「何が大変かって、家族5人分のごはんを3食作ること。作っては食べの毎日で、この1ヶ月で2キロ太っちゃった」
パソコンの画面越しに久しぶりに見るnacheさん(日本人女性 50歳)の笑顔は、心なしかふっくらしたようにも見える。
中央ヨーロッパの南端スロヴェニアの大学で日本語教育に携わって25年、nacheさんは、スロヴェニア人の夫と3人の子どもたちと首都リュブリアナ郊外に暮らしている。
スロヴェニアは人口約200万強、四国を一回り大きくしたくらいの小国で、ヨーロッパにおける新型コロナウイルス感染拡大の発端となったイタリアの東隣に位置している。2月下旬、北イタリアで感染爆発の兆しが現れると、ウイルスは瞬く間に国境を越え、3月に入るとスロヴェニア国内にも陽性患者が出始めた。
緊張感は一気に高まった。3月7日に出された「500人以上の集会禁止」は、早くも翌日には「100人以上」に狭められた。政府は12日に「新型コロナウイルス感染症流行宣言」を発出。時限立法(日本の新型インフルエンザ特措法のようなもの?)に基づき、事実上のロックダウンに入った。
それに先だつ3月9日、nacheさんが勤務する大学は構内封鎖を決定。16日、公共交通機関はすべてストップ。教育機関、文化施設なども閉鎖。nacheさんの子どもたちの学校も休校になった。17日、空港閉鎖。18日、5人以上の集会禁止。20日、公共の場における複数名での移動禁止、違反者には罰金400ユーロ。20日、居住地以外への移動を原則禁止、食料品を扱う店や郵便局などでのマスク着用義務化など、ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離の保持)からロックダウンに至るまでの対策は、日本に比べて具体的で迅速に進んだかに見える。
以下は、nacheさんが見聞きした範囲での「コロナ巣ごもり生活」の様子。
●パン屋さんや薬局など、生活必需品を扱う小売店、スーパーマーケットはおおむね営業している。スーパーは、高齢者、障がい者、妊婦など限定の時間を設けるなど、感染リスクを避けるための措置を講じており、商品の奪い合いや買い占めなどのパニック騒動が起きたという話は聞いていない。
量販店前の看板には「一度に10人ずつ入店、熱など症状のある人は禁止。一人ひとり責任を持って行動してください」などの注意書きが。店は今週から少しずつ再開し始めている。先が見えない日本と違って、ヨーロッパではすでにピークダウン、終息の光が確実に見えている。日本は本当に出遅れて、1ヶ月遅い気がする
●公共交通はストップ。自家用車での移動はできるが、あちこちに検問があって行き先や用件をチェックされる。また町中でたむろするなど「3密行動」していると、警察に尋問され、罰金をとられることもあるので、外に出るときには緊張する。
●ジョギング、散歩などは自由だが、団体競技で許されるのは、サッカー、テニス,ペタングの3種のみなど、やたら細かい決まりもある。
(ちなみにnacheさんの同僚のイタリアに住む両親は、マンションの部屋からは出られるものの建物からは出られず、運動不足解消のために非常階段を上り下りしているとか)
●病院はどこも原則外来診療をストップしている。野外にテントなどの発熱外来を設置、PCR検査は迅速に行われている模様。
発熱以外の病気やけがについては、かかりつけ医にオンラインで相談。直接の診察を受ける必要のない場合は、そのまま処方箋が薬局に回る仕組みなので、市民は保険証ひとつで薬を受け取ることが出来る。
●子どもたちの学校(日本で言えば小中の義務教育)では、休校してほどなくオンライン授業が始まり、時間割に従ってそれぞれが自宅のパソコンの前で学習している。学年によってはこれまでと同じような対面授業もあるし、宿題も出される。体育、音楽など実技指導も工夫されている。
