第79回:暴走する「安倍語辞典」(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

「蚊帳の外」も使用禁止語に…?

 トランプ大統領と金正恩委員長の突然の会談。マスメディアは一斉に「電撃的」と報道していたが、伝えられる情報を詳しく見ていくと、やはりその裏には文在寅韓国大統領のかなり周到な根回しがあったようだ。つまり、米朝韓3ヵ国共同の外交成果だったわけだ。
 むろん、中国の習近平主席と金委員長の先日の会談も、そうとうな影響を与えているとも思われる。
 ここで問題になるのは、我が日本である。
 日本外務省もトランプ氏のツイッターは読んでいただろうが、あれはいつものトランプ流のパフォーマンスだという理解、まったく情報の過疎地帯になってしまっていた。つまり「蚊帳の外」だったわけだ。
 政府広報と化しているNHKニュースでさえ、外務省は情報をつかんでいなかったと認めた、と報じていた。

 こんな話が流れている。
 首相官邸から外務省などに対して「蚊帳の外」という言葉は使用禁止、というお達しが出たというのだ。
 朝鮮半島の緊張緩和どころか、それを害するような政策をとり続けてきた安倍政権が、米朝首脳会談や南北首脳会談の邪魔になっているのは明らかだということを、やっと官邸も気づき始めている。だからこそ、「蚊帳の外」を認めるわけにはいかないのだ。
 失敗続きの安倍首相にとって、最後の切り札ともいえる拉致問題も「蚊帳の外」のままだ。さすがに拉致家族会の方々からも、安倍首相の大言壮語の割にはまるで中身のない対応に、そろそろ批判も出ているようだ。

「何もしない」→「向き合う」

 安倍首相はそれでも、ニコニコ動画の党首討論で「トランプ大統領から私の考え方を金委員長に伝えていただいた。私も最終的には、金氏と直接向きあって解決しなければならないと思っている」と強がった。
 今回の短時間の米朝首脳会談で、トランプ氏が金氏に「拉致問題」について言及したという報道は一切ない。にもかかわらず、安倍首相はそんな強がりを言う。
 「安倍語辞典」は、さまざまな言い換えに満ちている。言葉を換えれば実質も変化するとでも言いたいようだ。だがここにきて、「安倍語辞典」は、言葉の追放にも手を染め始めたらしい。「蚊帳の外」という言葉を、とうとう辞書から消し去ったのだ。
 「向き合う」という言葉も、安倍語では、実質的には「何もしない」ということを意味する。
 政治家は言葉のファイターでなければならない。だが、その言葉を自分の都合のいいように言い換えるのであれば、ファイト(言葉の闘い)など成立しない。
 安倍首相の国会での質疑がまったく機能しないのは、メチャクチャな「安倍語」を駆使するからだ。その意味でも、安倍晋三氏は政治家としての資質を失っている。

「投資」→「資産形成」

 年金の「2000万円問題」が参院選の争点になっている。
 その中で、ちょっと引っかかるのも、やはり言葉の言い換えだ。例えば、年金だけでは暮らせないから「投資」によって不足分を補う、というのが金融庁などの報告書だったわけだ。その「投資」がいつの間にか「資産形成」という言葉にすり替えられていた。
 「投資」では失敗のリスクもイメージされるから、「資産形成」で乗り切ろうというわけだ。
 どう考えたって同じ意味だろう。それをまたしても言葉のすり替えによってごまかしにかかる。

「航空母艦」→「多用途運用護衛艦」

 これが、軍事だともっとひどいことになる。
 まず、「武器」を「防衛装備品」と言い換えたのは記憶に新しいが、「武器輸出」を「防衛装備品移転」とは、いったいどういう言語感覚の持ち主なのだろう。
 極めつけは護衛艦「いづも」の呼称である。「いづも」は改修によって、その機能面からも誰が見ても航空母艦としか思えないものに変身。これまでは、専守防衛の立場から所有しないとされてきた空母なのだから、批判は必至だった。そこでまたも姑息なことに、これを「多用途運用護衛艦」という呼び名でごまかしにかかった。
 しかも、その前段もあった。2018年防衛大綱では、「空母」をボカして「多用途運用母艦」とすることにしていたのだが、最終的にはこの「母艦」をさらに分からないように「多用途運用護衛艦」と、何がなんだか分からない名称に落ち着いたのだという。
 まあ、「退却」を「転進」、「全滅」を「玉砕」、最終的には「敗戦」を「終戦」と言いくるめたような国だ。その“美しい国”の伝統を継承している内閣なのだから、「安倍語辞典」の中身も分かる。

「責任がある」と「責任をとる」との違い

 言い換えもすごいが「安倍(内閣)語」で際立つのは、デタラメな言葉の用法である。
 安倍自身が、何か不祥事で責任を問われると、必ず口にするのが「責任は内閣総理大臣たるアタクシにあります」というフレーズだ。だが、「責任はある」と言いながら「責任をとる」とは決して言わない。
 つまり「責任をとる」を「責任はある」でごまかしにかかるのだ。
 「ある」なら「とる」のが当たり前だろう。だが、安倍は「ある」と「とる」を使い分けて(というより、ごっちゃにして)、結局は「責任逃れ」をしているに過ぎない。言葉をバカにし過ぎている。

「捏造」→「誤記」

 「責任者」がそんな態度だから、政府が丸ごと無責任になるのも当然だ。それが典型的にあらわれたのが、イージス・アショアの配置地を巡る防衛省の態度だ。
 その候補地とされた秋田市新屋地区の検討結果の報告書に、9カ所の「誤記」があったとして、岩屋毅防衛相は、秋田県に対して謝罪した。のちに、さらに2カ所の「誤記」も判明し、同じく山口県の阿武町と萩市の配置予定地でも、同様の「誤記」が判明した。
 問題は、この「誤記」という言葉である。
 ほんとうに「誤記」、つまり誤って記したものであるなら、この謝罪も意味をなす。しかし、とてもそうは思えない。
 もし「誤記」ならば、なぜすべてが、防衛省に都合のいいような「誤り」なのか。この中に防衛省にとって不利な「誤り」もあるのなら、その言い訳も認められよう。だが、秋田9カ所(計11カ所)、山口2カ所の「誤記」すべてが、防衛省の説明に都合のいい「誤り」だったのだ。
 こんなバカなことがあるか!
 これは明らかに「捏造」である。自らに都合のいいように書き換えるのは「誤記」ではない。普通の言葉では、「捏造」というのである。ふつうでない「安倍語辞典」は常軌を逸している。
 ここにも「安倍(内閣)語」の、凄まじいばかりの言い換えがある。

安倍政治は“オワコン”である

 言葉をまともに扱えない政治に未来はない。その意味からも、安倍政治はもはや“オワコン”なのである。
 「安倍語辞典」は安倍本人から内閣全体へ。そして政府そのものへと暴走の度合いを強めている。言葉の暴走は、いつか国民を傷つけることになる。その前に、暴走は止めなければならない。

 選挙が近い。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。