中島岳志さんに聞いた:「救世主待望論」から抜け出して、ポスト・コロナに向けたパラダイム転換を

中島岳志さんに聞いた:「救世主待望論」から抜け出して、ポスト・コロナに向けたパラダイム転換を

「コロナ危機」への対応で、吉村洋文大阪府知事への支持が広がっています。あわせて「日本維新の会」への評価も高まり、今年解散総選挙があれば、大幅に議席を増やすのでは? との声も。なぜここまで急速に支持が拡大したのか、そして、政権の支持率が下がる一方で、他の野党はなぜ支持を伸ばせないでいるのか。政治学者の中島岳志さんに、現状と今後の見通しを読み解いていただきました。

吉村知事の「見た目だけのファインプレー」

──今年5月、毎日新聞と社会調査研究センターが、新型コロナウイルス問題への対応について「最も評価している政治家」についての共同調査を2度にわたって行い、2度とも大阪府の吉村洋文知事が2位の小池百合子東京都知事に大差をつけてトップとなりました。それ以外でも、SNSで吉村知事を応援するタグが登場したりと、この「コロナ危機」を経ての支持の高まりは顕著です。これを受けて「日本維新の会」への支持も高まっており、5月の連休明けの世論調査では、日本維新の会が政党支持率で立憲民主党を抜いて野党トップとなったことが報じられました。
 中島さんは、こうした状況をどう見ておられますか。

中島 これは、私が考えた言葉ではなくて評論家の若松英輔さんが言っていたことなんですが、吉村知事が支持を集めている大きな理由は「出遅れた外野フライキャッチ」だと思っています。

──どういうことでしょう。

中島 野球の外野フライを捕るとき、本当の名選手は打球が落下する位置を予測して、そこに前もって走り込んでおくものです。それが本当のファインプレーなのですが、きちんと準備しているからこそキャッチ自体は平凡なものに見えるんですよね。一方、予測ができない選手は、球が飛んでいって外野に落ちそうになってからダッシュするけれど、ぎりぎりのところで飛びついてキャッチするから、まるですごいファインプレーであるかのように見える。これが「出遅れた外野フライキャッチ」です。
 前者の「本当のファインプレー」をやったのが、たとえば大阪の隣の和歌山県だと思います。2月という早い時期に県内に感染者が出たものの、早期検査と濃厚接触者の追跡、院内感染の防止などを徹底したことで、感染者の拡大を防ぎました。また、検査数や感染者数、空き病床数などの情報開示に力を入れて感染拡大を抑えた愛知県なども、かなりうまくやったケースといえるでしょう。人口規模も大きく、東京・大阪という大都市に挟まれて人の出入りも多い中で、よく抑えたと言っていいと思います。

──しかし、その「ファインプレー」が、メディアなどで評価されることはあまりなかったように思います。特に愛知県の大村秀章知事に対しては、吉村知事と対比してのバッシングも目立ちました。

中島 初動段階で検査数を増やすと、どうしても感染者数は増えますから、そこでバッシングが起こりやすいんですよね。実際には、検査で状況を正確に把握したことによって早期に収束する場合も多いのですが、そのときの数字だけを根拠に叩かれてしまう。
 そんなところに出てきたのが、大阪や東京のような「出遅れ」組です。大阪も東京も、感染者が出始めたときの初動は愛知や和歌山に比べてかなり遅かったと思います。特に大阪の場合は、この十数年にわたって公務員の数を減らし続けてきたこと、中でも保健所や感染症の研究所、病院などの人員・予算が維新府政下で大きく削られてきたという背景が、病院や保健所のパンク状態につながっていたことは明白でした。
 かつて大阪府知事・大阪市長を務めた橋下徹氏自身、ツイッターでこう言っています。「僕が今更言うのもおかしいところですが、大阪府知事時代、大阪市長時代に徹底的な改革を断行し、有事の今、現場を疲弊させているところがあると思います。保健所、府立市立病院など。そこは、お手数をおかけしますが見直しをよろしくお願いします」。彼はのちに、保健所の数を減らしたのは自分の前の太田房江府政だと批判していますが、関係機関のトータルの人員は、維新府政によって削られているのです。

──結果として、大阪の感染者数は東京に次いで多く、人口あたりの感染者数も全国平均を上回っているのが現状です。愛知県の大村知事が「医療崩壊」を指摘したように、大阪府内の一部の病院が救急患者の受け入れ停止・制限に追い込まれたことも伝えられました。

