林博史さんに聞いた(その2):現代の性暴力をなくし、よりよい未来をつくるために。「慰安婦」問題と向き合うべき理由

旧日本軍「慰安婦」の問題を含め、日本の戦争責任問題について長年、研究を重ねてこられた歴史学者の林博史さん。マガジン9でも2007年にインタビューに登場いただいています。
そこから12年以上。大きな注目を集めた「表現の不自由展・その後」についてなど、日本軍「慰安婦」問題のいまを中心にお話しいただきました。※(その1)はこちらから。

なぜ「慰安婦」問題は「炎上」するのか

──「慰安婦」問題の特徴として、他の戦争責任の問題と比較しても非常に感情的な反応が目立つということがあると思います。ネット上でも非常に「炎上」しやすいテーマになっていますし、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」内の企画展「表現の不自由展・その後」にしても、「慰安婦」をモチーフにした「少女像」の存在があったからこそ、あそこまでの反応があったのではないかという気がするのですが……。

 そういう面はあると思います。これは推測に過ぎませんが、やっぱり男性の中に、「性」の問題には触れられたくないという感覚があるのではないでしょうか。
 特に日本社会においては、女性は男性を楽しませるための存在だという意識が非常に強いでしょう。テレビ番組を見ていても、女性アナウンサーだけが「女子アナ」と呼ばれたり、ほとんど素人のような若い女性をアシスタント役で出して、男性の知識人から「ものを教わる」という構図の番組がいまだに目立っていたり……。
 つまりは、女性は男の欲求を満たすためにいろんなことをやる存在なんだという感覚が根強く存在している。そこを批判されたくない、ましてや「慰安婦」については、命をかけて闘っている兵隊さんを癒やす存在なんだから、「けしからん」なんてとんでもない……そういう感じ方なのかもしれません。

──そう意識しているかは別として、「感情的に反応する」背景に、そういう感覚があるのかもしれない、ということですね。

 ただ一方で、戦争犯罪の中でも性暴力の問題についてはなかなか加害者側が認めようとしない、というのは、日本だけの話ではないというのも事実です。

──外国でもそうなんですか。

 ほとんどの国がそうですね。韓国では、日本軍「慰安婦」問題に取り組む団体が、ベトナム戦争における韓国軍の性暴力についても調査を進めていますが、韓国社会全体で見るとなかなか受け入れられない。
 また、しばしば「戦争責任にしっかりと向き合っている」と評価されるドイツでさえ、第二次世界大戦中に国防軍が東ヨーロッパなどで設けていた慰安所──日本軍のように外から女性を連れてくるのでなく、現地の売春宿を軍が管理するという形だったようですが──については、いまだ否定する人も多く、議論になっています。
 また、ユダヤ人強制収容所内にも慰安所のような場所があって、収容者の女性が働かされていました。利用するのも収容者の男性で、よく仕事をしたなどの「ご褒美」として使われていたようです。こちらはかなり研究が進んでいて、収容所跡の展示の中でも解説されているのですが、ドイツという国の戦争犯罪というよりも「ナチスによる犯罪」という感覚だからかもしれません。

──今のドイツ国家とは切り離された存在だから認めやすいということですね。

 あと、フランス軍も19世紀の初めから1960年代初めまでという長期間にわたって、各地の売春宿を軍の管理下に置くという形で「慰安所」を設けていたことが分かっていますが、これもまだほとんど研究が進んでいません。

日本は戦争責任に関する市民運動の「先進国」だった?

 例外的なのはイギリスですね。イギリス軍も19世紀に、植民地にしていたインドで「慰安所」を作っていたことがあるのですが、イギリス本国の女性たちが抗議したことによって廃止されるんです。

──女性たちの抗議によって、ですか?

 そうです。1870年にできた女性運動団体が、インドまで調査員を送り込んで調査して、議会で厳しく追及するんですよ。そのときの資料がきちんとアーカイブに保存されているのですが、「国が管理する売春制度──日本でいう公娼制度ですね──のもとに置かれている女性たちはスレイブ(奴隷)だ」と明言して批判を展開しています。さらに「人権」という言葉を使って、これは明らかに女性への人権侵害だから、国家がそういうことをやるべきではないと述べているんです。日本では、それから百数十年経った今も、「慰安婦は公娼だったから性奴隷ではない」なんていう言説が流れているわけですが。

──「慰安婦」の問題が韓国との外交問題としてのみ扱われることも多く、これは普遍的な人権問題であるという認識すらいまだ共有しきれていないように思います。

 そこは大きな差ですね。実は、日本の近代公娼制はイギリスの制度に学んで導入されたといわれているんですが、そこは学んだのに、廃止については学ばなかった。それどころか、日本はその後他国よりもはるかに大規模な「慰安所」を各地に設けていったわけで、大きな誤ちだったと思います。
 ただ、日本のいい面も言っておくと、先に述べたように多くの国々が自国が加害者となった戦時性暴力の問題をほとんど追及していない中で、これだけ市民による「慰安婦」問題への取り組みがあるというのは、すごいことだと思います。ある意味では、日本は戦時性暴力問題における「先進国」だともいえるんですよ。
 そもそも、戦争責任全般に関しても、ドイツの取り組みが進んでいるといわれるけれど、ドイツの場合は政府主導でしょう。それに対して、日本は市民運動として、自国の加害責任を追及する動きがきちんとある。これはきわめて珍しい、先進的なことだと思います。

