2010年から2018年にかけて、日中韓の3カ国で、共通する11冊の絵本が出版されました。3カ国の作家たちがそれぞれの視点から、平和と戦争について、そして命について、子どもたちに伝えようと制作した「日中韓平和絵本プロジェクト」シリーズです。そこにはどんな思いがあったのか。呼びかけ人の一人である絵本作家の浜田桂子さんに、プロジェクトについて、そして今の日本の状況について、お話をお聞きしました。※(その1)はこちらから。
なぜ1冊の絵本だけが、出版されなかったのか
──前回お話をうかがった「日中韓平和絵本プロジェクト」は、3カ国の絵本作家たちがそれぞれ「平和」をテーマにした絵本を制作し、それを各国で同時に出版するというものでした。しかし、実は日本では、その中の一冊の絵本だけが当初予定されていた出版社から出せなくなり、最終的に他の版元から出版されるという経緯をたどっているんですね。
浜田 韓国の作家クォン・ユンドクさんが、かつて旧日本軍の「慰安婦」とされた女性をモデルに描いた絵本『コッハルモニ』(直訳は「花おばあさん」、日本で出版された際のタイトルは『花ばぁば』)です。韓国では2010年、平和絵本プロジェクトの中でも最初に出版された本でした。
──マガジン9でも以前、クォンさんにお話をうかがいましたが、その経緯を改めてお聞かせいただけますか。
浜田 クォンさんは、最初にソウルでお話をしたときから、元「慰安婦」の女性をモデルにした絵本を作りたい、とおっしゃっていました。それを聞いて、私たち日本の作家も大賛成したのですが、一方で私は「これは大変なことになるかもしれない」とも思っていました。非常な男社会である日本において、「慰安婦」の話というのは、他の戦争責任の問題と比べても、一番触れてほしくない問題だろう、と思ったからです。
だから「日中韓平和絵本プロジェクト」をぜひ引き受けたいと申し出てくれた日本の出版社には「一人の作家が『慰安婦』をテーマにしたいと言っている」と伝え、「困難な出版と思うが、出してもらえるだろうか」とも尋ねました。それに対して、出版社は「もちろん出します」と言ってくれていたんです。
──それが、実際に制作が進む中で、風向きが変わっていったということでしょうか。
浜田 あるときから、クォンさんから「出版社に、日本で出すためにはこう描き直してほしいと言われている」と相談のメールが来るようになったんです。
『コッハルモニ』の物語は、元日本軍「慰安婦」だった韓国人女性、シム・ダリョンさんの体験談がもとになっています。その中で、シム・ダリョンさんとお姉さんが「日本兵に無理矢理トラックに乗せられて連れて行かれた」という表現があったことが、特に問題になったようです。これについてはたしかに、私たち日本の作家の間でも「問題になるかもしれない」という声はありました。
──少なくとも韓国においては、日本軍の「慰安婦」にされた女性は、朝鮮人の業者などに「いい仕事がある」などと騙されて連れて行かれたケースが大半で、日本兵が直接的に女性をさらっていったという記録は残っていないとされていますね。ただ、そこに日本軍の関与があったことは、日本政府も認めています。
浜田 そうなんです。でも、これは物語絵本であって、ノンフィクションではありません。広い意味で「日本軍が」連れ去ったのには違いないのだから、象徴的な意味での表現としては十分にありえるだろうとも思いました。
とはいえ、出版社としては「証拠がないからには出せない」ということなのでしょう、日本兵の顔の絵の上に草の絵を重ねて、日本兵かどうか分からないようにしてほしいなどの修正を指示されました。その他も、具体的な地名や数字について「証拠がない」などの指摘がいくつもあって、クォンさんは何度も描き直しを重ねていましたね。
絵描きが絵を描き直すというのは、大変なことです。それでもクォンさんが応じたのは、どうしても日本で出版したいという思いがあったからです。2015年には韓国で、シム・ダリョンさんらを連れ去った男たちを日本兵ではなく業者として描くなどの変更を加えた「改訂版」も出版されました。いずれ日本語版が出たときに、韓国版と内容が違ったらおかしいからということでしたが、クォンさんにとっても悩んだ末の決断だったと思います。
