希望の裁判所〜変化してきた司法と変化する司法〜 講師:浅見宣義氏

かつて「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」(故平野龍一元東大総長・名誉教授)といった言葉で、厳しく批判されてきた日本の裁判制度。まだまだ課題はあるものの、平成から続く司法の改革によって、民事・刑事ともに少しずつ市民に開かれた制度へと変わりつつあるともいわれます。裁判官として30年以上司法の分野に携わってきた浅見宣義さんに、裁判実務における変化の実情や今後の法律家の展望などについてお話しいただきました。

法律家とは事件をとおして人や社会を見続ける仕事

 私は裁判官になって32年目になります。毎日たくさんの事件を見ていて感じるのは、法律家というのは、事件を通じて人や社会を見続ける仕事だということです。私たち裁判官は毎日山のような事件を担当しています。私は、一番多いときには単独事件を約280件、合議事件を約80件、あわせて360くらいの事件を担当していました。その一つひとつの事件に「顔」があって、事件を作り出している人がいます。
 日常生活の中で、最も多い民事事件は何だと思いますか。あるデータによると、弁護士に相談のある事件は、男女関係、相続、交通事故に関するものが多いそうです。男女関係で多いのは不倫に関係する事件です。私が任官した頃は、女性が女性を訴える事件が大半でした。夫が不倫をして、妻がその相手の女性を訴えるという事件です。昔は、専業主婦の女性が多かったこともあって、女性が不倫をすることが少なかったのだと思います。女性が社会進出するようになるとともに、夫が妻の不倫相手の男性を訴えるという事件も増えてきました。
 不倫や不貞はセンセーショナルに報道されることが多いのですが、事件を見ていると非常に深刻で、解決はとても難しいです。当然ながらお子さんにも影響が出ます。親権をどうするか、養育費や面会交流をどうするかなどは、なかなか調整がつきません。法的な観点を踏まえた上で、人の人生を見つめ、適切な解決へと導いていかなければいけないのが法律家の仕事です。
 最近では、妻が夫の不倫相手として男性を訴える、あるいは夫が妻の不倫相手として女性を訴えるという事件も少しずつ出てきました。そうした事件の背景にある性の多様化も含め、社会の変化に応じて裁判官として考えなければいけないことが実にたくさんあります。事件のバックには人がいてその背後に社会がある。法律家というのはとても大事な仕事だと思います。

「思い出の事件を裁く最高裁」から「希望の裁判所」へ

 かつて新聞に投書され、小泉純一郎氏が首相時代に取り上げた「思い出の事件を裁く最高裁」という川柳や、刑事法の大家である平野龍一先生の言葉「我が国の刑事裁判はかなり絶望的である」は、法曹関係者の胸にぐさっと突き刺さる非常にショッキングなフレーズでした。前者は、日本の裁判は時間がかかりすぎていて最高裁で裁かれるころには「思い出」になっているという揶揄、そして後者は、法廷では真実を明らかにすることが十分にできていないのではないかという批判です。
 実際に、私が裁判官になった頃は、民事裁判も非常に非効率的でとても時間がかかっていました。たとえば、事件当時3歳の男の子が原告となった有名な医療過誤事件である「ルンバール事件(※)」では、事件の発生から解決までに21年もかかっています。これで本当に救済ができるのでしょうか。裁判が長引けばお金もかかるし当事者の精神的苦労ははかりしれません。早く解決しないと人生が変わってしまうのです。
 この状況を抜本的に変えたのが平成時代の司法改革です。改革では、訴訟の初期の段階で互いに証拠を出し合って、出て来た証拠をもとに裁判官と当事者とで争点を整理する「弁論準備手続」という手続きが創設されました。証拠調べについても、それまでは証人尋問は2ヵ月に1人というペースだったのが、1日に何人も集中して尋問するようになりました。訴訟慣行を変えるというのはとても大変なことです。弁護士さんにも仕事の仕方を変えてもらう必要があります。しかし、これらの改革により裁判にスピード感が出て、とてもよい循環が生まれているように思います。
 刑事裁判についても、昔は警察や検察が山ほどつくった調書をもとに裁判を進めていました。裁判官はみんな書証を家に持ち帰って読んでおり、法廷ではなく裁判官室や裁判官の自宅で結論が出されているのではないかと批判されていました。それでは国民にも分かりづらいし、本当に真実に迫っているのか分かりません。刑事司法の改革では、裁判員裁判の創設とともに公判前整理手続という争点整理の手続が創設されました。審理を圧縮し、厳選された証拠だけを出して、法廷できちんと事実関係が明らかにされるようになりました。
 やはり平成時代の司法改革で始まった裁判員裁判についても、裁判員になることは負担だと思う人も多いと思いますが、既に何万人という人が経験しています。一般市民の感覚が入ることで刑が重くなるのではないかとも言われましたが、たとえば「介護疲れ」による事件などでは刑が軽くなることも多く、市民の常識が反映されていると感じます。
 平成の司法制度改革は法律家の仕事のスタイルや意識にも大きな影響を及ぼしています。社会の要望を受け止め、多様な人的資源やツールを活用しながら結論を出していくということは、法律家としてのやりがいにもつながっていきます。

