釈徹宗さんに聞いた:どのように異国の宗教と向き合うか ~入管法改正を受けて~

今年4月1日に施行された改正出入国管理・難民認定法(以下入管法)により、「特定技能」による外国人労働者の受け入れを開始した日本。その数は最初の5年間で最大34万人以上にのぼると試算されています。もちろんその中にはキリスト教やイスラム教をはじめ、さまざまな宗教を持つ人たちも。日本にいる外国人の信仰の場を訪ね歩くルポをまとめた『異教の隣人』(晶文社)を上梓した釈徹宗先生に、異なる宗教をもつ人たちとどう暮らしていけばいいのかについて伺いました。

宗教に無自覚である日本人

――議論の前提として、そもそもの宗教の定義について教えてください。

 確たる信仰を持って、特定の教団の信者になること――。そんなイメージを宗教に持っている人が多いのではないでしょうか。それはおそらく近代以降のキリスト教、あるいは「新宗教」の影響によるところが大きいと思われます。
 本来、宗教の定義はとてもむずかしく、ひとくくりにできるものではありません。わたし自身は宗教の特徴として、①生と死に最終的な意味を与えるもの、②聖なる領域を持つもの、であると考えています。先日、テレビで共演したタレントの伊集院光さんが「自分は無宗教だが、おにぎりを土足で踏めと言われてもどうしてもできない」とおっしゃっていました。これも幅広い意味での「宗教的な感覚」と言えるでしょう。

――しかし、大部分の日本人は宗教についてほとんど意識していないように感じます。

 親族のお葬式で初めて自分の家族の宗派を理解する人も多いようですからね。外国人にたずねられて、「無宗教」と答える人も多いでしょう。しかし、お正月・三が日にお寺や神社に行く人は延べ9千万人を超えると言われています。よく考えると、ほぼ「民族大移動」のようなものでしょう(笑)。イスラムの巡礼でもそんなことは起こりません。外国の人にしてみれば、「日本人は宗教民族だ」と思うのではないでしょうか。
 とても宗教的な暮らしをしているけれど、そのことに無自覚である、というのが日本の宗教風土の特徴かもしれませんね。しかし、「信じる」「感じる」「行う」といった宗教的文化は、わたしたちの生活に豊かに存在しています。日本人も豊かな宗教文化を持っているんです。

――日本にはすでに多くの外国人が暮らしていますが、今回の入管法改正でさらに日本社会で生活する外国人の数は増えていきます。言語や文化の違いがあるなかで、私たちがどう共生していくのかは大きな課題ですが、宗教的な面から考えるべき点はあるでしょうか?

 今後5年間で受け入れる数は、現在の留学生や技能実習生を超えるほどのものです。宗教的な視点から考えると、「明確な信仰を持つ人々とともに暮らす」状況がこれまで以上に増えるわけですから、宗教に対して自覚的になることが必要になるでしょう。私たちにとっては違和感を覚える行為様式を持つ宗教に対しても、真摯な営みには敬意を払わなくてはいけません。
 諸外国の例から考えても、異なる宗教を持つ多くの外国人の受け入れが、社会を不安定にさせる一因になる可能性はあります。このことにはきちんと向き合わなければならないでしょう。だからこそ、まずは違う文化や宗教を持つ人たちとどのように向き合うのかについて考えておく必要があるのです。

フランス型とイギリス型

――近年、宗教を含む移民の問題は、諸外国では政治的な争点にもなっています。

 たとえばヨーロッパにおける宗教問題への対処法は、主に(1)フランス型、(2)イギリス型に分かれると言われています。
 フランスは同一化政策です。フランスで暮らすなら、フランス流に合わせろ、というやり方です。フランスでは「ライシテ」と呼ばれる国是があります。これは「公共の場所に宗教を持ち込まない」という原則です。たとえば公共の学校では、イスラム教の女性であってもヴェールやスカーフは禁止です。しかし、当事者にとっては強い抵抗がありますし、禁止行為自体がイスラムヘイトではないかと問題になったりしています。
 一方のイギリス型は、「多文化共生」が原則です。これは、聞こえはいいのですが、いわば分離政策、隔離政策になりがちなんですね。生活範囲がそれぞれのコミュニティー内に限定される傾向が強くなるので、イギリス社会の中での受け入れが進みにくくなります。親の世代で移民してきて、生まれも育ちもイギリスなのに、イギリス社会に受け入れられていないと感じる人もいる。自己のアイデンティティに悩んだイスラム教徒の若者が、IS(イスラム国)に入った例も見られました。

――いずれにしても問題があるのですね。

 移民の問題について長い歴史を持つヨーロッパでも、これだけ苦労しているわけです。しかし、少なくとも「このようにしたい」というビジョンはある。日本は? と言うと、ノー・ビジョンですよ。しかも、歴史もなければ、スキルもない。そもそも移民の問題について、宗教的な側面から語られることはまずありません。ですから「人手不足」だけを理由に、外国人に対して広く門戸を開くことにはあやうさを感じざるを得ません。

――釈さんは『異教の隣人』という書籍で、イスラム教のモスクなど関西にある22カ所の「祈りの場」をたずねて紹介していますね。さまざまな宗教を信仰する異国にルーツを持つ人々が、日本で暮らしながらどのような神様を信じ、生活し、考えをもっているかについて焦点を当てています。