強まった「社会の圧力」
──しかし、それでもなお、日本語版の出版は実現しなかった……。
浜田 そうです。最終的には、シム・ダリョンさんの体験自体が「証言するたびに内容が違って、曖昧である」から、モデルを他の女性に変えない限りは出せないと言われ、その版元からの出版はあきらめることになりました。
たしかに、シム・ダリョンさんの証言に、そのときによって表現が違ったりする部分があるのは事実です。でも、彼女が体験したことを思えば、記憶が混乱していたり、途切れていたりするのは当然のことだし、表現の違いは証言を採録した人の解釈による場合もあります。「慰安婦」の問題をずっと研究されている、WAM(女たちの戦争と平和資料館)館長の渡辺美奈さんも、「シム・ダリョンさんの証言が曖昧で信用に足らないなどという意見は、今まで聞いたことがない」とおっしゃっていました。
それにもともとは「描き直しをしないなら出せない」という話だったわけですから、クォンさんがその描き直しに応じた以上、当然出版されることになるはずですよね。
──しかし、そうできないくらい社会からの圧力が強くなっていたということでしょうか。
浜田 そうだと思います。その数年前に、大阪市長(当時)の橋下徹氏による「『慰安婦』の強制性には証拠がない」などの発言があり、「慰安婦」問題への圧力が一気に強まっていた時期でもありました。出版社も「出版できない」との結論を出すまでには、裁判を起こされたらどうなるか、「慰安婦」の存在を否定したい人たちが社屋に押しかけてくるのではないかなど、さまざまなことを検討されていたようです。
そんなことまで考えなくてはならない状況になったということで、ある意味では出版社も被害者だったといえるかもしれません。もともと、憲法や平和の精神をとても大事にして、日本の戦争責任についての本も何冊も出されている出版社ですし、日中韓3カ国にまたがった、こんな手間のかかるプロジェクトの本を出そうとしてくれたことには、本当に感謝しています。それだけに、出版できないという結果になったことは、残念でなりません。
──日本語版は結局、韓国語版の出版から8年を経た2018年に、日本の別の出版社から『花ばぁば』のタイトルで出版されました。それまでには、かなりの数の出版社を当たられたそうですね。
浜田 クォンさん自身は、「出版社から出すのが難しければ、運動体などを主体に自費出版するという手段もありえるのでは」と思われていたようです。でも、私や田島さんは、どうしても出版社から、一般の書店の店頭にきちんと並ぶような形で出したいと考えていました。私たち日本の作家がプロジェクトを呼びかけた当事者なのに、その日本で出ないなんてことは絶対にあってはならないと思っていたんです。
特に私は、韓国語版出版の際の献本式でシム・ダリョンさんにお会いして、「日本でも必ず出します」とお約束していましたし、これが出せない限りは死んでも死にきれないくらいの気持ちでした。だから、時間はかかってしまったけれど、出版できたことは本当によかったと思っています。
今の日本社会は「戦前」に近づいている
──「社会の空気」によって表現の自由が脅かされるという構図は、昨年話題になった「あいちトリエンナーレ」での一件(※)とも共通しているように思います。
※2019年8月から3カ月にわたって開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」において、企画展の一つ「表現の不自由展・その後」が、抗議・脅迫電話があったことなどを理由に一時展示中止に追い込まれた。展示作品の一つ、韓国の作家が元「慰安婦」の女性をモチーフに制作した「平和の少女像」をめぐっては、政治家からも「日本人の心を踏みにじるもの」などといった声があがった。
浜田 あの一件は、「日本は表現の自由が守られない国なんですよ」と世界に向けて発信したようなもので、とにかく恥ずかしいと思いましたね。政治家までが「公金の不正支出だ」などと、あまりにも無知な発言を堂々として、メディアがそれをまた無批判に流す。日本の文化の後進性をそのまま表していたと思います。