──なんだか、ちょっと意外な感じもしますが……。

 ただ、その理由を考えると、結局は「韓国やインドネシアなどで、被害者である元『慰安婦』女性たちが声をあげたから」ということに行き着くのかもしれません。

──フランスやドイツのケースは、被害者の女性は名乗り出ていないのですか。

 ほとんどありません。旧日本軍の「慰安所」ほど短期間に、大量の女性たちが一気に集められて働かされたわけではないので、被害者がまとまって声をあげにくいということが一つ。それから、フランスの場合だと被害者はアルジェリアなどアフリカ諸国の女性が多く、社会の空気として、性被害に遭った女性が名乗り出るのにハードルが高いということも考えられます。
 ドイツの場合も、被害者が多いと思われる東欧は、戦後冷戦下で言論の自由がない状況に置かれていました。また、ドイツ軍兵士の「相手をしていた」ということで、迫害を受けるケースもあったのではないでしょうか。
 韓国やインドネシアでも、かつては被害者女性たちは差別などを恐れて沈黙していました。それが民主化を迎えて、ようやく声をあげられたわけです。社会全体が民主化して、自分たちの体験を性暴力として理解してくれる人がある程度いるという状況にならないと、なかなか被害者が名乗り出ることは難しいんです。
 日本の場合は、被害者の数が非常に多かったことと、韓国などの民主化があって被害者が名乗り出たことで、結果としてこの問題と向き合わざるを得なくなって、市民運動が活発になってきた。一方で、社会にはびこる性差別や性暴力のことを考えても、人権に対する社会全体の感覚はとても進んでいるとはいえないのが現状だと思います。

よりよい世界をつくるために、過去の過ちから学んでいく

──今、他国の「慰安所」の事例についてもお話しいただきましたが、そうした事実を取り上げて「他の国もやっていたのに日本だけが責められるのはおかしい、自虐的だ」と主張する声も少なくありません。それに対してはどうお考えですか。

 自分や自分が属している集団が何か悪いことをしたときに、その事実を認めて謝って、「二度と同じことを起こさない」と誓うことが、なぜ「自虐的」なのでしょうか。むしろ、人として当然のことでしょう。
 人が生きていく上では、失敗することもあるし、場合によっては罪を犯してしまうこともある。でも、それを隠したり否定したり、開き直ったりしていては何も変わらない。間違っていたことは間違っていたと認め、反省することで、自分自身が進歩していくのではないでしょうか。ましてや、戦争犯罪は今の世代にとっては自分の手で犯した罪ではないからこそ、親世代、祖父母世代の経験から学び、同じことが起こらないような社会の仕組みや組織をつくっていくことが重要だと思うのです。
 性暴力がまた起こりかねないような社会のままであったら、自分たちだって安心して生きていけない。だったら、なぜそんな社会になってしまったのか原因を突き止めて、二度と起こらないようにしよう、そうすれば自分たちももっと安心して、もっといい社会で生きていける──。そう考えるべきではないでしょうか。

──単なる「過去の過ちを謝罪する」という話ではなく、今後私たちが生きていく世界をよくするために、過去から学んで行動していこう、ということなんですね。

 2007年にアメリカ下院が「元慰安婦の女性に対する日本政府の公式な謝罪を求める」という内容の簡易決議を出しました。一部では「日本非難決議」などともいわれましたが、この決議を主導した人たちの議会での発言を読んでみると、「戦後、平和国家に生まれ変わった日本は、慰安婦の問題にもきちんと取り組んでくれるだろう。そうして日本は、現代の性暴力をなくしていこうという世界的な取り組みにおいても、リーダーシップを取ってくれるだろう」ということを言っているんです。

──非難というよりも、むしろ「期待」ですね。

 そうなんです。決して「日本が悪い、だから謝れ」ではない。日本は平和国家として生まれ変わったんだから、性暴力根絶においてもリーダーシップを取ってくれるはずだという期待。そして、それが実現すれば、日本という国への評価もさらに高まるだろう、という未来図が描かれているんです。
 事実を認めて反省して償うことは、決して自分を貶めることではない。むしろそれによって、自分自身への評価を高めることにもなる。そして、「慰安婦」問題ときちんと向き合い、同じようなことが世界のどこででも繰り返されないようにするための行動をしていくことは、過去のみならず現在の性暴力で苦しんでいる人を励ますことにもなるはずです。
 もう一つ付け加えるなら、「慰安婦」のことを研究している人は圧倒的に女性が多いけれど、私はこの問題は、男性こそが取り組むべき問題だと思っています。性暴力や性差別はよく「女性問題」という言い方がされるけれど、本来は暴力をふるい、差別する側──多くの場合は男性──の問題であるはずです。「慰安婦」の問題についても、加害者の立場にあった日本人、そして男性こそが、むしろ率先して考えなければならない。その思いが、私がこの問題に取り組み続けてきた理由の一つでもあるのかもしれません。

(構成/仲藤里美、写真/マガジン9編集部)

はやし・ひろふみ 1955年、兵庫県神戸市生まれ。関東学院大学経済学部教授、日本の戦争責任資料センター研究事務局長。専攻は現代史、軍隊・戦争論。主な著書に『暴力と差別としての米軍基地』(かもがわ出版)、『沖縄戦と民衆』(大月書店)、『沖縄戦 強制された「集団自決」』(吉川弘文館)、『裁かれた戦争犯罪』(岩波書店)、『日本軍「慰安婦」問題の核心』(花伝社)など多数。