〉と〈守った人〉の間に流れる微妙なきしみ。
生業を失い、補償金で暮らさねばならないことへの負い目、ふがいなさ。補償金を巡って、ときに牙をむく住民同士の妬み、嫉み感情。帰村宣言で補償を打ち切られた生活苦、先が見えない不安、孤独、絶望。福島産というだけで疎まれ、買いたたかれつつも、消費者を責める気になれないという農家。避難先での差別を恐れ、「大熊」「双葉」と、ふるさとを名乗れない子どもたちの葛藤。
暮らし、お金、心、家族、友人、健康、生き甲斐など、証言者の抱える苦悩の多様さ、深さにまず驚く。そのすべてが「あの事故さえなければ、原発さえなければこんなことにはならなかったのに」という一点に集約されることにまた、言葉を失う。あの原発事故が、これほどまでに深く重く広く、長く複雑に積み重なって、人々の命、暮らしを押しつぶしていくとは……。
圧巻は、帰還困難区域に指定された飯舘村長泥地区の杉下初男さんの30分を超えるモノローグだろう。石材加工の仕事を興し、身を粉にして働いてようやく事業が軌道に乗り、家も新築、息子も後を継ぐ予定だった。そこに起きた事故。ふるさとを追われ、家も仕事も農地も失った。そして将来に絶望した跡取り息子の死。避難生活の中で糖尿病、鬱を煩った息子は、35歳で病死とも自死ともいえない最期を遂げた。
杉下さんの語りには原発のゲの字もでてこない。「息子はきれいに身仕舞いして、ソファに横たわっていた」と、亡くなったときの様子を繰り返し語り、時に自分を責め、なだめ、名状しがたい不条理、理不尽をやり過ごそうとしているように見えた。
「原発問題を描くのでなく、言葉で人間を描くことにこだわった。来年はオリンピック一色で、福島は忘れ去られる。今年しかないという思いで作った」と土井監督。
ネット上の「御用学者」対「放射脳」のバトルはひとまずおいて、イメージ化された「フクシマ」でなく、福島の一人ひとりの声に耳を傾けたい。
(田端薫)
『福島は語る』
(2018年日本/土井敏邦監督・撮影・編集・製作)
3月2日(土)より新宿K’s cinema、3月9日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国一斉公開
※公式サイト
http://www.doi-toshikuni.net/j/fukushima/