【寄稿】百害あって一利なし、生活保護申請に伴うムダ作業「扶養照会」の弊害(小林美穂子)

新型コロナの影響を受けて生活に困窮した人たちからのSOSを受け取り、支援に奔走している一般社団法人「つくろい東京ファンド」の小林美穂子さん。あまりの窮状を知ってほしいと、これまでマガジン9にも2回寄稿していただいています(「緊急事態宣言からの同行支援日記」、「コロナ禍で増加する相談者、ウソで追い返す福祉事務所」。今回は、生活保護を緊急に必要とする人が増えているなか、申請のハードルとなっている「扶養照会」について原稿を寄せてくれました。

 ある秋の日、私は知人のそれまで全く知らなかった過去を知った。2013年11月7日の朝日新聞にも大きくとりあげられた「扶養照会」にまつわる出来事である。

 知人は幼いころに両親が離婚。小学校低学年の頃、女手一つで彼と弟を育てていた母親が、兄弟の目の前で父親によって刺殺される。その後、兄弟は児童養護施設で育った。才能にも人の縁にも恵まれた知人は、大企業の管理職となり、結婚して子どもにも恵まれて幸せに暮らしている。父親とは事件以来30年以上連絡も取っていない。妻子には過去を隠し、父親は死んだと伝えていた。

 そんなある時、大阪の福祉事務所から一通の封書が彼のもとに届くのだ。年老いた父親が生活保護を申請した、その「扶養照会」である。

「扶養照会」とはなにか?

「扶養照会」、一般的にはあまり知られていない言葉かもしれない。

 簡単にいえば、福祉事務所が生活保護を申請した当事者の家族に対し「援助できませんか?」と問い合わせることで、これは民法上に定めがある。しかし、扶養は生活保護の前提条件ではない。

 生活保護法4条2項は、「民法に定める扶養義務者の扶養は保護に優先して行われるものとする」(※下線は著者)と、あえて「要件」という言葉は使っていない。つまり、家族が生活費を支援してくれるのであれば、そちらを優先してね、という意味である。

 そして民法上、強い扶養義務を負うのは、夫婦同士と未成熟の子ども(※)に対する親だけで、成人した親子同士や兄弟姉妹同士の扶養義務は、「扶養義務者とその同居家族がその者の社会的地位にふさわしい生活を成り立たせた上でなお余裕があれば援助する義務」にとどまる。[『間違いだらけの生活保護バッシング』(生活保護問題対策全国会議/明石書店)より]

※未成熟の子ども:成人年齢に達しているかにかかわらず、経済的に自立出来ていない子を意味する法律用語

生活保護とイエ制度

 扶養照会は1929年制定の旧・救護法では保護の「要件」とされていた。その理由は「イエ制度」を守るためである。1946年に制定された旧生活保護法でも要件として引き継がれた。

 その後、1947年に日本国憲法が施行される。私たち生活困窮者支援をするものにとっては、とても馴染みのある憲法25条〈すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する〉【無差別平等の原則】が生まれた。この憲法25条で「すべて国民は」と謳われているために、無差別平等に権利を守る必要が生じ、それまで引き継がれてきた「扶養義務者が扶養をなしうるものは保護から外す」という規定は、封建的かつ時代錯誤となったのだ。1950年に現行の生活保護法が制定されたときに、この規定は当時の厚生省保護課長・小山進次郎氏らによって削除された。

 それから70年が経った今、「イエセイド」と言われても「ん? 何語? 馬の名前?」と聞き返されかねないほどに、価値観も、家族形態も、生活様式も変わってきている。我々を取り巻く労働環境では終身雇用が崩壊し、非正規や契約社員、アルバイト、日雇いなど、景気の調整弁として働く不安定就労の形が定番となった。2020年の非正規雇用者数2165万人、実に全体の38.3%を占めている。

 扶養義務は「要件」から「優先される」と緩和されたものの、まだ足りない。だって、家族を援助したくても、それができる人などごく一握りなのが現状だし、家族の形はもう古き時代には戻らない。社会も人も家族も大きく変わった今の時代に「扶養照会」だけが居座って、人々を苦しめている。

扶養照会を止められる場合

 今年の9月11日に厚生労働省社会・援護局保護課から各自治体の福祉事務所に向けて出された事務連絡は、扶養照会のとりあつかいについて、こう述べている(公的文書は分かりづらいので、小林流に翻訳しました)。

