新型コロナ禍の通勤電車でいまとは違う未来を見る(助田好人)

 4月7日に国内7都道府県において緊急事態宣言が発出されて1週間が経った。“STAY HOME”の掛け声の下、現在は在宅勤務もあわせて業務を行っている。個人情報の管理、書類への押印、お金の出し入れなど、オフィスでなければできないこともあるからで、日々、通勤電車に乗っている者として思ったことを綴ってみたい。

3密には戻りたくない

 通勤電車が駅でしばらく停車し、「ただいまお客さまトラブル対応により、一時的に停止しております」というアナウンスをサラリーマン諸氏であれば、一度ならず聞いたことがあるだろう。このトラブル、たいていは喧嘩だ。肘が当たった、足が邪魔だ、傘の水がズボンに落ちた、イヤホンから漏れる音がうるさい云々。大の大人がヤンキーのようにガンを飛ばし合い、あげくは互いの胸倉を掴みかからんばかりになる。密閉、密室、密集の3密のせいだ。そこでは誰もが身動きが思うようにとれず沈黙を強いられるのだが、ところどころに地雷があって、それを踏むとスーツにネクタイ姿の男性がキレてしまうのだ。したがって職場の最寄駅に着いて下車するときに、みんなげんなりしている。仕事が始まる前にこれでは、日本の一人当たりのGDPが年々低下していくのも無理はない。

 その風景が緊急事態宣言発出後、少しずつ変わっている。乗客が少なくなったので、他人との身体の接触がなくなり、車内にかすかだが穏やかな空気が流れるようになった。一方、通勤電車に乗らなくなったことで「なんだ、在宅でもぜんぜんオーケーじゃないか」と思った人も少なくないだろう。長い通勤に揺られることもなければ、職場でのだらだら続く会議もない。十分な睡眠とゆっくりした朝食をとった後には、きっといいアイデアも浮かぶだろう。

 緊急事態宣言解除後も、できる人は在宅で。自宅で仕事は難しいという人は、地元の駅近くのコワーキングスペースまで「出勤」しよう。都心の本社にはどうしても行かなくてはいけない時だけ出向けばよい。すでにそういう働き方を実践している企業はある。

 そして週に1日くらいは地元に目を向けよう。地域でお金を回せるような仕組みをつくったり、住民のための映画祭や展覧会など、文化イベントを開催したり。そうした地域貢献は企業の社会的な価値を上げるはずだ。地域に人間関係をもたない、私のような寂しい世の男性たちにも地域に居場所ができる。

便乗するなら踊れ

 ただし、そういう世の中をつくるためには、新型コロナ禍を何とか乗り越えなくてはならない。余力を残しておくためにも政府の休業補償は必須である。自民党の幹部のなかには、国民に休業を求めておきながら、その補償の話になると「働かざる者、食うべからず」などと言う人がいるらしい。この言葉、そっくりそのまま当該の政治家にお返ししよう。人気ミュージシャンの動画に、瀟洒な自宅で犬と戯れたり、コーヒーを飲んだり、本を読んだり、テレビをザッピングしたりする自らの姿の映像を並べた総理大臣におかれては、それはコラボを呼び掛けているのだから、せめてカメラの前で踊るか、それができないなら音楽の政治利用はやめていただきたい。

 ちなみに私は家で本を読んだり、DVDを見たり、料理したり、STAY HOMEは得意な方だと思うのだが、それでもストレスが溜まったときは、家人が寝静まる深夜を見計らって、好きなポップスをイヤホンで聞きながら、リズムに乗せて身体を動かしている。端から見たら奇怪な光景だろうから内緒にしていたのだが、星野源さんによる「うちで踊ろう」「ひとり踊ろう」のメッセージのおかげで、私の密かなストレス解消法が市民権を得たような気分だ。

 ひきこもり状態にある人は現状をどうみているのだろう? 人それぞれだろうが、不登校の子どもであれば、新学期の延期で少しは気持ちが楽になっているのではないか。ひきこもっている大人には、緊急事態宣言がいつまでも続いてほしいと思う人がいるかもしれない。だが、宣言解除後に在宅勤務が当たり前になれば、彼らにとっての仕事の選択肢が増えるはずだ。

 楽観的に過ぎるという批判はあるだろう。だが、新型コロナ禍によって、国民の多くがいままでとは違う未来を想像できるか、できないか。それによってこの国の形は大きく違ってくるのではないか――そんなことをつらつら考えながら通勤電車に乗っていると、たまに下りる駅を乗り過ごすことがある。

(助田好人)