第85回:腑に落ちない緊急事態宣言延長(森永卓郎)

専門家会議のメンバーを入れ替えるべきだった

 5月4日に安倍総理は、5月6日を期限としていた緊急事態宣言を5月末まで延長することを正式に発表した。国民に厳しい自粛生活と経済や経営に危機をもたらす緊急事態宣言が、ほぼ2倍の期間に延長されることになった。そのことについて、安倍総理は、謝罪の意を示したが、本当に反省しているとは、私には思えない。専門家会議のメンバー構成に一切手を付けなかったからだ。
 4月7日に最初の緊急事態宣言を出したとき、安倍総理は、新規感染者数を2週間でピークアウトさせ、1カ月で収束させると宣言した。市中感染率の調査をせず、感染実態が分からないなかで、どうしてそんなことができるのか、私は不思議だったが、北海道大学の西浦博教授の数理モデルをもとに、「人との接触を少なくとも7割、できうる限り8割削減」すれば、それが可能だと安倍総理は決断したのだ。
 感染実態が分からなければ、的確な対策は打てない。つまり、安倍総理は危険な賭けに出たのだが、その賭けは失敗に終わった。それが緊急事態宣言延長の意味することだ。政治は結果責任だから、失敗した以上、安倍総理はコロナ対策を誤った専門家会議のメンバーを当然入れ替えるべきだった。読者のなかには、専門家会議は専門家として普通の判断をしただけだと思われるかもしれないが、そうではない。彼らは主流派かもしれないが、決してスタンダードではなく、彼らと違うことを言う感染症専門家はたくさんいた。最も大きな差は、市中感染率に対しての姿勢だ。

科学は現実のデータを見つめることから

 専門家会議の尾身茂副座長は、4月1日の記者会見で「日本ではコミュニティーの中での広がりを調べるための検査はしない」と述べた。PCR検査による市中感染率調査の拒否だ。これは、いまでも政府の方針として貫かれている。おそらく、そんなことをしたら、陽性者が病院に殺到して医療崩壊を招くという懸念があったからだろう。しかし、それは政府が言うべきことで、感染症の専門家が言うことではない。科学は、正確に現実のデータを見つめることから始まるのだ。実際、白鷗大学の岡田晴恵教授をはじめとする多くの感染症の専門家が2月の段階から、ずっと市中感染率の調査の必要性を主張し続けている。それを無視して、非科学的な対策を打ち出し、失敗をもたらしたのだから、専門家会議の責任は重いと言わざるを得ない。尾身副座長は、専門家会議とは別に経済の専門家会議を組成して、両方の意見を政府が踏まえて、自粛解除など、今後の政策判断をすべきだとしているが、そうではないと私は思う。専門家会議のなかに統計学や経済学などの専門家を加えて、科学的判断をすべきなのだ。
 ちなみに、当初の緊急事態宣言とセットで導入された国民に一律10万円を給付する特別定額給付金や中小企業に最大200万円を給付する持続化給付金は、自粛のための巣ごもり資金だったはずだが、宣言延長に伴って、それを再び支給するという話は一切でなかった。延長の期間を政府はどのように生活しろと考えているのだろうか。

全国レベルでの県外移動制限は必要か?

 緊急事態宣言延長のもう一つの大きな問題は、全国一律に、県を超える移動の自粛を要請したことだ。西村康稔経済再生担当大臣は、5月8日の会見で、4月30日から5月6日までの1週間、新規の感染者がゼロの場所が岩手、高知、熊本など、17県あるとして、そうした地域については、5月14日にも宣言を解除できる可能性があるとした。ただ、そうした地域に対して、いま県外移動の制限を継続する必要がどこにあったのだろうか。
 さらに、17県以外の地域でも、宣言解除が可能だった地域はたくさんある。例えば東海地方では、5月7日時点で、特定警戒都道府県の一つに指定されている愛知県でさえ、4月26日以降、新規感染者数が5人以下の日が続いている。一方、岐阜県は5日連続でゼロ、三重県は13日間連続でゼロだ。三重県は観光立県なのだが、県間移動が制限されているため、ナガシマスパーランドや志摩スペイン村など、多くの主要リゾート施設が休業を続けている。少なくとも東海地方のなかで、県間移動を容認しても、リスクはさほど大きくないのではないか。
 関東地方をみても、新規感染者の数を4月26日から5月2日までの平均でみると、東京の92人に対し、埼玉11人、千葉7人、神奈川19人と、南関東三県は、ほぼ一桁少なくなっている。北関東は、群馬1人、栃木0人、茨城1人とさらに一桁少なくなる。つまり、東京から少し離れるだけで、感染者数は激減するのだ。
 全国一律の緊急事態宣言を継続した理由は、解除地域を作ると、そこに観光客などが殺到して、感染を広げてしまうからだという。しかし、それを防ぐ方法は、全国レベルで県境を超える移動を制限することに限らない。感染が深刻な地域から他県への移動を抑えればよいのだ。