※ルンバール事件:化膿性髄膜炎を患いながら快方に向かっていた患者(3歳の子ども)に対して、医師と看護師がルンバール施術(腰椎に針をさして髄液を採取し、ペニシリンを髄液に注入する検査治療)を実施。約15分後に子どもは激しいけいれんと嘔吐に襲われ、その後右半身麻痺や言語障害などの重篤な後遺障害が残った。患者は、後遺症はルンバール施術によって引き起こされた脳出血が原因であるとして、病院に損害賠償請求を求めて提訴。一審、二審で敗訴したが最高裁で差し戻され、最終的に東京高裁で原告の請求を一部認める判決が出た。

多様化する法律家の仕事とやりがい

 いま法律家になろうという人が少なくなっています。私が法曹になった時代には2〜3万人ほどだった司法試験の年間受験者数は、現在では5000〜6000人程度です。多様化する社会の中で法曹としてのやりがいはずっと大きくなっているのに、これではいけません。やる気があって有能な人にどんどん法曹界に来てほしいと思っています。
 昔は独立自営で弁護士をしている人ばかりでしたが、今は企業内弁護士として企業の一員になって働いている人も増えてきました。今後の課題としては、自治体弁護士が増えると良いなと思っています。
 有名なのは兵庫県明石市です。明石市の市長さんは弁護士資格をもっているアイデアマンで、市として弁護士を7人も職員として雇っていろんな仕事をさせています。人口30万人程度の自治体に、弁護士資格を持つ職員がそれだけいるのは驚異的です。さらに明石市では最近、離婚後に夫(妻)が養育費を払わない場合に会社に保証させるという新しい制度を実現させようと検討しているようです。こうした制度が検討されるのは、弁護士が職員に多数採用されている影響もあるのではないかと個人的に推測しています。政府も今、養育費を国が立て替える制度を検討していますが、それを先駆けてやろうとしているわけです。
 今後はIT化も進み、ますます法律家の活躍の場が広がっていくでしょう。司法制度改革審議会の会長を務められた憲法学者の佐藤幸治先生は、いつも「司法はどんどん大事になっている」と仰っています。世の中が複雑化していく中で、立法や行政だけでは足りない部分を司法が担う必要があるからです。人権や正義、ルールという部分について司法が頑張らないといけません。これから法律家になるみなさんにも、ぜひ頑張っていただきたいと思います。

日本裁判官ネットワークコーディネーター、大阪高等裁判所判事。1988年、判事補に任官。以後、京都、大阪、大分、東京などの裁判所を経て、2018年4月から現職。民事事件の担当が長いが、刑事、家事、少年事件も担当した経験がある。職務の傍ら、1999年に日本裁判官ネットワークを設立し、開かれた司法の推進と司法機能の充実強化に寄与するために活動している。著書に『裁判所改革のこころ』(現代人文社)、共著に『裁判官は訴える! 私たちの大疑問』(講談社)、『裁判官だって、しゃべりたい! 司法改革から子育てまで』(日本評論社)、『希望の裁判所 私たちはこう考える』(LABO)、『裁判官が答える 裁判のギモン』(岩波ブックレット)など。大分地方裁判所での勤務を経験した縁で、「豊の国かぼす大使」に任命されている。

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