第512回:相模原障害者施設殺傷事件、結審。2月17日、19日傍聴記〜植松被告は、最後に何を述べたのか〜の巻(雨宮処凛)

 2月19日、相模原障害者施設殺傷事件の裁判が結審した。

 公判回数は、殺された19人の数より少なくわずか16回だった。うち8回を、私は傍聴した。

 これまでの裁判について、初公判はコラム第509回、1月20日、24日の傍聴記は第510回、2月5日、6日の傍聴記についてはイミダスへの緊急寄稿、また1月30日の植松被告との面会については、Buzz Feed Japanで書いたので読んでほしい。

 ということで今回は、2月17日と結審の19日の傍聴記をお届けしたい。

 2月17日、午前10時30分。横浜地裁101号法廷に入った途端、面食らった。証言台を囲うようにして、青みがかったグレーの遮蔽板が法廷の大部分を覆っていたからだ。遺族や被害者家族の姿が見えないよう、傍聴席の右半分が白い遮蔽板で覆われているだけでも圧迫感があるのに、今日は法廷までもが高い壁で覆われている。証言者が植松被告に姿を見られないようにと作られたその壁が、この事件の異様さを物語っている気がした。

 この日の法廷は、あの日、植松被告に一番最初に刺され、命を落とした19歳の美帆さんの母親の意見陳述で始まった。

 「私は美帆の母親です。美帆は12月の冬晴れの日に誕生しました。ひとつ上に兄がいて、待ちに待った女の子でした」

 母親は、はっきりとした声で陳述書を読み上げていく。3歳半で自閉症と診断されたこと。そのあとは本を読んだり講演会に行ったり、とにかく娘のことを理解しようと勉強したこと。いい先生や友人、ガイドヘルパー、ボランティアに恵まれて、人懐っこい子に育ったこと。音楽が好きで、特に「いきものがかり」が好きだったこと。9歳から大きなてんかん発作があったこと。家庭の事情で中学2年生から児童寮で生活するようになったこと。毎月会いに行くのが楽しみで、娘のためと思うと仕事も頑張れたこと。多い時には4つの仕事をかけもちしていたこと。美帆さんに言葉はないけれど、その笑顔はひまわりのようだったこと。

 そこまで読んで、母親は声に怒りを滲ませた。

 「(法廷で被告に)お母さんのことを思うといたたまれません、と言われて、むかつきました」

 6日の法廷で、被害者側の弁護士から「(美帆さんが)赤ん坊から骨になるまでの写真12枚を見ましたか」と問われ、植松被告は「長年育ててこられたお母様のことを思うと、いたたまれない気持ちになりました」と答えたのだ。が、そのように答える一方で、意思疎通のとれない障害者は安楽死させるべきという主張を法廷でも繰り返してきた。それはどれほど遺族の傷を深めるものだっただろう。母親は怒りで声を震わせるようにして、続けた。

 「考えも変えず、一ミリも謝罪された気がしません。痛みのない方法で殺せばよかったということなんでしょうか。冗談じゃないです。ふざけないでください。美帆にはもう、どんな方法でも会えないんです」

 そこから事件後、めちゃくちゃになった美帆さんの家族の状況が語られた。社交的だった祖母から消えた笑顔。体調を崩して入院した兄。母親自身も9キロも痩せたという。

 「私たち家族、美帆を愛してくれた周りの人たちは皆、あなたに殺されたのです。未来をすべて奪われたのです。美帆を返してください」

 悲痛な声が法廷に響く。

 「私は娘がいて、とても幸せでした。決して不幸ではなかったです。『不幸を作る』とか勝手に言わないでほしいです。私の娘はたまたま障害を持って生まれてきただけです。何も悪くありません。
 あなたの言葉を借りれば、あなたが不幸を作る人で、生産性のない生きている価値のない人間です。あなたこそが税金を無駄に使っています。あなたはいらない人間なのだから。あなたがいなくなれば、あなたに使っている税金を本当に困っている人にまわせます。
 あなたが今、なぜ生きているのかわかりません。私の娘はいないのに、こんなひどいことをした人がなぜ生きているのかわかりません。なんであなたは1日3食ご飯を食べているのですか。具合が悪くなれば治療も受けられる。私の娘はもうこの世にいなくて何もできないのに。
 あなたが憎くて、憎くて、たまらない。八つ裂きにしてやりたい。極刑でも軽いと思う。どんな刑があなたに与えられても私は、あなたを絶対に許さない。許しません」

 「あなたに未来はいらないです。私は、あなたに極刑を望みます。一生、外に出ることなく人生を終えてください」

 美帆さんの母は、時に泣き叫ぶようにしながら必死に言葉を続けていた。陳述が終わると、法廷には一層激しい泣き声が響いた。吐き出すような、今まで聞いたどんな嗚咽よりも苦しげな嗚咽だった。植松被告はそれをどんな思いで聞いていたのだろう。メモをとっていた視線を植松被告に移したが、表情に特に変化は見られなかった。

 そうして、証言台を覆っていた壁が外された。

 そこから80分、検察からの論告が始まった。

 「社会を震撼させ、障害者や家族、施設職員に大きな不安を与えた」「このような犯罪が決して許されないことを社会に毅然と示す必要がある」とし、また法廷で「意思疎通がとれない障害者は殺したほうがいい」という主張を繰り返したことについて「遺族や被害者家族の感情を踏みにじっており、更生可能性も皆無」として、死刑が求刑された。