中島 それでも、テレビや会見で国の施策を繰り返し批判し、「大阪モデル」などの強い言葉を打ち出せば、まるで外野フライに飛びついてぎりぎりでキャッチしたように、「ファインプレー」に見えてしまう。そうして「出遅れたキャッチ」が脚光を浴びる一方で、地味だけれど正しい外野フライの捕り方をした──つまり、早い段階からしっかりと対応を取っていた自治体のほうはまったく注目されない。これが、この「コロナ危機」を通じて起きていた現象ではないかと思います。

中島岳志さんに聞いた:「救世主待望論」から抜け出して、ポスト・コロナに向けたパラダイム転換を

人のネガティブな感情が、政治にうまく利用された

──早い段階からしっかりと対応がなされたか、感染拡大を抑え込めたかといった結果よりも、その「見え方」で支持が集まったということでしょうか。

中島 そう思います。そしてもう一つ、吉村知事が注目を集めた大きなきっかけが、「パチンコ店の店名公表」です。

──4月末ですね。府の休業要請に応じなかったパチンコ店の店名が公表され、最終的にはそのすべての店舗が休業したと伝えられています。

中島 店名が公表された後には、「こんな危機のときなのにパチンコ屋に並んでいる奴がいる」と、写真や動画を撮影してSNSに上げる人まで現れました。あれほどまでに世論が「盛り上がった」のは、対象がパチンコだったからだと思います。つまり、多くの人たちが、普段から潜在意識の中でネガティブな感情を向けていた存在だから、ということです。
 パチンコ店に並ぶ人たちを見ながら、「俺は一生懸命仕事してるのに、こいつらは朝からだらだらしやがって」みたいな感覚を持っていた人は少なくないでしょう。普段はなかなか表に出せなかったそういう負の感情が、危機状態に陥ったときに敵意として表面化してくるわけです。

──実際に危険な場所だからというよりも、もともと「気に入らない存在」だったところに敵意が向くということですね。

中島 関東大震災のときの朝鮮人虐殺などもそうだったのかもしれません。普段から「なんだよ、あいつらは」とどこかで思っていた人が、震災後の混乱の中で朝鮮人たちに敵意を抱いたという面はあったと思います。
 今回でも、たとえば「感染を拡大する」などとしてライブハウスへの非難が集中した背景には、「うさんくさい若者が集まってよく分からないことをやって」などと、普段からライブハウスのことをよく思っていない人たちの存在があったでしょう。あるいは「休校中の子どもが公園で遊んでいたら通報された」というのも、普段から「うるさいな」と思っていた人がここぞとばかりに通報したところがあったのではないかと思います。
 ただでさえ、そうしたネガティブな感情が敵意となって表れやすいときに、それをうまく利用したのがあの「店名公表」だった。今回だけではなく、誰かに敵意を向けることで人々の連帯感を強め、自分たちへの支持につなげるというのは、「維新政治」の典型なんですよね。

──「維新の会」創設者である橋下氏が大阪府知事や大阪市長を務めていたときにも、激しい公務員バッシングがありました。メディアの一部やアカデミズムも標的になったと記憶しています。

中島 そのように、一部の人たちを「偉そうに特権をむさぼっている敵」として示すことで、多くの人たちの潜在的なネガティブな感情を引き出してうまく利用する。そうした「維新政治」の手法と、先にお話しした見た目だけの「ファインプレー」で支持を集めたのが、吉村知事なんだと思います。

危機のときに広がりやすい「救世主待望論」

──緊急事態宣言は全国で解除されましたが、第二波の到来も予測されていたりと、まだまだ不安な状況が続きます。そんな中で、今後想定される政治や世論の動きで、気になっていることはありますか

中島 一つはやはり「救世主待望論」ですね。
 実は以前にも、維新の会が急速に支持を広げたときがあって、それが2011年の東日本大震災の後です。あのときは、民主党政権に対する不満が自民党に向かず、当時は大阪府知事だった橋下徹待望論になって維新の会への支持へと向かっていきました。原発の問題などがあって、「何をどうしたらいいのか分からない」という不安が広がる中で、橋下氏という「強いリーダー」をみんなが求めたのだと思います。 
 今もまた、コロナによって社会が不安に覆われ、人々が硬直化している。こういうときには「何かをやってくれそうな誰か」を求める「救世主待望論」が出てきやすいのです。

