「大学時代はアルバイトと学生運動ばかり、就職した銀行も1年で辞めてしまう。弁護士として著名事件の経験もない、留学経験もない、おまけに金もない……そんな人が最高裁判事になんてなれるわけないでしょう!」──依頼者にそういって笑われたものだ、と笑顔で話す山浦善樹さん。長年、街の弁護士「マチ弁」として奮闘した後に、2012年から約4年4ヵ月間にわたって最高裁判所判事(最高裁判事)を務め、夫婦別姓訴訟や再婚禁止期間違憲訴訟など数々の事件を担当されました。山浦さんが感じる「マチ弁」の面白さや醍醐味、また、日頃法律家として大切にしていることなどについてお話しいただきました。[2020年1月11日(土)@渋谷本校]
30年決算でプラスになっていればOK!
窓を開けると焼き鳥の匂いがしてくる、そんな神田の町に私の事務所はあります。毎晩賑やかな声を聞きながら夜10時くらいまで仕事をするわけですが、そこでの仕事は、決して常に理論的なわけでもないし、人と交渉して勝ち負けを得るような仕事でもありません。
それでも、一つだけ裁判官として最高裁に行ったときに、ずっとマチ弁をやっていて良かったなと思ったことがあります。自分の意見を強く言うのではなく、まず人の意見を聞く、少しずつ自分の意見を伝え対話をしながら仲間をつくっていくという姿勢が身に付いていたことです。最高裁に集まる超一流の法律家たちの中で、このやり方は他の人とは違ったかなと思います。
弁護士になって10年目の頃、40代くらいの小さなアパートのオーナー夫婦が、家賃を半年以上払っていないおじいさんがいるので賃料不払いを理由に建物明け渡しの裁判がしたいと相談に来ました。普通は裁判をやって強制執行しますよね。とても事務的で簡単な手続きです。でも、私はひとまずおじいさんの家に行ってみました。おじいさんは働いておらず、四畳一間の狭い部屋でギリギリの生活をしていました。話してみると子どもがいることが分かったので、依頼者夫婦に3ヵ月ほど時間をもらってその子どもに会いに行きました。はじめは煙たがられましたが、繰り返し会いに行くうちに、どうにかおじいさんを引き取ってもらえることになりました。そうなると事件は解決です。オーナー夫婦は裁判をしなくていいし、おじいさんもその後の生活が成り立ちます。普通の弁護士はここまでやりません。オーナー夫婦からは「先生、変わってますね」と褒められましたが、これがマチ弁の仕事です。
こういう話をすると、よく他の弁護士から「商売っ気がないね、そんなお金にならない仕事をして、よく弁護士事務所をやれているね」と言われます。彼らは一つの取引で儲かると思っているんですね。会社は1年ごとに決算してプラスが出ればOKですが、弁護士の場合は30〜40年、或いは一生単位でプラスになっていれば十分なんです。
このアパートの立退き事件から20〜30年後、夜に事務所で仕事をしていると警察から電話がかかってきました。話を聞くと、ある夫婦が交通事故で即死し、自宅に電話をしても誰も出ない。誰か知人に連絡をとるために車内にあった連絡帳を見てみると、一番上に「弁護士山浦善樹」と書いてあったというのです。この夫婦というのが、実はあのアパートの明け渡しについての相談に来たオーナー夫婦でした。
あのときの小さなアパートは、開発されて10階建ての立派なマンションになっており相続の対象となっていました。警察から夫婦に身内はいないだろうかと聞かれ、仲違いをしたままの子どもが一人いると聞いていたことを思い出しました。連絡をとってみると「親の金なんか欲しくない」とはじめは突っぱねられましたが、どうにか説得して、両親の供養と財産の相続をしてもらえることになりました。
お金をかけずにアパートの立退き問題を解決すると、30年後にマンションの相続の話がやってくる。オーナー夫婦が死んでから依頼をしてきたようなものです。有り得ないような話ですが、そういうことが起きるんです。目の前の依頼者に丁寧に向き合って仕事をすると、種が風で舞い上がって土にまかれるように。必ず次に繋がっていきます。それがマチ弁の面白さです。
生身の人間を扱う仕事
あるとき銀行の紹介で、銀座のど真ん中にビルを4つくらい持っている会社から顧問弁護士になってほしいと言われたことがあります。「君は優秀らしいね。まずはこの事件で腕前を見せてくれ」と社長に言われたので、「私の周りには困って助けてくれという依頼者がたくさんいるので忙しいのです。あなたのテストを受けているような暇はありません」と即お断りしました。