 扶養義務者に対する扶養照会は、生活保護法第4条2項において「保護に優先して行われる」ものと定めているけど、コレあくまで「優先」であって「要件」ではないから、そうと誤解されるような説明したらアカンよ。それから、前々から生活保護問答集とかに示してるけど、以下に該当すると認められる場合は、ちょっと扶養の期待はできないよねってことで扶養照会を省略してもいいよ、一応言っとくけど。

・家族が生活保護を利用していたり、福祉施設に入所していたり、要保護者の生活歴にいろいろあって、まぁ、明らかに扶養はできないだろうケース

・夫の暴力から逃れてきた母子等の家族に連絡しちゃったら、明らかに要保護者の身に危険が迫ったり、自立を阻害したりすることになって、どう考えても扶養とか頼むのマズイよね、と判断した場合

・家族が長期入院患者だったり、無職やそれほど稼げていないパート、未成年者、70 歳以上の高齢者の場合

・20年間音信不通である等、明らかに交流が断絶している場合
(厚労省の目安20年に対し、東京都は10年というアドバイスをしている。自治体によっては5年で照会を省くとルールを決めているところも)

 虐待やネグレクトなど、申請者の精神、健康に著しい危険をもたらし、自立を阻害するような場合などは、扶養照会を止めることができる。家族と長年疎遠な場合も、扶養は期待できないので同様だ。

 しかし、実際には、上記に該当するようなケースであっても、厚労省の通知に反して扶養照会が行われることが多々ある。冒頭で紹介したような、調査が不十分であったために自分の母親を刺殺した父親の扶養を求めるようなあり得ないことも起きている。それだけでなく、情けないことなのだが、職員が扶養照会を水際作戦に使う悪質な例もあとを絶たない。

「生活保護は税金なので」

 この半年ほどの間、コロナ禍で仕事を失った老若男女たちを何人も福祉事務所にお連れした。若いネットカフェ生活者には親によるネグレクトなど虐待を経験しているケースも多く、その場合は多くの自治体で扶養照会を止めてもらったり、世帯主である親元への特別定額給付金申請書の郵送を止めたりしてもらった。しかし、残念ながら厚労省の通知を無視し、扶養照会を水際に使っていると疑われても仕方のない例、そして扶養照会が家族の健康にすら影響した例もあったので紹介する。

*申請者40代男性
路上生活となり生活保護を決意するが、扶養照会で家族に連絡がいくと聞き、あらかじめ自分から兄弟に連絡したところ激高されて生活保護を諦めて路上に戻る。

*申請者50代男性
母親の顔は知らず、暴力的な父親と幼少期の数年を過ごしたあとは児童養護施設で育った。父親とは50年以上連絡を取っていない。生存すら不明で、生きていたとしても90歳近いが、福祉事務所の職員は「決まりなので扶養照会をする」の一点張り。「生活保護は税金なので」と。

*申請者20代男性
仕事も家も失い、一年間兄夫婦の家に居候していたが関係が悪化。小さなバッグ一つでネットカフェ生活をしていた若者。彼を心配するシングルマザーの母親にはあらかじめ本人から連絡をしてもらっていたものの、母親は息子の窮状に心を痛めて病院通いに。それだけでなく、関係悪化を既に伝えていた兄弟にまで扶養の手紙を送ったせいで、関係が更に悪化。兄弟から罵倒され、精神的に落ち込む。

*申請者50代男性
両親は遠い昔に他界。母親の違う兄弟が4人いるが、幼いころから蛇蝎のように嫌い合う仲。両親の葬式で最後に顔を合わせた数十年前も、罵り合いで別れている。その関係を知ったうえで、「扶養照会はしますよ。決まりなので」と福祉事務所の相談係。

扶養照会がネックで助けを求められない人がいる

 昔、なにかのCMで「お箸の国の人だもの」というのがあったが、それより「お恥の国」の方がしっくりくると私は常日頃感じている。恥の文化がもともと根深いこの国で、「生活保護を恥と思わないのが問題by片山さつき」など一部の政治家が恥の意識をさらに煽り、メディアも一斉に不正受給を番組でとりあげる。不正受給者の通報を促す自治体も現れたし、何が「不正受給」かも分からないまま、パチンコをした近隣住民を通報する市民も続出。地獄である。

 「不正受給を減らせ」と叫ぶ人達は、その不正受給額が保護費予算の0.4%程度であることも知らない。そして生活保護を受けるべき低所得の人達のたった2割程度しか生活保護につながっていない「漏給」が問題視されることはほとんどない。