 宗教施設はアーカイブ装置の機能もあって、そこにアクセスすれば信仰に限らず、伝統文化、食事、礼儀作法など、世代を超えてつながることができます。異国で暮らしていると、人間はどうしても「疎外感」を感じてしまいますからね。ですから、異国で大勢の人が暮らし始めると、そこには必ず宗教的な場所が作られることになる。それは、日本で暮らす彼らのコミュニティーに安定をもたらします。これから日本で外国人が増えるにつれて、このような宗教施設が増えていくことになるでしょう。この企画では関西を中心に取材しましたが、東京にはすでにもっとたくさんあることは容易に推測できます。

理解できないけれど、尊重する態度

―そのような施設が増えていくことに不安を感じる人もいるかもしれません。

 ええ、そうなんです。自分たちと異なる行為様式を持つ人たちに対して、恐怖や偏見を持つのは当然の反応です。また、宗教領域の特徴的なところもありまして、他の人権問題と比べて、なかなか理解や受け入れが難しい部分があります。たとえば、私たちにとっては「ただの図柄」でも、特定の信仰を持つ人にとっては極めて重要なシンボルだったりすることがある。このように、宗教には信仰していない人にとっては、共感しにくい部分が出てきます。だからこそ、「理解できないけど、尊重する」という態度が重要になってきます。

――そのような意味においては、行政の役割も重要ですね。

 たとえば、日本ではご遺体のほとんどが火葬されるのですが、イスラム教では土葬でなければならない。しかし、日本で土葬は極めて困難です。だからといって、単純に「日本では火葬するので、外国の人も埋葬は火葬にしてください」というわけにはいきません。これ、考えていかねばならない案件でして。宗教の問題は理屈ではうまくいかないんです。だからこそ、宗教に関する知識をとくに行政で働く人には持ってほしいと思います。
 最近、わたしのお寺の近所のおまわりさんが「外国人が増えてくるから、宗教の勉強会をしようと思っている」とおっしゃっていましたが、そのような思いを持つ人が増えてくれるといいなと思います。「宗教文化士」(※)のような資格もありますので。

※宗教文化士:宗教文化教育推進センターによる、日本や世界の宗教の歴史と現状などについて専門の教員から学んで宗教への理解を深めた人に与えられる資格。旅行関係や国家公務員などの公的機関、教育関係、観光葬祭業での活用が想定されている

イギリスの宗教教育にヒントがある

――具体的に、日本で暮らす外国人にはどのような苦労があるのでしょうか。

 やはり先述の埋葬の問題はやっかいなようです。たとえば、神戸や横浜は早くから外国人墓地があって対応してきました。また、最近ムスリムたちが協力して、自分たち用の墓地を購入したりしているようです。そのほかには、ハラールフード(※)に代表される食事や、教育についての悩みをよくお聞きしましたね。みなさん「日本はいい国だ」とおっしゃるのですが、やはり自国の文化や歴史、宗教について次世代に伝えていきたいと考えていて、そのような施設が少ないことには苦労をされています。

※ハラールフード:イスラム教の戒律で食べることが許された食べ物のこと

――改めて、後の日本に必要になってくるものは何でしょう。

 「特定技能」による外国人の受け入れ対象9カ国は、宗教のバックグラウンドもさまざまですし、各個人の信仰の深さにもグラデーションがあります。一律に線引きすることはできません。ですから、これまで無関心だった日本人も、異国から来た宗教や文化を持つ人々と上手に折り合いを付けるための「宗教的なセンス」を涵養することが大切になってきます。
 たとえば、イギリスの宗教教育はなかなか良い取り組みがあるようです。幼児教育の時期から、絵本などで「ユダヤ教の人々はこんなことを大切にして暮らしているんだよ」といったことを学ばせ、以降も教科書などを使いながら、より高度な知識をきちんと教えていくんです。子どもたちの関係においても、行為様式が自分たちと異なれば、そこに排除や偏見やいじめが起こったりしますから。
 私も実際の現場を知っているわけではないのですが、イギリスの宗教教育についての報告や研究を読む限りでは、「他者の信仰を理解するのはむずかしい、でもその違いを学びながら、人間として互いに何を尊重していけばいいのかを模索する」等を各自で考えさせる内容になっているようです。これからより多くの外国人を受け入れる日本でも、そのような宗教教育がいよいよ求められてきていると言えるでしょう。

(取材・構成/岡本博司 写真/マガジン9編集部)

釈徹宗(しゃく・てっしゅう) 1961年生まれ。宗教学者・浄土真宗本願寺派如来寺住職。相愛大学人文学部教授。専攻は宗教思想・人間学。特定非営利法人リライフ代表。主な著書に『死では終わらない物語について書こうと思う』(文藝春秋)、『お世話され上手』(ミシマ社)、『法然親鸞一遍』(新潮選書)、『ゼロからの宗教の授業』(東京書籍)など著書多数。『落語に花咲く仏教――宗教と芸能は共振する』で第5回河合隼雄学芸賞を、『不干斎ハビアン――神も仏も棄てた宗教者』で第5回涙骨賞を受賞。2017年、第51回仏教伝道文化賞沼田奨励賞受賞。