そもそも、日本には〈文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重することを旨とする〉などと謳われた「文化芸術基本法」という法律があります。この法律ができた背景には、国家権力が芸術に対し統制・干渉を行った戦前・戦中への反省の思いがあったはず。それなのに、あろうことか「あいちトリエンナーレ」への補助金不交付が決定されるなど、本当に今の社会は「戦前」に近づいているんじゃないか、と感じさせられました。
──同じように戦前の軍国主義的、国家主義的な教育への反省から生まれたといわれる教育基本法も、2006年に「改正」されました。それ以降、道徳教育の教科化など、国家による教育現場への介入が急速に強まっていると感じます。
浜田 今の日本社会には、戦前への深い反省から出発したものってけっこうあって。たとえば、「図書館は利用者の秘密を守る」「図書館はすべての検閲に反対する」と謳う「図書館の自由に関する宣言」や図書館法などもそうです。そういうものの多くが今、法改正までは行かなくてもじわじわと、徐々に浸食されていっている気がします。
一人ひとりの自尊意識なしに、平和はつくれない
──戦前への反省を、どんどん投げ捨てていっている時代ということなのかもしれません。その中で、なんとか平和な社会をつくっていくために、考えるべきことは何でしょうか。
浜田 今、考えていることは二つあります。
一つは、あまりにも私たちが自国の歴史を知らないという問題。「慰安婦」の問題でもよく、「いつまで謝罪すればいいんだ」という人がいるけれど、ちゃんと過去を見ていけば、実は日本はいまだにきちっとした謝罪をしていないことが分かります。2015年12月の日韓合意だって、たしかに取り交わした文書の中に「おわびと反省」という言葉が入ってはいるけれど、元「慰安婦」の女性たちとその支援団体による「安倍首相からのおわびの手紙」を求める声は無視されました。日本政府からの正式な賠償金も支払われず、民間募金による「お見舞い金」のみです。合意直後の2016年1月の国会参議院予算委員会では、安倍首相が「性奴隷といった事実はない」「強制連行はなかった」と被害者を傷つける発言を繰り返しました。
そうした不誠実な姿勢を見ていたら、元「慰安婦」の女性たちが怒るのも当然だと思うけれど、日本国内ではほとんど話題にならない。それはやはり、かつて私たちの国が何をやったかということが、あまりにも伝わっていないからだと思うんです。
──小中学校の歴史教科書からも「慰安婦」についての記述はなくなっています。
浜田 子どもたちが、学ぶ権利を剥奪されている状況だと思います。『花ばぁば』を読んですごい衝撃を受けた、と感想を書いてきてくれた中学生がいましたが、子どもたちは本の内容以上に、自分がそれを「知らなかった」ということに衝撃を受けているんですよね。
これだけインターネットが発達して、海外との共同事業でも何でもいくらでもできる時代なのに、日本の子どもたちが過去の歴史を知らなかったら、本当の信頼関係なんてつくれない。そう考えたことが、日中韓平和絵本プロジェクトを立ち上げた理由の一つでもあるんです。
そしてもう一つ、今の日本の子どもたちが置かれている状況そのものを、変えていく必要もあると思っています。
──どういうことでしょうか。
浜田 『へいわってどんなこと?』を出版してから、学校などで話をさせていただく機会が増えたのですが、東京都内のある小学校で、4年生の子どもたちを前に話をしたときのことが忘れられません。
『へいわってどんなこと?』の最後のほうのページには、〈へいわって ぼくがうまれてよかったっていうこと〉という言葉があります。これは、この本で私が一番伝えたかったことでもあるのですが、読み聞かせを終えた後に、1人の男の子が手を挙げてこう言ったんです。「僕は今まで、生まれてきてよかったと思ったことが一度もなかった。でも、この本を読んで、生まれてきてよかったと初めて思いました」。
