第528回:福生病院人工透析中止死亡事件の裁判、始まる。の巻(雨宮処凛)

「夏が来ると、いろいろと思い出してつらくなります。これまで居た人が居ないというのは本当に寂しくつらいです。
 病院に持っていったバッグは今もそのまま家にあります。タオルや着替え、点つなぎの本、(手芸に使う)ビーズ・糸・鈴などを入れて持って行ったのですが、今もそのままです。ひょっこり帰ってくるかもしれないと、片付けられないのです」

 この言葉は、2018年8月、当時44歳の妻を亡くした男性のものである(公立福生病院透析中止死亡事件 第1回民事裁判報告の集い 資料集「原告メッセージ」より)。

 妻が亡くなったのは、公立福生病院。腎臓病だった妻は、その5年前ほどから人工透析をしていた。が、亡くなる一週間前の8月9日、シャント(針を入れる分路)が閉塞して透析できなくなったため、ふだん透析をしていた診療所に紹介されたのが福生病院だった。

 そうして訪れた福生病院で、女性は首にカテーテルを入れて透析を受ける治療法があるととともに、透析そのものをやめる選択肢を提示される。やめれば、2〜3週間の命。が、女性は「透析離脱証明書」にサイン。体調は当然悪化し、5日後の14日には福生病院に入院した。あまりの苦しさに女性は「撤回」の意思を示し、16日には「こんなに苦しいなら透析した方がいい、撤回する」と述べている。しかし、透析は再開されない。

 ちなみに、なぜ夫が妻の「透析離脱」を止めなかったかというと、「苦しくなったらまた再開するだろう」という思いがあったから。透析を始めた頃、病院とのトラブルで妻が一ヶ月近く透析に行かなくなったこともあった。結局、体調が悪化して透析に行ったため、今回もそうするだろうと思っていたのである。

 しかし、透析は再開されない。そんな時、予期せぬトラブルが起きる。8月15日夜、夫が胃潰瘍に倒れ、同じ福生病院で緊急手術を受けたのだ。この時のことについて、夫は「原告メッセージ」で以下のように述べている。

「本当にタイミングが悪かった。自分の手術は死ぬわけじゃないからすぐにしなくてもよかった、我慢すればよかったと後悔しています。妻のそばに居てやれば、(透析の再開をお願いできた、)妻は死ぬことはなかった、そう思うと悔しくて、後悔の念を背負って生きている、という感じです。
 自分が回復したら透析をやってもらおうと話すつもりでした。前日は食事も食べられたし、まだ大丈夫と思っていたのです。
 状態が悪いと呼ばれて、(術後の)たくさんの管をつけたまま車椅子に乗せられて駆けつけました。『死んでるじゃん』と(思わず)言いました。『声をかけるとまだ聞こえますよ』と看護師さんに言われたけれど、一目見て死んでいると思いました。車椅子に乗ったまま手を伸ばして触れると冷たかった。口も目も半開きで、あの苦しそうな顔は忘れたくても忘れられません。
 苦しくなって入院すれば透析を再開してくれて助けてくれると思っていたのに、医者と自分の考え方が違っていたのです」

 女性は「透析離脱証明書」にサインした一週間後の8月16日、死亡。

 なぜ、透析再開を本人が求めていたのに再開してくれなかったのか。そんな思いから19年10月、女性の夫(52歳)と次男(21歳)は慰謝料など2200万円の支払いを求めて病院を提訴。7月22日、その第一回公判が行われたのである。

 この日、東京地裁712号室で13時15分から始まった裁判を傍聴し、また衆議院第一議員会館で14時半から始まった「報告の集い」に参加した。

 透析再開を求める女性に対して、医師は長男と次男に対し、「意識が混濁している状態ではなく、意識が清明であったときの本人の意思を尊重する」と述べたという。しかし、いくら透析の離脱証明書にサインしても、苦しくなれば本人の気持ちは当然変わる。助けを求めて病院に駆け込んでいるのだから、透析治療は再開されるものだと、当然本人も家族も思っていただろう。が、そうはならなかったのだ。

 集会では、原告と被告側の争点についてなどが解説された。

 果たして医者が治療中止を提案し、中止することに違法性はないのか。また、一旦は離脱に同意したとしても撤回できると説明したのか等、裁判で明らかにされるべきことは多い。が、私がこの日気になったのは、被告側が出してきた「自己決定」という言葉だ。

 たとえば、透析中止の提案がなされた際のことを、夫は以下のように書いている(公立福生病院透析中止事件 提訴報告集会 資料より)。

「今回、先生から『首からカテーテルを入れて透析続けますか、透析をやめますか』と言われて、妻は『やめることもできる』と気づいたのだと思います。私が診察室に呼ばれた時、先生は2つの選択肢を軽い感じで説明しました。妻が『透析やめます』と言ったあと、先生はゆっくり話し合うこともせず、『続けた方がいい』とも言わず、病院で準備された『透析離脱証明書』が出され、それに妻がサインしました。『在宅でお看取りです』と言われたのですが、その時は意味がよくわかりませんでした」

 透析をやめる=確実に死ぬ選択肢を示され、「やめます」というと「在宅でお看取りです」と話は終了。ものすごく大切な部分を何段階もすっ飛ばしている印象だ。夫の「意味がよくわかりませんでした」というのも頷ける。

 ここで思うのは、いくら患者が「治療をやめたい」、場合によっては「死にたい」と言っても、医療従事者は「はいそうですか」でいいのだろうかということだ。それが「自己決定」だから仕方ない、で本当にいいのか?

