第103回:「単純二分法」の闇(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

すべてを「敵か味方か」で判断する愚かしさ

 昼時、ある食堂でラーメンをすすりながら、何気なくテレビを観ていた。ワイドショーが「ゴーン被告の国外逃亡」の特集をやっていた。相変わらずだなあ…とつくづくイヤになった。
 例によって“専門家”と称する人たちがそれぞれに意見を述べていた。それはそれでいいのだが、つけられたタイトルが(正確には憶えていないけれど)「世界は、ゴーン被告の味方か、日本の味方か」というようなものだった。なんだ、それ?
 この単純な「二分法」、すなわち、あらゆるものを「敵か味方か」で区別する分け方が、世界をどれだけ毒しているか。かつてほどの力はないにしても情報発信の大本たるテレビが、なぜ気づかないのだろう?

埴谷雄高の言葉から…

 「やつは敵である。敵を殺せ」(だったかな?)というようなことを言ったのは埴谷雄高だったと思う。それこそが「旧い政治の公式」であり、敵とはなにか、について真摯に考え詰めたものはまったくいなかった…と、埴谷は書いていたはずだ。やはりこれが、古来変わらぬ政治の本質なのだろうか。それを、テレビマンたちは、何の疑問も持たずに繰り返す。旧い二分法を、まるで意識することなしに使い回している。
 埴谷は、実はそこからの脱却を説いたはずで、政治の本質的な悪(歪み)を克服しなければ政治は死ぬ。埴谷の思考がいまも古びないのは、逆に現実が少しも新しくなっていないからだろう。

日本司法への世界の目

 前回のこのコラムでも書いたけれど、ぼくはゴーン氏を擁護するつもりなどさらさらない。ぼくは車が好きだけれど、日産車を買ったことはない。代金のうちの何%かを、あの強欲な(と感じていた)ゴーン氏に持っていかれたくはない、と思っていたからだ。
 しかし、ゴーン氏の強欲さと日本の司法の在り方とは別問題だろう。ゴーン氏がどんなに悪辣であろうと、それが日本の司法制度が正しいことの反証にはならない。
 少なくとも、自白しない限りいつまでも“監獄”に閉じ込めておくことや、家族との面会すら制限するといったやり方が、正しい司法の在り方とはいえまい。そして、その長期勾留が、ゴーン氏だけの特殊なケースではないというところが、日本司法の問題なのだ。
 例えば、沖縄での米軍基地反対運動のリーダー山城博治さんの場合。山城さんは悪性リンパ腫に罹病していたにもかかわらず、微罪の容疑でほぼ5カ月間も勾留されたのだ。その間、弁護士以外の接見も認められず、沖縄とはいえ冷える冬でも、靴下さえ「長いものは自殺に使用される恐れがある」というような理由で差し入れできなかったという。これが「人権侵害」でなくてなんと言えばいいのか。
 長期勾留といえば、あの籠池夫妻も勾留期間は10カ月に及んでいた。このケースでも、本人たちの自白の有無が焦点となっていた。要するに、容疑を認め検察の見立てに沿った自白をしない限り、簡単には保釈してもらえないというのが、現在の日本の「人質司法」と言われるものだ。
 さらに、弁護士の立ち合いなしでの被疑者取り調べは、世界各国では「人権侵害」とされているのだが、日本ではそれが常識だ。

森雅子法相のひどい認識

 その上、日本司法の頂点に立つべき法務大臣の認識がひどい。今回の「ゴーン氏逃亡事件」についての、森雅子法務大臣の発言が大問題になっている。森法相は弁護士でもある。その「法に詳しいはずの森法相」がとんでもない発言をした(12日付の東京新聞)。

(略)弁護士でもある森氏は九日の記者会見で、レバノンに逃亡した被告を「潔白と言うなら司法の場で無罪を証明するべきだ」と非難。その後、ツイッターで「無罪の『主張』と言うところを『証明』と言い違えてしまいました」と訂正していた。

 つまり法の専門家でもある森法相が「推定無罪の原則」も「有罪証明は検察側の義務で、被告が無罪を証明する義務はない」という、司法の原則中の原則を理解していなかったというお粗末。ご本人は「言い間違い」と釈明したが、実は同じ趣旨のことを一度はツイートしており、それを慌てて削除したというおまけまでついている。記者会見の発言、ツイッターでの発言と、2度も同じことを言っているのだから「言い間違い」は通らないよ、森さん。
 まさにこれが、日本の司法のお寒い実態なのである。

「冤罪」の温床

 むろん、ゴーン氏の「大脱走」は、日本の法に照らせば違法である。だが、こんな日本司法の危うさをも、マスメディアは指摘すべきではないかとぼくは思うのだ。
 最初に書いたように、これは「白か黒かの単純二分法」が、日本の司法当局にも蔓延している証左だろう。とにかく「黒」だと自白するまで長期勾留しておくというやり方。
 日本では、刑事裁判での有罪率は99%以上になるという。しかも逮捕された段階で、もうその人は有罪だと世間は思い込んでしまう。
 “逮捕即有罪”と思われるような世の中では、検察当局はなんとしてでも有罪に持ち込まなければメンツが保てない。そのためには「有罪を自白」するまでは、被疑者を“監獄”に閉じ込めておく、ということになる。これが日本の「人質司法」といわれる中身であり、「冤罪の温床」ともなっていると指摘されている。
 いくら「白」を主張しても「黒」を認めるまで釈放されないとなれば、普通の人間なら心が折れて、やってもいない犯罪を、ついには認めてしまうというケースも多いだろう。それが「冤罪」である。
 今回のゴーン氏逃亡劇は、この長期勾留(人質司法)がそろそろ見直されるべき時期にきていることを教えてくれたのかもしれない。

 もっとも、あの元TBS記者の山口某のように、権力者に近い者であれば、実際にはかなり濃厚な「黒」が疑われていても、なぜか逮捕を免れるという例もある。こういう「冤罪」の正反対のケースをなんと呼べばいいのか、ぼくには分からないけれど…。

トランプ大統領の単純さ

 この「黒白二分法」は、いまや世界中に蔓延しているようだ。その代表格がトランプ大統領だ。証拠も何もそっちのけで、「やつはテロリストである。テロリストを殺せ」であり「あの国は悪の枢軸だ、爆撃しろ」ですべては終わる。その結果が今回のイラン革命防衛隊司令官の暗殺だった。
 イランは悪の枢軸国、ソレイマニ司令官はテロリスト。単純二分法の面目躍如である。
 こんな粗雑な理屈で世界が壊されてはたまらない。
 だが、これはトランプ氏だけではない。我が日本国の安倍首相にしてからが、自分に反対する人たちを指して「こんな人たち」呼ばわりする。

 すべてが「白か黒か」に分けられてしまう世界。そんな息苦しい世の中に、ぼくらはいま、放り込まれつつある…。

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。