『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』(橋本一夫著/講談社学術文庫)

 IOC(国際オリンピック委員会)委員として東京への1940年オリンピック招致に尽力した嘉納治五郎と副島道正は、「事変」として宣戦布告なくして始まった日中戦争が泥沼化し、国際社会の日本に対する批判が高まっていくなか、お互いに相反する見解をもつようになった。
 嘉納は「時局が緊迫してもオリンピック開催という『国際公約』は守りぬこう」と主張した。こうした状況だからこそ、オリンピックが平和へのメッセージになるとも。一方の副島は、むしろ早期に返上を決め、開催都市をロンドンかヘルシンキに譲るのが「国際信義を守ることになる」との立場であった。日本軍が中国から撤退しない限り、東京でオリンピックを開催しても多くの国がボイコットすることが予想されたからである。副島は日本が国家としての面目を失うことを恐れていた。
 本書は、東京五輪の招致から返上までの経緯を、日本の国内外の情勢を詳述しながら臨場感に富む筆致で再現する。
 副島の懸念は1936年のベルリン開催を控えたドイツにもあった。1933年にアドルフ・ヒトラー率いるドイツ国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が政権を握って以来、国内で強まっていくユダヤ人排斥の風潮が、とりわけ米国のIOC委員の反発を買い、ユダヤ人差別の撤廃が求められたのである。この要求をドイツのオリンピック組織委員会会長、テオドル・レヴァルトは受け入れたが、彼には実権がなく、「撤廃」も見せかけのまま、ベルリン五輪は開催された。そして表面的には国家的な大事業として成功を収めることになる。
 この間、日本はイタリアの独裁者、ベニト・ムッソリーニから1940年に開催都市として立候補していたローマが辞退することの了承を取り付け、ヒトラーの後押しもあって東京への招致を実現する。しかし、国際的に独立国として承認されていない満洲国の参加は難しい、現人神である天皇のオリンピック開会宣言の朗読は認められないなど、平和の祭典を妨げる理由には事欠かず、東京オリンピックが返上となった1940年は、第二次世界大戦の勃発によりオリンピック自体が中止となった。
 嘉納や副島の夢が実現するには1964年まで待たなければならないのだが、さらに半世紀を経て再び東京でオリンピックが開催されることになった経緯を振り返ると、一国の首相による「福島原発の状況はコントロール下にある」という根拠なき発言、当初予算を大幅に上回る建設費、JOC(日本オリンピック委員会)会長の汚職疑惑など、スキャンダルが明るみに出ても、誰一人責任を取らず、なし崩し的に準備が進む様ばかりが目立つ。
 日本は1940年の東京五輪を返上し、破滅への道を進んだ。2020年の東京五輪開催後にはどのような道が敷かれるのか。
 歴史の過ちを繰り返す愚を避けるためにも一読をお勧めする。

(芳地隆之)


『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』
(橋本一夫著/講談社学術文庫)

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