胸が締め付けられる思いでした。なんとか「そうだよ、あなたが生まれてきたということはすごいことで、だからこそ今日私たちは会うことができたんだよ」と伝えましたが、実はそんなふうに、「自分は生まれてこなければよかったと思う」という感想が子どもたちからぽつぽつと届くんです。この本は、中国や韓国、あとメキシコのストリートチルドレンのための施設でも読み聞かせをさせてもらったけれど、そんな言葉を聞いたのは日本だけです。
──なぜそんなことになっているのでしょう。
浜田 私は、日本が非常に「子どもを粗末にする国」だからだと思っています。
まず子ども、つまりは教育や福祉にかけるお金が非常に少ない。そして、子どもに対する体罰や暴力を容認する傾向が強いですよね。世界では、すでに50カ国以上が、法律で「体罰禁止」を定めているそうです。日本でもようやく今年4月に、体罰禁止を定めた改正児童虐待防止法などが施行されますが、「しつけのためなら多少の体罰はしょうがない」という意識はまだまだ強いですよね。
そうした状況が、子どもの自尊意識、自己肯定感を損なっているのではないでしょうか。日本の子どもの自己肯定感が他の国の子どもたちに比べて低いことは、国際的な調査などでも明らかになっています。
──内閣府が出している「子供・若者白書」(2019年発行)では、自己イメージについて尋ねた設問で、「自分自身に満足している」という項目に「そう思う」「ややそう思う」と答えたのは45.1%。同じ調査が行われた6カ国中もっとも低く、二番目に低い韓国の73.5%と比較してもかなり低いといえます。
浜田 私は、自尊意識というものは「平和」と深く結びついていると思っています。自分が生まれてきてよかった、という思いは、他者への共感を生みます。いくら「人に思いやりを持ちなさい」といっても、その子自身が自分を大切な存在だと思えなければ、人のことを大切だとは思えないし、他の人に対して気持ちを重ねることはできないと思うのです。
そして、国や宗教の違う相手に対して「あいつらは何を言っても分からない」と、気持ちを重ねようとするのをやめるところから暴力性は生まれます。戦時中の「鬼畜米英」もそうだし、今の北朝鮮に対する視線もそうですよね。あいつらは自分たちと同じ人間じゃない、何を言っても通じないからやっつけてしまえ、という考え方です。
だから、遠回りかもしれないけれど、子どもたち一人ひとりが「自分は大事な存在だ」と思うことが、実は平和をつくっていく上での一番の基本になるんじゃないかと思うんです。
──その「基本」が、今の日本には欠けているということですね。
浜田 さらに問題だと思うのは、学校では義務や決まりばかりが教えられて、「あなたにはこういう権利があるんだよ」「こういうことをしていいんだよ」という主権者教育が欠け落ちているということです。政治的なこと、社会的なことから子どもたちを遠ざけておいて「若者の政治的無関心が……」なんてよく言えるな、と思います。
昨年、16歳のグレタ・トゥーンベリさんが国連の気候行動サミットで演説して注目を集めましたが、彼女が生まれ育ったスウェーデンは、もともと「子どもの権利を守る」ことに非常に力を入れてきた国なんですよね。グレタさんの演説を聞いたとき、その蓄積の中からああいう若者が生まれてきたんだな、と思いました。
だから日本でも、「あなたにはこういう権利があるんだよ」ということを、分かりやすく楽しく伝えられるような本をつくりたいと、ずっと考えています。もちろん子どもたちにも読んでほしいけれど、本音は大人に読ませたい(笑)。よく「子どもたちに平和について話してください」と依頼を受けるんですが、本当は大人に向けてこそ、話さなきゃダメだと思うんですよ。
(構成/仲藤里美、写真/マガジン9編集部)
はまだ・けいこ 1947年埼玉県生まれ。桑沢デザイン研究所卒業。田中一光デザイン室勤務の後、子どもの本の仕事を始める。主な作品に『あやちゃんのうまれたひ』『てとてとてとて』(ともに福音館書店)、『ぼくのかわいくないいもうと』(ポプラ社)、『あめふりあっくん』(佼成出版社)、『まよなかかいぎ』(理論社)など。