 こんな「お恥の国」で、扶養照会がネックとなって助けを求めない人達はたくさんいる。家族関係に問題があればなおさら、たとえ問題がない場合でも、自身の困窮を家族に知られるのを「恥」に思うのが日本人の国民性だ。実際、体を壊して治療が必要とされる状態になっても、なお生活保護に頼らない路上生活者の理由トップ2が「施設の強要(保護法違反)」(※)と「扶養照会」だ。あくまで過去10年の私の体感であるが……。

※施設の強要:生活保護を受給する際に、個室のアパートではなく、大人数の相部屋で劣悪な環境も多い無料低額宿泊所などに入るように言われるケースは多い

 「自己責任論」や「不正受給」という誤った情報ばかりが一人歩き……どころか、この小さな島国の津々浦々まで走り回り、行き渡った。その結果が差別の助長、生活保護の受け控え、果ては自殺、餓死、心中などの悲劇につながっている。

 ある日突然、自治体から扶養照会の通知が送られて来たら、家族は間違いなく動揺するだろう。援助できない自分を後ろめたくさせるだろうし、過去の家族関係のトラウマや怒りを噴出させるスイッチになるのは間違いない。また、それまで危ういながらもなんとか形を保っていた家族関係を決定的に壊してしまう効果も「扶養照会」にはある。恥の文化が家族を引き裂く。

 一体どうしてこんなことを続けているのだろう。

扶養照会の実績0.3%!! の衝撃

 長年連絡を取ってもいないために住所はおろか、電話番号も知らない家族の居所を、戸籍謄本やら附票やらを取り寄せて突き止めていくのは骨の折れる作業である。時間も数か月かかる。なので、保護の決定は大体見込みで行われるのだが、この事務作業は福祉事務所職員にとってもかなり負担になっていると思われる。しかもその成果を知れば、彼らの作業がいかに虚しいか分かっていただけるのではないか。

 足立区議の小椋修平さんが9月の本会議で「昨年度、新規申請世帯は何件で、その内、扶養照会により実際に何かしらの援助がなされた例は何件か」と質問した。その回答に私はのけぞった。フラッシュダンスばりにのけぞって(古い!)、天井から水が浴びせられるような衝撃を受けた。

・2275件中、なんらかの金銭的援助(※)ができると答えた家族・・・・・7件

 7件!! ななけん!! な、な(しつこい)!! でも、これ、実に0.3%なのだ。

 これが不毛でなかったら、世の中に不毛なんてものは何一つない。「存在するものすべてに意味があるよね」と私は目を細めて謎の宗教家みたいに微笑もう。

 扶養者を探す作業も、手紙を送る作業も、その切手代も、すべてにお金と労力がかかっているのである。荒川で砂金を探すような作業の果てにあるものは、家族の崩壊であり、助けを求められないおびただしい数の生活困窮者の姿である。

 今や不動産会社ですら個人の連帯保証人などあてにせず、民間の保証会社を使っている。家族形態が様変わりしたことも、みんな家族を養うほどの余力などないことも、生き残りにシビアな民間企業はとっくに知っている。

※後日の確認で「なんらかの援助」ではなく金銭的援助と判明しましたので訂正いたします(2023年1月)

目の前の困っている人のことだけを……

 「扶養照会」を水際の切り札として使うのではなく、目の前にいる相談者のご事情や思いを受け止め、家族の関係をそれ以上悪化させないためにも、福祉事務所の職員には柔軟な対応を希望する。そしてそれは、自分たちや同僚の作業負荷を減らし、目の前の相談者に丁寧に向き合う時間と余裕を与えてくれるはずだ。

 相談者が嫌がっているのに10年も20年も会ってない兄弟や、その連絡先すら分からない相手の戸籍謄本や附票まで取り寄せて手紙を送りつけるような行為は非人道的だし、ぶっちゃけムダだ。DVの被害を訴える相談者を疑うよりも、相談者の安全を第一に考えましょうよ。2275件中の7件を探し出すことよりも、目の前の困っている人を助けるのが福祉事務所の職員の仕事の筈だ。どちらが大事なのか、考えて欲しいのだ。

 いまもどこかで、財布の中の小銭を数えながら生きている人達が、すぐにでも福祉事務所を訪れられるよう、再スタートができるよう、一緒に考えることができたらと切に願う。

 ……扶養照会、マジ要らねぇ。

小林美穂子(こばやし・みほこ)一般社団法人「つくろい東京ファンド」スタッフ、カフェ「潮の路」コーディネーター。※カフェは4月からコロナ感染予防のため休業中。【写真右端が筆者。支援者メンバーと】

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小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。