「殺された彼女は私だったかもしれない」という切実な沖縄の思い(仲松亨徳)

 6月2日、沖縄県北谷町のちゃたんニライセンターカナイホールで、4月に発生した米海軍兵による女性殺害事件の緊急追悼・抗議集会が行われ、在沖中だった私も参加した。ほぼ満席の会場は、参加者の憤りと悲しみに覆われていた。
 4月の事件とは、同町桑江のアパートで日本人女性と在沖米海兵隊所属の男性海軍兵が死亡しているのが見つかったもの。女性を殺したあと自殺したと見られている海軍兵は、女性との接触を禁止する「軍事保護命令」(MPO)を適用されていた。MPOとは、DV(ドメスティックバイオレンス)の訴えなどがあった場合に、憲兵隊(MP)や軍の上司が適用を決める措置だ。
 しかし、勤務外の行動指針「リバティー制度」を緩和した直後、この事件は起きた。室内には女性の子どもがおり、現場を発見して親族に連絡し、親族が110番通報したという。つまり第一発見者はこの子どもなのだ。なんと残酷なことだろう。
 集会では玉城デニー県知事も挨拶し、実効性のある抜本的対策を日米両政府に求めるとともに、残された子どもたちら遺族への心身のケアをしっかり行うことを表明。ほかに、国会議員、県会議員らも多く参加したが、彼らの挨拶などはほぼなかった。それは主催者の「住民の声を議員らに聞いてもらうことを第一に」という意向からだったようだ。
 「地域から」というタイトルで登壇したのは同町栄口自治会会長の島袋艶子さん。姉妹による民謡グループ「でいご娘」の長女というほうが通りがいいかもしれない。自身も両親を米兵が起こした事故で亡くし、心の深い傷を未だに抱えていることを吐露した。 
 続いて9人の市民代表がそれぞれの思いをリレートークした。残された子どもへの気遣い、一向になくならない米軍基地、隣人として接さざるを得ない米兵への不安…。本当に“直面”させられている人の切実な声は、本土在住の私に深く突き刺さった。
 何よりも、この集会のタイトルが住民の皆さんの気持ちを表しているだろう。「『彼女』は『わたし』だったかもしれない…」

(仲松亨徳)

集会の模様は翌3日付の新聞で大きく取り上げられた