「ようこそ、『慰安婦問題』論争の渦中へ。ひっくり返るのは歴史か、それともあなたの常識か」──挑戦的なコピーに重ねて画面に登場するのは、櫻井よしこ、杉田水脈、ケント・ギルバートら、“そうそうたる”顔ぶれ。
劇場でこの映画の予告編を見て、度肝を抜かれた。えっ? これ何? 今の日本で最大のタブーともいえる日本軍「慰安婦」問題に真正面から取り組んだドキュメンタリーなんて、ありうるの? 大丈夫なの?
試写を見て、この戸惑いは吹っ飛んだ。刺激的でエキサイティング、小気味よく痛快。息もつかせぬスピーディな展開に瞬きする間も惜しみ、膝を打ち溜飲を下げ、深くうなずいた。
これまでのこの種のドキュメンタリーは、当事者の証言が重く、当然のことながら見終わった後、深く落ち込むのが常だったが、この映画の場合は、妙にアドレナリンが出て元気になった。そう、知的格闘技をライブで観戦した気分だ。
映画は、「慰安婦」問題を巡るいくつかの論点──しばしば言及される「20万人」という数字、強制連行だったのか否か、「性奴隷」といえるのかなど──をあげ、左右両派の研究者、政治家、活動家、ジャーナリストらのインタビューを交互に紹介、構成している。
両派の人数も発言時間もほぼ同数、みごとな「両論併記」で、結論は観客自身にゆだねる仕掛けなのだが、どちらがまっとうかは明々白々。「慰安婦ではなく売春婦」などといった主張の説得力のなさも、巧まずしてあぶり出される。
今作がデビュー作品となるミキ・デザキ監督は日系アメリカ人のユーチューバーで、35歳(マガジン9でも、来月監督インタビューを公開予定)。
この種のドキュメンタリーは、当事者の語りや人生を中心に据えて、観客に感情的に訴えるのが従来の手法だった。だが元慰安婦や戦争体験者の多くが鬼籍に入った今、それだけでは行き詰まる。この若いアメリカ青年の試み、すなわち〈当事者から地理的にも時間的にも距離をおいて、「人権」「正義」「真実」と言った普遍的な価値観に照らして歴史を検証する〉という視点は、ひとつのヒントになるはずだ。
映画の冒頭に描かれるのは、2015年の日韓合意後、韓国政府要人に詰め寄る、元韓国人「慰安婦」の一人イ・ヨンスさんの姿、締めくくりは元「慰安婦」として初めて名乗り出た韓国人女性であるキム・ハクスンさんの語り。当事者であるハルモニはこの二人しか出てこないが、その二つのシーンはとても印象的で、監督の想いが伝わってくる。
(田端 薫)