 その日の午後の法廷では、被害者側の弁護士からも死刑を求める遺族の声が伝えられた。

 以下、法廷で伝えられた遺族らの言葉だ。

 「死刑が選択されるべき。しかし簡単に死刑にしても償いにならない」

 「1ヶ月半の裁判で、『考えが間違っていた』と最後まで聞けなかった。重度障害者はいらないと言われ、何度も傷ついている。三年以上経っても、いまだに苦しんでいる。被告にも苦しんでほしい」

 「反省がない以上、社会に出れば重度障害者を狙う。更生の可能性はない。終身刑を課して、一生苦しんでほしい。しかし、日本には終身刑はない。無期懲役で仮出所が認められれば出られる。だから無期懲役ではなく、死刑を求めます」

 「(被告がやったことは)ただの虐殺。自分の命が奪われる時、わかる。死刑しか考えられない。すみやかな執行を」

 14時、閉廷。

 2月19日、結審の日。

 午前10時30分から弁護側の最終弁論が延々と続き、被告は大麻精神病により心神喪失か心神耗弱状態だった、と無罪か減刑を改めて主張。

 そうして最後、植松に最終意見陳述の機会が与えられた。

 17日、美帆さん母親の陳述が終わってからはやたらと傍聴席を見渡すなどキョロキョロしていた植松被告だが、結審であるこの日はさすがにそのような態度はなく、真面目な顔で弁護側の最終弁論を聞いていた。そうして発言を許可された植松被告は証言台に立った。

 これが法廷で意見を述べる最後のチャンスだ。これまで自分の事件を正当化することばかり言ってきた植松被告だが、ここで心からの謝罪があるのかもしれない。

 法廷中の人間が固唾を飲んで植松被告の言葉を待った。

 「恐縮ですが、3つあります」

 植松被告は、はっきりと言うと、続けた。

 「ひとつは、ヤクザは、お祭り、ラブホテル、タピオカ、芸能界など様々な仕事をしています」

 思わず傍聴席の椅子からずり落ちそうになった。タピオカ? しかし、植松被告は堂々とした様子で話し続けている。

 「ヤクザは気合いが入った実業家なので、罪を重くすれば犯罪がなくなります。しかし、つかまるのは下っ端なので、司法取引で終身刑にすればいいと思います。刑務所の中で幸せを追求することはできます。その方が生産性が上がります」

 「ふたつめ、どんな判決でも、控訴しません。
 一審でも長いと思いました。文句ではなく、とても疲れるので、負の感情が生まれます。
 貴重なお時間、申し訳ありません」

 「三つめ 重度障害者の親は、すぐ死ぬと気づきました。寝たきりだと楽ですが、手に負えない障害者もいます。病は気からなので、人生に疲れて死んでしまう」

 間髪入れず、続けた。

 「日本は世界から吸血国家と言われています。借金が1110兆円になったと2月11日に報道されました。知らなかったでは済まされません。
 文句を言わずおつきあい頂いた33人(刺された人数43人の間違い?)の家族と被害者を尊敬します。
 最後になりますが、この裁判の争点は、自分が意思疎通がとれなくなることを考えることだと思います。
 ご静聴、まことにありがとうございました」

 そうして16日目に及ぶ「植松劇場」は終わった。

 結局、彼の考えが変わることはなかった。遺族の涙の訴えにも、動揺を見せることはなかった。

 最後の発言は、「意思疎通がとれなくなったらどうするか、俺の事件を問題提起としてみんな考えろ」ということだろうか。

 裁判が結審した今、非常に残念なのは、「施設のあり方」「やまゆり園での支援のあり方」について、法廷ではほとんど触れられなかったことだ。

 やまゆり園で働き始めた頃、植松被告は障害者を「かわいい」と言い、やりがいがある、今の仕事は天職だ、と友人や後輩に語っていた。が、ある時期から「かわいそう」「食事もドロドロ」「車椅子に縛り付けられていてかわいそう」と言い始め、そこから突然「殺す」に飛躍している。この間に、一体何があったのか。

 例えば第9回の公判で、植松被告は差別的な考えを持つようになった経緯について、他の職員の言動を挙げている。入所者に命令口調で話す職員。また、暴力をふるっている者もいると耳にしたという。それだけではない。「入浴の時、大の大人が裸で走っていた。口調は命令口調で、食事は流動食を流し込んでいた」と話している。職員の暴力については良くないと思ったが、「2、3年やればわかるよ」と言われたと述べている。2、3年経てば、暴力を振るう気持ちがお前にも理解できるよ、ということだろう。それを受け、植松被告は食事を食べない入所者の鼻先を小突いたりするようになったという。

 ここは、事件につながる大きなポイントだと思う。しかし、裁判では、施設の問題にはこの部分くらいしか触れられていない。

 裁判が結審した翌日の2月20日、知的障害者の当事者団体「ピープルファーストジャパン」は、神奈川県の黒岩祐治知事に要望書を提出。ピープルファースト横浜の小西勉会長は、「なぜ事件が起きたか裁判で明らかになっていない。今も不安や恐怖が消えない」と訴えた。要望書は「やまゆり園の支援実態を検証する」「当事者抜きに生活の場を決めない」「障害者は人間であり、幸せをつくることができる」などの四項目からなるという(神奈川新聞2月21日より)。

 判決は、3月16日に出る。

雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。