第89回:進化した新自由主義(森永卓郎)

スガノミクスの正体

 菅義偉内閣の支持率が60~70%台という高率に達した。地方出身・庶民の叩き上げで、携帯電話料金の引き下げや行政手続きでの印鑑の廃止など、国民の暮らしを改善する政策を掲げているので、国民にとってよい政治をしてくれるのではないかと期待する国民が多いことが、高支持率の理由だろう。
 しかし、菅総理の本質が、冷徹な新自由主義者であることを知る国民は、まだ多くないのではないだろうか。
 9月16日の記者会見で菅総理は、地方の活性化について「秋田の農家の長男に生まれた私のなかには、一貫して地方を大切にしたい、日本の全ての地方を元気にしたい、こうした気持ちが脈々と流れている。この気持ちを原点として知恵を絞り、政策を行ってきた」と語った。この言葉に嘘はないと思う。ただ、問題は「地方を元気に」という言葉の含意だ。
 「地方を元気にする」という言葉は、二つの意味がある。一つは、地方経済のパイを大きくすることで、もう一つは地方経済の底上げをすることだ。この二つは似ているようで、まったく違う。そして、菅総理が考える「地方を元気に」は、地方の経済のパイを大きくするという方だと考えられる。実際、記者会見のなかで菅総理が、「一番うれしかったとこと」として挙げたのは、「地方の地価が27年ぶりに上昇に転じたこと」だった。地価は、その地域で生産される付加価値に連動するから、地価が上がるというのは、経済のパイが大きくなったことを意味する。しかし地価が上がっても、地方の住民に直接の恩恵はない。そして、地価上昇は、貧困の解消を意味するものでもないのだ。
 では、菅総理は、どうやって地方を元気にしようとしているのか。それは、銀行への政策をみれば明らかだ。
 これまで菅総理は、「地方銀行の数が多すぎる」と地銀再編を行うことを示唆してきた。それでは、地銀再編を行うと何が起きるのか。いまコロナ対策で緊急融資を受けている中小企業のなかには、再建のめどが立っていないところが多い。そうしたなかで、銀行の合併が行われれば、合併の前に「不良債権」が切り捨てられる。つまり、生産性が低い中小企業がつぶれていくのだ。そして、不良債権の中小企業が抱えていた雇用や資金や市場を生産性の高い大企業に集約すれば、経済のパイが拡大するのだ。もちろん、そうした再編を断行すれば、所得格差は大きくなる。しかし、それは無視する。強い企業に資源を集約することだけが、経済を活性化する方法だと考えるからだ。
 菅総理は、官房長官時代の9月5日の日本経済新聞のインタビューで、「中小企業の統合・再編を促進する」と表明している。その際、中小企業を守ることに主眼を置いている中小企業基本法を見直すことにまで言及したのだ。
 もう一つ、資源の集約化を目指すという菅総理の理念を示す政策がある。Go Toトラベルキャンペーンだ。このキャンペーンでは、旅行代金が実質半額になる。ところが、興味深い現象が発生している。1泊3万円とか4万円の超高級ホテルは、満室が続いているのに、一泊6千円の大衆ホテルはほとんど予約が増えていないのだ。その原因は、Go Toトラベルキャンペーンの制度設計にある。キャンペーンの還元額は、1泊あたり2万円が上限になっている。つまり、1泊4万円のホテルに宿泊すれば、2万円の補助金が丸々もらえるのに、1泊6千円のホテルに宿泊すれば、3千円しか補助金が得られない。消費者が、どちらを選ぶのかは、明らかだろう。
 もし、キャンペーンの設計を変えて、1泊当たり2万円引きとしたら、どうなっただろうか。4万円のホテルは2万円で泊まれる。一方、6千円のホテルに泊まれば、宿泊費が無料になる上に、1万4千円のキャッシュがもらえる。国民は、どちらを選ぶだろうか。私なら迷うことなく、後者を選ぶだろう。
 つまり、いまのGo Toトラベルキャンペーンの制度設計のなかにも、弱者をつぶして、強者に資源を集約しようとする理念が込められているのだ。日本が高級ホテルばかりになれば生産性は上がる。しかし、それが本当に望ましいことなのだろうか。

