誰がために憲法はある(芳地隆之)

 「元号が変わり、現行憲法最後の憲法記念日になるかもしれない日に、憲法に関する映画が一本も上映されない国で、僕は映画にかかわり続けることはできない」

 去る5月3日、川越スカラ座で映画『誰がために憲法はある』が上映され、その後に監督の井上淳一さん、製作の馬奈木厳太郎(まなぎ・いずたろう)さんによる舞台挨拶がありました。冒頭はその際の井上監督の言葉です。

 本作品については、一人芝居『憲法くん』の原作者である松元ヒロさんへのインタビュー「この人に聞きたい」を読んでいただければと思います。ここでは、映画全体の語り手である女優、渡辺美佐子さんが東京・麻布の小学生だったころ、通学路で顔を合わせ、ほのかな恋心を抱いていた水永龍男君のことを。

 龍男君はその後、東京から疎開した先の広島で原爆の爆心地の下に居合わせ、跡形もなく消されてしまった――それを戦後、龍男君の両親から聞かされた渡辺さんは、犠牲者十数万人という抽象的な数字から一人の人間の顔と名前を思うことで、戦争のむごさを自分の身により引き寄せて考えるようになったといいます。そんな渡辺さんがスクリーンで語る憲法の前文。格調が高いという言葉を久しぶりに思い出しました。

 弁護士として、4200人超と最大規模の原告団を擁する福島原発訴訟に携わる馬奈木さんは、観客との質疑応答のなかで、憲法前文にある「再び戦争の惨禍が起こるのことのないやう」の部分についてこう述べました。「私たちが蒙る最も大きな惨禍が戦争であるともいえる。日常生活では大文字の『憲法』を考えるのは難しくても、普段の暮らしのなかで大切にしたいこと、いわば小文字の『憲法』なら考えられるのではないか」。

 映画では公立学校の生徒と女優が一緒に朗読をした後の交流会が描かれるのですが、高校生の顔はいっさいスクリーンに登場しません。「(憲法を守るというメッセージを込めた)この映画に出演したことで生徒の身に何かあったら困る(だから顔を出してくれるな)」という学校側からの要望があったそうです。憲法を守るという意思表示がこの国ではリスクを伴うと少なからずの人が考えている――それがこの国の現実なのでしょう。馬奈木さんが指摘する「小文字の『憲法』に係る一面」ではないでしょうか。

 最後に2人は、「ハリウッド製作のようなヒットを狙った作品ばかりが上映される映画文化は面白いですか?」と私たちに問いながら、「もし同じ作品であれば、大手の系列系ではなく、川越スカラ座に来てください」という言葉で締めました。

 川越スカラ座の歴史は1905年に開業した寄席にまで遡ります。埼玉県最古の映画館です。入場料にはパートナー50割引(夫婦のどちらか片方が50歳以上の場合、2人で2200円)がありますが、事実婚も同性カップルも対象。高校生はワンコイン。メジャーな映画館ではなかなかかからない佳作を積極的に上映すると同時に、『誰がために憲法はある』の翌日には『翔んで埼玉』の応援上映(上映中の発声、サイリウムやペンライトの持ち込み、コスプレ参加OK)を開催するなど、楽しいイベントも忘れません。現在『万引き家族』が上映中の是枝裕和監督は自作の上映ごとにティーチインで足を運びます。多くの映画人に愛される劇場なのです。

 とはいえ、小さな街角の映画館の経営は決して楽ではありません。自分がまちの文化の空間を支えるために、たとえばカンパ以外に何ができるのか。そんなことを考える機会にもなりました。

(芳地隆之)

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