もし私がテストを受けて合格したら、その瞬間に私は彼の下につくことになってしまいます。社会に出ると人をお金の力で支配しようとする人がたくさんいますが、彼はまさにそういう人でした。法律家は法律に従って仕事をするのであって、分け前をもらうために依頼者の言いなりになって仕事をしたらおしまいです。ビジネスの世界においても、弁護士は法律に従って仕事をすることに存在価値があります。
アメリカに、「18、19歳で弁護士や医者になろうとか言っている人には怖くて頼めない」というウイットが効いた名言があります。アメリカの大学には法学部がありません。法律というのは10代から勉強するものではなく、現実の社会を理解してから学ぶものだという考え方があるからです。
法律は科学技術などと違って、生身の人間の揉め事や悩みを扱います。法律家は、人間を理解し、生理と病理とを区別する能力が必要です。世の中には苦労したり、揉め事にぶつかったりしたときに初めて理解できることがたくさんあります。例えば「差別を受けた」という言葉を聞いても、実際に差別された経験のある人と、ただ言葉を知っている人とでは全然違います。事案の深さや難しさが分からないままに言葉を口にしても中身が伴いません。
最高裁判事になって得た49%の満足と51%の後悔
最高裁判事になって良かったですか? と聞かれたとき、私は「49%満足しているが、51%後悔している」と答えます。確かに、最高裁ではマチ弁では扱えなかった事件を担当でき、一番良い判決とは何かを勉強させてもらいました。でも、わたしは一番大事なことを失ったと思っています。
公務員の給料は振込ですが、私たち弁護士はお客さんと交渉します。「子どもが春に幼稚園に入るの? 物入りだね、それなら3万円でいいよ!」と、そういう応接をいつもやっているのです。それは自分にとっても大切ですが、お客さんにとっても大切なことです。
お客さんと何度も会ううちに、だんだん生活が見えてきます。報酬として3万円支払ってもらったときに、その封筒の中身が1万円札だけじゃなく五千円札や千円札混じりだったら、「あ、子どものお年玉をかき集めてきたのかな」と思います。そういうお金で自分は食べさせてもらっているんだな、と実感するのです。
一方、公務員の給料は税金から支払われ全額口座に振り込まれるため、最高裁の裁判官になった途端にお金の「におい」がわからなくなりました。汗や涙がにじんだお金をもらったことは一度もないからです。
最高裁判所見学に来た小学生から、「裁判官にとって一番大切なことは何ですか?」と質問されたことがあります。普通は「公平」とか「論理的に正しいこと」などと答えるのでしょうが、それでは子どもは面白くありません。私は、「目の前に困っている人がいるときに、何とか力になれないかな? と思うこと」と答えました。法律の細かいことをいう必要はありません。目の前にいる人たちに手を伸ばしてあげられるかどうか。それこそが、法律家にとって一番大切なことです。
昔の法律事務所は裁判官になったとき閉鎖したので、裁判官を辞めた後、戻るところがありません。知り合いの大きな弁護士事務所に入れてもらったのですが、昔のお客さんから「先生、変わっちゃったんですか」と言われ、ハッと気づき、神田に、昔と同じように、誰でも相談に来れるような小さな事務所を作りました。これからは、タクシー運転手のような弁護士になりたいと思っています。いつ、誰が乗るかわかりませんが、お客さんの希望する目的地まで、どんな山道でも、安全、確実に案内します。「法の巷の優良タクシー運転手」として仕事を続けていきたいと考えています。
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元最高裁判所判事、弁護士。1969年一橋大学法学部卒業。銀行勤務を経て、1971年に旧司法試験に合格し、1974年司法修習修了、弁護士登録。弁護士として活動しながら、最高裁判所司法研修所民事弁護教官、日本民事訴訟法学会理事、山梨学院大学大学院法務研究科教授などを歴任する。2012年に最高裁判所判事に就任。2016年の退官後は再び弁護士に。2017年、旭日大綬章受章。