ベーシックインカムと竹中平蔵の影

 さらに、こうした菅総理の弱者切り捨ての経済政策の切り札となる可能性があるのが、ベーシックインカムの導入だ。菅総理のブレーンと言われる竹中平蔵氏が月7万円を給付するベーシックインカムの導入を提言したことで、最近にわかに注目を集めている。
 ベーシックインカムというのは、年齢・性別・所得・家族構成などの属性にかかわらず、国民に一定額を財政負担で支給し続ける社会保障制度だ。これまで世界で完全導入した国は存在しないが、フィンランドやインド、カナダ、オランダなどで対象者を限った社会実験が行われ、米国でも11都市で社会実験が行われている。
 竹中氏の提言するベーシックインカム制度は、月額7万円の一律給付をした後、高額所得者からは、確定申告の際に返してもらうものだという。庶民に限って毎月7万円のバラマキをするということだ。
 奇異に感じられる方もいるかもしれない。弱肉強食・新自由主義者の権化である竹中氏が、なぜそんな「庶民に優しい」政策を提言するのかということだ。
 実は、ベーシックインカムという制度は、昔から、新自由主義者とリベラルの双方が導入を提言するというおかしな現象をもたらす制度だった。新自由主義者とリベラルの双方が支持する理由は、財源の求め方の違いにある。
 リベラル主義者の多くは、既存の社会保障制度を基本的に維持したうえで、追加的な社会保障としてのベーシックインカムを導入しようと主張する。導入の財源は、不公正税制の是正や富裕層や大企業への増税だ。
 一方、新自由主義者の多くは、ベーシックインカム導入と引き換えに既存の社会保障を廃止しようと目論んでいる。社会保障費が毎年膨れ上がり、財政を圧迫しているのは事実だ。このまま放っておくと、やがて増税の矛先が富裕層や大企業に向けられる可能性も出てくる。それを防ぐために、社会保障は、まとめてベーシックインカムに引き継ごうというのが、新自由主義者が目論むベーシックインカムなのだ。
 ベーシックインカムを「手切れ金」として、国民に渡す代わりに、高齢になっても、病気になっても、失業をしても、障害を負っても、ベーシックインカムを渡しているのだから、自己責任で賄いなさいということだ。まさに弱者切り捨ての手段がベーシックインカムなのだ。竹中氏は、具体的な制度設計を公表していないが、そうした考えに近いのではないかと思われる。
 実際、竹中氏は、7月13日の週刊エコノミストOnlineのインタビューで次のように話している。

BI(ベーシックインカム)を導入することで、生活保護が不要となり、年金も要らなくなる。それらを財源にすることで、大きな財政負担なしに制度を作れる。生活保護をなくすのは強者の論理だと反論する人がいるが、それは違う。BIは事前に全員が最低限の生活ができるよう保証するので、現在のような生活保護制度はいらなくなる、ということだ

 介護や医療や障碍者福祉については、竹中氏は語っていないが、かなりの規模の社会保障カットを想定していることは確実だろう。しかし、生活保護の給付額は、困窮度に応じて、かなり精密に算定されており、7万円のベーシックインカムだけでは、とても足りない。医療や介護も同様だ。社会保障カットのベーシックインカムを導入したら、日本社会はガタガタになってしまう。

通貨発行益の活用を

 それでは、どうしたらよいのか、私は、ベーシックインカムの必要性は高まっていると考えている。グローバル資本主義がもたらした最大の惨禍は、仕事の自律性が失われ、働くことの愉しみが失われつつあるからだ。細かいマニュアルが定められ、その通りに体を動かす単純労働が急速に広がっているのだ。ベーシックインカムを導入すれば、最低限の生活は保障されるから、ブラック労働に従事する必要はなくなる。
 問題は、ベーシックインカム導入のための財源だが、私は「通貨発行益」を活用すればよいと思う。安倍政権は、特別定額給付金など、57兆円ものコロナ対策予算を講じた。その財源は国債であり、それは事実上すべて日本銀行が買い取っている。だからいまのところ、国民の誰もコロナ対策費を負担していない。こうした「財政ファイナンス」の唯一の弊害は、高いインフレをもたらすことだとされてきた。しかし、日本の8月の消費者物価上昇率(生鮮食料品を除く前年同期比)は、マイナス0.4%だ。いま日本は、インフレになるどころか、デフレになっているのだ。
 例えば、基礎年金と児童手当と失業保険をベーシックインカムに代替させれば、ベーシックインカム導入に伴って必要となる新たな財源は70兆円ほどになる。私は、その程度の金額であれば、財政ファイナンスを毎年やっても半永久的に大丈夫だと考えている。57兆円のコロナ対策をやって、物価が下がったのだから、70兆円でインフレになる可能性はないだろう。
 太平洋戦争のとき、日本政府は国債を日銀に引き受けさせて、戦争を遂行した。その結果、高いインフレを招いてしまった。しかし、太平洋戦争の戦費はGDPの9倍と言われる。いまの経済規模に当てはめると5000兆円ということになる。単純計算だと、70兆円ずつ財政ファイナンスを70年ほどやると、高いインフレになるという計算だ。
 だから、とりあえず全額国債発行で、ベーシックインカムを増税なしで導入すればよい。万が一、3%以上のインフレになったら、その時に増税や改革を考えればよいだけのことだ。
 竹中氏は、小泉政権時代に「トリクルダウン」を提唱した。すなわち、経済強者をより強くすれば、そのおこぼれが、タイムラグを置いて庶民や中小企業に行き渡るという「理論」だった。ただ実際には、そんな現象は、一切発生しなかった。小泉構造改革は、低所得者を爆発的に増やして、格差を拡大しただけだったのだ。だから国民は、そんなウソにはもう騙されない。しかし、菅政権でもブレーンを務める竹中氏は、「進化」している。ベーシックインカムという魅惑的な最終兵器を持ち出すことで、さらなる弱者切り捨てを画策している。絶対にそれに騙されてはならないのだ。

       

森永卓郎
経済アナリスト/1957年生まれ。東京都出身。東京大学経済学部卒業。日本専売公社、経済企画庁などを経て、現在、独協大学経済学部教授。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』(光文社)、『年収120万円時代』(あ・うん)、『年収崩壊』(角川SSC新書)など多数。最新刊『こんなニッポンに誰がした』(大月書店)では、金融資本主義の終焉を予測し新しい社会のグランドデザインを提案している。テレビ番組のコメンテーターとしても活躍中。