以上の話から想像するに、スロヴェニアのロックダウンは、フランス、イタリア、スペインほど厳しくはないが、日本の効果があるのかないのかよくわからない中途半端な「外出要請」とは違って、締めるところはきちんと、自主性に任せるところは自由にというメリハリがきいた対策だと感じた。
一番感心したのは教育だ。学校のホームページをのぞいてみると、教師たち手作りのコンテンツはレイアウトを見るだけでもわかりやすく楽しげで、学習意欲をそそられる。この学校では、すでに昨年秋から児童向けのホームページを作ろうという試みがあり、プラットフォームだけは出来ていたのだという。そこに降ってわいたコロナ休校、今こそ始動の時だと急遽先生たちがアイデアを出し合い、連絡を取り合ってコンテンツを作り、週一でアップする体制が瞬く間に整えられたというから驚く。
楽しげな学校のホームページ。学年の数字をクリックすると、カリキュラムのページに変わる
もともとスロヴェニアではインターネットのインフラ、特に教育機関のウェブ化を支援する体制がしっかりしており、そのおかげで今回のリモート授業もスムースに実現できたという事情がありそうだ。
もちろんいいことずくめではない。やはり問題なのは生活補償などお金の問題だ。nache家は夫婦とも国家公務員なので、いまのところ収入の8割は補償される見通し。収入の減った自営業への損失補填、子どもの数や年収に条件を設けた上での生活支援金の支給、税金・保険料・公共料金の減額など、即効性のある対策も、ぽつりぽつりとは出てはいる。ただし個人事業主、フリーランスへの補償はあいまいで不十分だと、不満の声が上がっている。
スロヴェニアの現政権は保守系中道でリベラルとは言い難い。危機に乗じて権力集中をもくろみ、戦争ごっこをしたがるのは、どこかの国と似ている。たとえば国境閉鎖の時には早速軍隊を出動させ、難民封じに活躍した有刺鉄線を張り巡らしたのだとか。「すかすかの有刺鉄線で極小のウイルスを封じ込めるつもりかしら」とnacheさん。
マスクを巡る怪しい話もある。ヨーロッパではそもそもマスクをする習慣がなく、マスクを持っている家庭は少ないのに、外出時のマスク着用が義務づけられることになった。折しも日本では布マスク2枚が各家庭に配られるというニュースも聞いたばかり。するとその翌日なんとnacheさんの家のポストに2枚のマスクが! 日本大使館が国内に先駆けて配布したのかしら?! と思いきや、結局どこのだれが投函したのかわからずじまい。後で聞くところによると、政府が中国から輸入し、それが流れ流れて各戸に配布されたらしいのだが、その経路やお金の流れは不透明で、謎のまま。例の中国の「マスク外交」が、スロヴェニアにもやってきたのだろうか? nacheさんは正体不明のマスクは使わず、日本手ぬぐいなどでせっせと手作りして友人に配り、喜ばれている。
nacheさん手作りのマスクをした友人たち
自由と民主主義の本家本元ヨーロッパで、なぜこれほどすんなりロックダウンが「成功」したのか。今回、nacheさんに話を聞いたのは、そのことが知りたかったからだ。それについて彼女はあくまで私見としてこう語ってくれた。
「政府がこう言ってるから従わなければ、というより、ウイルスの蔓延を自分たち自身の判断と行動で止めなければ、という気持ちが強いのではないかしら。
ロックダウンで確かに不自由はあるけれど、社会を維持するために必要なことと納得している人が多いと思う。社会を作っているのは私たち一人ひとり。だれもが構成員の一人という自覚が、ごく当たり前に滲透している気がする」
やっぱり、とうなずいた。一言で言えば民主主義の成熟度が問われているのだ。日本では、「早く緊急事態宣言を」「もっと強制力のある命令を」など、決められる政治、強いリーダーシップを求める空気が、今回のコロナ騒ぎで増長された気がする。気持ちはわかるが、なんだか怖い。今回のパンデミックは全世界の国、そして各個人に課された試験、民度を計るリトマス試験紙だと言われる。間違った方向に向かわないよう、自らを律したい。
(田端 薫)