 この日の集会では、自身も透析をしているという男性が発言した。男性自身、年に何度も「今日は透析に行きたくない」日があるのだという。しかし、男性は福生病院のやったことは「殺人」だと述べた。

「そもそも透析をやめたいと言った時に、まずもって医療者がやるべきことは、透析をして有意義に生きていくいろんなやり方があると、苦しいこともあるけど楽しいこともいっぱいある、もう一度考え直して透析始めたらどう? って、まずそういう説得こそが医者のやるべきことで、一回死にたいって言ったんだからさっさと死んでしまいなさいみたいなことは、本当の医療ではない」

 また、40年以上、透析の「機械屋さん」として働いてきた男性は、40年前に透析を始めた患者さんと今も交流があることを述べた。食事制限や水分制限をうまくやっていけば、それほど長く透析ができ、社会生活を営めるのだ。それなのに、なぜ44歳の女性に透析離脱が提示されたのか。それだけではない。なぜ、助けを求めて病院に来た女性に透析は再開されなかったのか。病院に来ること自体が「生きたい」という意思表示ではないか。しかも、明確に「撤回する」と言っているのに、意識が混濁しているとしてその言葉は受け止められなかった。その絶望を思うと目の前が暗くなってくる。

 一度「離脱証明書」にサインしてしまったことが「自己決定」としてここまでの効力を発揮してしまっていいのだろうか。しかも「死に直結する自己決定」だ。

 が、自己決定とは、そもそも十分な情報と様々な選択肢が与えられた上で成立するものである。その上で、自らの自由意志が尊重され、その決定が下されたプロセスも重要だ。

 例えば透析治療はつらいことから、うつ状態になったり「やめたい」と口にしたりする人も多いという。夫によると、女性もうつの傾向があったようだ。また、透析を拒否する人の中には経済的に困窮している人も少なくない。透析に限らず、「お金がないから」「子どもに迷惑、負担をかけたくないから」という理由で医療や介護に消極的な人の意見はよく耳にする。経済的な状況や家族関係などすべてをクリアすることは難しいにしても、人間は自身の置かれた立場や状況に大きく影響されることを考えると、どこまで「自己決定」と言えるのか、自己決定と言われているもの、思わされているものは本当に自己決定なのか、そこから疑いたくなってくる。それらの点から、私は医療における「自己決定」という言葉を警戒している。その危険度は「自己責任」と近いかもしれない。

 さて、そんな初公判の翌日、驚くべきニュースが飛び込んできた。

 それは京都のALSの女性に対する嘱託殺人で医師2人が逮捕されたというニュース。

 これに対して出された、同じALSの舩後議員の言葉に深く頷いた。

 舩後議員も、ALSとなって2年間は「死にたい」と思い続けたという。一時は呼吸器をつけることを拒否し、また、胃ろうも拒否して餓死寸前までいっている。しかし、患者同士のピアサポートなどを通じて、自分の使命を知り、人工呼吸器をつけて生きることを決心した。そんな舩後さんは、コメントの最後にこう綴っている。

「『死ぬ権利』よりも、『生きる権利』を守る社会にしていくことが、何よりも大切です。どんなに障害が重くても、重篤な病でも、自らの人生を生きたいと思える社会をつくることが、ALSの国会議員としての私の使命と確信しています」

 ALS女性への自殺幇助の罪で逮捕された医師の一人は、高齢者は社会の負担、高齢者への医療は社会資源の無駄などと主張していたという。この世界観は植松とも重なり合う。コロナ禍の現在、命の選別は仕方ないと口にする人々もいる。が、私たちがすべきは「誰に優先的に人工呼吸器を使うか」という議論ではなく、「足りない人工呼吸器をどうやって増やすか」ではないのか。

 福生病院の事件に関しては、以前もこのコラム「なぜ、透析は再開されず、彼女は死んだのか?〜福生病院透析中止事件」で書いているので参考にしてほしい。

 また、福生病院はこの件に関して、自身のサイトで「東京都福祉保健局立入検査の結果について」「日本透析医学会のステートメントについて」という声明を出し、一部報道を否定している。

 コロナ禍の中でさらに注目を浴びる裁判の行方を、見守っていきたい。

雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。