宣言解除の具体的な基準

 緊急事態宣言延長の三つ目の問題は、どのような状態になったら、宣言が解除されるのかという具体的な基準を示さなかったことだ。この点に関しては、5月5日に大阪府の吉村洋文知事が、「大阪モデル」と呼ぶ自粛要請解除のための独自基準を発表した。 ①新規の感染経路不明者10人未満、②陽性率7%未満、③重症病棟の使用率60%未満という3条件を1週間連続で満たせば、自粛要請を解除するとしたのだ。
 大阪モデルは、具体的で分かりやすく、多くの国民から称賛された。だが問題は、この基準が東京に適用できないということだった。実は東京都は、PCRの行政検査の人数については発表しているものの、民間検査分は発表していない。だから、陽性率を計算できなかったのだ。ただ、おそらく大阪モデルの発表を受けてだろう、東京都は5月7日になって初めて民間検査分を含む陽性率の数字を明らかにした。ただ、相変わらず、民間検査を含む検査人数は公表していない。なぜ、完全なデータを公表しないのだろうか。
 東京都については、まだ疑問がある。政府は、献血者からの同意を得て血液の一部を抗体検査に活用すると決め、東京都内と東北地方で500検体ずつ検査を行い、東京都分は4月22日と23日に血液を採取済みだ。その結果は、当初5月1日にも公表する方向だと報じられていたが、本稿を執筆している5月10日時点で、まだ公表されていない。私は、東京の感染実態が相当ひどいことになっているので発表しないのではないかと考えていた。例えば、4月23日に東京の慶応大学病院が、入院予定の一般患者67人に対して、PCR検査を行ったところ、およそ6%、3人が陽性だった。サンプル数が少ないうえに、入院患者という偏ったサンプルだったため、この感染率をそのまま使うのは危険だが、仮に6%が感染者だとすると、東京の人口は1395万人だから、84万人も感染者がいることになる。これは、公表されている感染者数の170倍で、とんでもない数だ。だが、事態は真逆だという情報もある。献血の検体を調べてみたら感染率が予想以上に低かったので、自粛が緩むことを警戒して、結果を出さないというのだ。確かに献血にくる人は健康そのものの場合が多いから、感染率が低いことは十分考えられる。だから、東京都の感染率が高いのか、低いのか、いまのところ分からない。ただ一つ明らかなのは、政府や東京都が国民にありのままのデータを国民に示すという態度を取っていないことだ。

東京の感染実態を明らかにすべき

 そもそも、根拠なしに緊急事態宣言を行ってしまったから、出口戦略を描けないのだ。しかし、ずるずると自粛を続けたら恐ろしいことが起きる。中国や韓国ではすでに感染が収束し、経済活動が元に戻りつつある。中国の4月の輸出は、前年同月比で3.5%も増えているのだ。ヨーロッパも5月から経済活動を元に戻す取り組みを始めている。このままだと、世界経済のなかで日本だけが沈没することになりかねないのだ。
 フランスは、5月11日からロックダウンを段階的に解除することを発表したが、パリのロックダウンは継続される見通しだ。
 以上のことを考えると、私は、まず東京都で無作為抽出による1000人規模の抗体検査とPCR検査を同時に行って、感染実態を明らかにすべきだと思う。1日あればできる検査の規模だ。そして、そこである程度高い市中感染率が出てきたら、「東京以外」の緊急事態宣言を解除するのがよいと考えている。
 複数の感染症の専門家は、全国の新規感染者が100人を切れば、緊急事態宣言解除が考えられると言ってきた。ただ、「東京以外」で考えれば、5月6日以降は、全国の新規感染者数は100人を割り込んでいる。十分解除が可能な水準だ。
 また、5月10日に厚生労働省が発表した都道府県別の入院患者用のベッド使用率によると、8割を超えていたのは、東京と石川だけだった。つまり、東京と石川以外は、重症患者用のベッドにある程度余裕があるのだ。
 だから東京だけは緊急事態宣言を継続して、条件を一つだけつければよい。それは、東京へ行ってはいけない。そして、東京から出てはいけないということだ。
 もちろん、日本の場合は、海外と異なって、法律上、都市封鎖はできないとされている。しかし、本当にそうだろうか。例えば、東京との都県境をまたぐ列車の運行を禁止することは、鉄道事業は認可事業だから、実質的には可能だ。高速道路も、株主は、百パーセント政府なのだから、東京との県境を例えば乗用車に限って封鎖することは可能だろう。
 だから、東京を封鎖して、他の地域をできるだけ早く経済を元に戻すのだ。そうすれば、人口の9割、経済の8割を元に戻すことが可能になる。幸い、東京都の財政には大きな余裕がある。だから東京都民には厚い手当をして、経済は残りの地域が頑張る。それが現時点で感染症対策と経済対策をバランスさせる一番よい方法なのではないだろうか。

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森永卓郎
経済アナリスト/1957年生まれ。東京都出身。東京大学経済学部卒業。日本専売公社、経済企画庁などを経て、現在、独協大学経済学部教授。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』(光文社)、『年収120万円時代』(あ・うん)、『年収崩壊』(角川SSC新書)など多数。最新刊『こんなニッポンに誰がした』(大月書店)では、金融資本主義の終焉を予測し新しい社会のグランドデザインを提案している。テレビ番組のコメンテーターとしても活躍中。