──それは今回、どこへ向かうのでしょう。

中島 吉村知事や、あとやはり支持率の急増が伝えられる小池知事への支持が、まさにその表れといえるのではないでしょうか。今は、保守も左派も、政府の対応に不満を抱いている。それが「政府批判も辞さずに独自の政策を進めている」かのようなパフォーマンスが上手な2人への待望論へとつながっているのだと思います。 
 ただ、冷静に世界を見てみれば、すべての国が危機のときに「強いリーダー」を求めるわけではありません。たとえば、ドイツのメルケル首相が3月に国民に向けて行って、日本でも話題になったテレビ演説があります。コロナの問題は抽象的な数字の話ではなく「ある人の父親であったり、祖父、母親、祖母、あるいはパートナーであったりする、実際の人間が関わってくる話」だとして、医療従事者に加えて「現下の状況において最も大変な仕事の一つ」であるスーパーで働く人たちに向けての感謝の言葉を述べる内容でした。あれは、自分自身も感染の不安を抱えていたメルケルが、自分の弱さと向き合うことで出てきた演説だったと思うし、だからこそ多くの人の胸に響いたのだと思います。
 虚勢を張ることなく、自分の人間としての弱さを認めたときにこそ、真の強さというものが生まれてくる。私はそれこそが本当のリーダーシップだと思うし、そうしたリーダーシップが支持を集めている国も少なくありません。しかし日本では、あまりにも本当のリーダーシップを備えた人材が乏しいがために、単純に「強い」言葉を口にしてくれるリーダーへの待望論が絶えないのではないかと考えています。

中島岳志さんに聞いた:「救世主待望論」から抜け出して、ポスト・コロナに向けたパラダイム転換を

権力批判が、全体主義を起動させていく──国家総動員法

中島 さらに、それとも関連して、もう一つ今非常に気になっていることがあります。いわゆる「リベラル」の側が政府により強い対応を求めるという傾向です。

──どういうことでしょう?

中島 4月初めの、緊急事態宣言発令前の状況を思い出してみてください。最終的に宣言が発令されたのは4月7日ですが、その数日前にも「出るのではないか」という話が広がったタイミングがありました。小池都知事なども「早く宣言を」と突き上げていましたが、政府は経済への影響を考えて「出さない」という判断をしたのです。
 そのとき、普段はリベラルな傾向の発言をしているような人の中にも、「何をもたもたしているんだ」「都市のロックダウンも考えるべきだ」といったことをSNSなどで主張する人が少なくなかった。これは、非常に危険なことだと思います。

──たしかに、国はもっと強硬な措置を取るべきだ、という論調が目立ちました。

中島 緊急事態宣言自体は、私は出すべきだったと思うし、結果的には出して正解だったと思います。しかし、都市を本当の意味でロックダウン──他の都市との行き来を禁止したり、市民の外出を禁じたり──するというのは、日本においては法の規定外です。そうした法を越えた権力の稼動を、むしろリベラルのほうが求めるというのは、非常に危ない現象だと考えます。
 戦前の日本に、国家総動員法という法律がありました。国内の人的・物的資源を自由に統制運用できる強大な権限を政府に与える法律で、1938年に制定されました。前年から始まった日中戦争が泥沼化し始めて、国民経済が疲弊していたときです。
 この国家総動員法を成立させようとしたのは近衛文麿内閣ですが、それを強力に推進したのが、戦後の社会党につながる無産政党の社会大衆党でした。逆に、保守政党である立憲政友会や立憲民政党から「憲法違反だ」とする反対の声があがるのですが、社会大衆党の一部の議員が、「保守政党は生ぬるい」として、これを強く批判するのです。「こんな危機的な状況なのだから、一致団結して突破しなくてはならないのに、何を呑気なことを言っているんだ」というわけですね。

──今のイメージからすると、保守派は賛成して、左派は反対ということになりそうですが、まったく逆だったんですね。

中島 社会大衆党所属の議員の一人、西尾末広は国会で、国家総動員法の必要性を訴え、近衛首相に対し「ヒトラーやムッソリーニやスターリンを見習え」と激励する演説までやっています。これに対しても、主に保守政党から抗議の声が上がり、この発言は議事録から削除、西尾は議員除名に追い込まれました。
 そのくらい、当時は革新政党のほうが政府の政策を「生ぬるい」と批判していた。そのことが、結果的に近衛内閣の進める戦時体制を後押しし、近衛が初代総裁を務めた大政翼賛会結成などに向かう道筋をつくっていくことになるのです。
 つまり、権力に対するもどかしさ、不安ゆえに強い政策を求めることが、逆にその権力を加速させ、全体主義を起動させていくという構造がここにはある。現代でいうならば、安倍政権を批判して強力な施策を求めることが、逆に「安倍的なるもの」をより加速させ、たとえば「緊急事態への対応が大切だから、憲法を改正して緊急事態条項創設を」という声を正当化する方向につながってしまう可能性もあることを、しっかりと認識しておかなくてはならないと思います。
 法というのは、過去の人々が英知を積み重ね、試行錯誤を繰り返してつくり上げてきたもの。それを、一時的な必要性だけで安易に破り捨ててしまうことは、非常に危険です。だから私たちは、権力の法外な発動というものに対して注意深くいなくてはならない。権力を批判しているつもりが、逆に自分たちの未来を掘り崩すことになっていないか、常に留意しておく必要があると思います。

