あいちトリエンナーレで『平和の少女像』作者の話を聞いて(仲松亨徳)

 国際芸術祭あいちトリエンナーレ2019は10月14日閉幕したので、事後報告のようなレポートになってしまうが、「表現の不自由展・その後」再開を受けて9日、私は名古屋へ向かった。それまでにあいちトリエンナーレを見には行っていたのだが、やはり自分の目で“いま”どうなっているか見たかったのだ。

 河村たかし名古屋市長らが僅かな時間の「座り込み」を行った前日とは違って、会場の愛知芸術文化センター周辺は落ち着いていた。抽選の行われる10階へ上がる。この日はそれぞれ2回分の抽選が3度行われた。9時40分の抽選には間に合わなかったが、12時10分と15時10分の抽選にトライ。大行列ができていたから倍率はどのくらいだったのだろう、2回とも外れて当選の35人の中には入れなかった。

 しかし、当然のことだが展示はこれだけではない。中断に抗議して公開中止した展示が再開したものも楽しみだった。中でも、この日見ることができて感銘を受けたのが、「トークイベント『表現の不自由展・その後』~キム・ソギョン&キム・ウンソン」。2人は、あの『平和の少女像』の制作者である韓国の彫刻家夫妻だ。ほかの登壇者は表現の不自由展実行委員の岡本有佳さんと、あいちトリエンナーレキュレーターの会田大也さん。

 日本軍の従軍慰安婦であったことを初めて告白した金学順(キム・ハクスン)ハルモニ(おばあさん)の苦労をそのままでは表現できないと思った2人は、平和のかたちとして韓服姿の少女像を作ることにした。その髪形や肩に止まった鳥、ハルモニに見える影(これは娘さんのアイデア)などのデザインに苦心したという。そして、この像は空いた椅子に座って少女像に握手してくれることで完成する、と語った。

キム・ソギョンさん(左)とキム・ウンソンさん

 また2人は、やはり元慰安婦でありサバイバーである金福童(キム・ボクトン)、吉元玉(キル・ウォンオク)ハルモニの「ナビ(蝶)基金」の平和への思いから、ベトナム戦争での韓国軍の残虐行為にも目を背けることはできず、その被害者に寄り添う像である『ベトナムのピエタ』を制作した。ベトナム語のタイトルは『最後の子守唄』。無名のまま性暴力の末死んだ子どものための最後の子守唄であるという意味だ。

 少女像もピエタ像も、性暴力の告発でもあるが、何より戦争のない、誰もが人権を搾取されない平和な世界への希求が込められた塑像だということが分かる。

 民衆芸術という言葉がある。女子美術大学非常勤講師の古川美佳さんによれば、韓国の軍事独裁政権と闘う民主化運動に呼応して生まれた美術のことだという。韓国では国家権力との闘いの先頭に文学者や芸術家が立っており、その文脈上であればこの作品は当然と言えよう。

 最後にキム・ソギョンさんとキム・ウンソンさんはこう語った。「相手を尊重するところから対話が始まる。歴史を直視することから逃げてしまっては対話にならない。そうした対話を始めるために、ここに出品した。私たちはどんな批判も受ける」と。

 さまざまに話題を呼んだ展覧会だったが、「表現の不自由展・その後」の中断とその後の再開、この間の文化庁による助成金不交付の決定など、小間で言うとたった一つの展示が全体に大きな影響を与えた。菅義偉官房長官、河村名古屋市長、さらに歴史修正に加担する人々が、民主主義の重要な要件である表現の自由にあからさまな干渉を加えてきたのだから、閉幕したからと言って終わらせられる問題ではない。芸術監督を務めた津田大介さんは、助成金不交付を撤回させる働きかけを今後も続けていくという。

 最後に、私が見、体験して特に感銘を受けたあいちトリエンナーレの展示を挙げておこう。愛知芸術文化センター:田中功起『抽象・家族』、パク・チャンキョン『チャイルド・ソルジャー』、パンクロック・スゥラップ『進化の衰退』、名古屋市美術館:モニカ・メイヤー『The Clothesline』、四間道・円頓寺:岩崎貴宏『町蔵』、葛宇路『葛宇路』、豊田市美術館・豊田市駅周辺:ホー・ツーニェン『旅館アポリア』、レニエール・レイバ・ノボ『革命は抽象である』、高嶺格『反歌:見上げたる 空を悲しも その色に 染まり果てにき 我ならぬまで』。

 現代美術の「お祭り」として、実に楽しかった。次回のあいちトリエンナーレ2022も楽しみだ。

高嶺格『反歌:見上げたる 空を悲しも その色に 染まり果てにき 我ならぬまで』

(仲松亨徳)

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