中島岳志さんに聞いた:「救世主待望論」から抜け出して、ポスト・コロナに向けたパラダイム転換を

野党は「もう一つの世界観」を示せ

──しかし、政権への批判が強まる一方で、維新の会を除く立憲民主党などの野党はむしろ、以前よりも支持を減らしています。先ほどお話しいただいた「救世主待望論」はなぜ、既存の野党へは向かないのでしょうか。

中島 多くの人にとってはもはや、既存の野党は「自民党とそれほど変わらない」存在にしか見えていないからではないでしょうか。だからこそ、「チンタラやっている現政権とは違って、強いリーダーシップで素早い決断ができる」ように見える維新に支持が集まるのだと思います。
 ただ、その人たちが実際に「維新的なもの」を求めているのかといえば、実はそうではないだろうと思うのです。本当の意味で求められているのは、これまでとはまったく違う「もう一つの世界観」、パラダイムシフトのあり方を示すことなのではないでしょうか。

──どういうことでしょう?

中島 今回のコロナ危機は、私たちの社会が抱える大きな問題を鮮明に顕在化させました。
 イタリアの作家、パオロ・ジョルダーノは著書『コロナの時代の僕ら』の中で、コロナの問題の本質は、ウイルスの「引っ越し」であると書いています。つまり、人間が長年にわたって自然を酷使し、地球環境を破壊し続けてきた結果として、「居場所」を失ったウイルスが人間社会へと「引っ越し」してきているのだ、というわけです。だから、今回のコロナ危機が去ったとしても、パンデミックは今後も次々にやってくる可能性がある、とジョルダーノは言っています。
 そう考えると、これは製薬会社が頑張ってワクチンを開発すれば解決するという問題ではありません。次なるパンデミックを防ぐためには、ウイルスの「居場所」を確保することがどうしても必要になってきます。そしてそのためには、これまでの資本主義や経済のあり方、私たちの社会そのもののあり方を、根本的に見つめ直し、考え直していく必要があると思うのです。

──それが「もう一つの世界観」ですね。具体的には、どんなことでしょうか。

中島 たとえば、経済政策として財政出動を行うにしても、これまでのように大きなハコモノ作りはやらない。代わりに、アスファルトの道路を浸水性の高い素材に変えていく、建物の屋上緑化を進めるなど、地球環境との共生を前提としたグリーンインフラの整備に力を注いでいくというのも、一つの選択肢でしょう。
 環境問題に関することだけではありません。今回のコロナ危機では、非正規労働者など、もともと弱い立場に置かれている人たちがさらに経済的な打撃を受けました。また、物流や販売、介護など、直接的に感染の危機にさらされながら仕事を続けざるを得なかったにもかかわらず、労働条件が決してよいとはいえない人たちも多かったはずです。新自由主義の強まりの中で、経済格差が拡大して一部の人に富が偏在してきたという状況を、根本的に解消していく必要性もあぶり出されてきたと思います。
 野党は今、給付金や補償金など、明日の生活をつなぐための経済補償をどうするかということに目が行きがちですし、それはそれでもちろん重要です。しかし、本質はそこではない。自然と人間との関係性を見つめ直し、社会のあり方そのものを変えていくための「ビッグピクチャー」を示すこと。「ポスト・コロナ」に向けたパラダイム転換を主導していくこと。それこそが今、本当の意味で政治に求められていることだと思うのです。

(構成/仲藤里美)

なかじま・たけし 1975年大阪府生まれ。政治学者。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て現職。専門は南アジア地域研究、日本近代政治思想。主な著書に『中村屋のボース』(白水社)、『保守と大東亜戦争』(集英社新書)、『超国家主義』(筑摩書房)、『血盟団事件』(文春文庫)、『自民党 価値とリスクのマトリクス』 (スタンド・ブックス)、 『石原慎太郎 作家はなぜ政治家になったか』(NHK出版)などがある。