第95回:身の毛もよだつ冷酷非情(森永卓郎)

 8月13日の記者会見で菅総理がこれまでの新型コロナ対策の総括を記者から問われて、「世界でロックダウンをする、外出禁止に罰金かけても、なかなか守ることができなかったじゃないですか。それに対して対応するためにやはりワクチンだということで、人流の抑制と同時に、そうしたことをしっかり全力で取り組んできています」と話した。ワクチン一本槍で行くという宣言だ。私は身の毛がよだつ思いがした。新型コロナで苦しむ国民を見捨てるに等しい発言だったからだ。
 過去最大の規模に達した新型コロナの感染第5波の原因は、デルタ株とされている。デルタ株の感染力は、米国CDC(疾病対策センター)が「水ぼうそう並み」と評価している。従来型の新型コロナと比べると4倍以上の感染力を持っているということだ。
 4倍強いウイルスと対峙するためには、4倍強い対策を講じなくてはならない。そんなことは子どもでも分かる理屈だ。しかし、政府がやっていることは、緊急事態宣言とまん延防止等重点措置の対象自治体を少しずつ拡大していくという従来型の対策だけだ。しかし、それで感染がピークアウトする可能性は、非常に低い。緊急事態宣言自体が日常化して、ほとんど効果を持たなくなっているからだ。
 実際、日本の新型コロナ感染は、急拡大を続けている。8月20日の国内の新規陽性者数は2万5676人に達しており、増勢は衰えていない。高齢者のワクチン接種が進んだことで、抑制されているとされてきた重症者数も1816人と急増を続けている。死亡者こそ36人にとどまっているが、この数もタイムラグを置いて今後急速に増えていくだろう。

医療崩壊を放置する

 感染の爆発的拡大のなかで、政府の方針で、新型コロナに感染しても、軽症者は自宅療養ということになった。厚生労働省の8月20日の発表では、全国の自宅療養者は18日午前0時時点で9万6709人と、10万人に近づいている。検査で陽性となっても、強い症状が出なければ、そのまま自宅待機になる。死に直結する病であるにもかかわらず、とてつもない数の人たちが医療機関を受診できないまま、不安におびえている。すでに首都圏では、発症しても、受け入れ先の病院がなかなか見つからない状態が続いている。東京消防庁管内では8月9日から15日の間に、陽性患者の救急搬送要請が2259件あったが、うち6割以上が保健所の判断により自宅などでの療養継続となり、搬送されなかったという。そうしたなかで、自宅療養中に死亡するケースが次々に明らかになり、8月17日には、千葉県柏市で、新型コロナウイルスに感染した妊婦が、入院先が見つからずに自宅で早産し、新生児が死亡するという悲劇も起きている。
 軽症者が、入院さえできれば、死亡をほとんど防げるノウハウが医療機関には出来ている。だから、いま必要なことは、野戦病院のような形で、ベッド数を急激に拡大することだ。日本医師会の中川俊男会長も、8月18日に、「臨時の医療施設を整備すべき」との考えを示した。ところが、政府はまったく動かない。
 実は、いま東京オリンピックをあてこんで開業した東京都心部のホテルには、ほとんど宿泊客がいない。だから、ホテル全体を医療施設として活用することは、非常に容易だ。ところが、政府も東京都も、それを借り上げようともしないのだ。

感染者も抑制しようとしない

 医療のキャパシティ拡大とともに需要なのが、新規感染者数の抑制だ。だが、そのために必要な、人流の抑制はほとんど進んでいない。欧米では、緊急事態宣言が出ると、街から人影がほとんど消える。しかし、日本の場合は、繁華街の人出がほとんど減っていないのだ。実は、日本でも昨年までは、緊急事態宣言は効果を持っていた。しかし、1年以上にわたって自粛を要請され続けたら、いくら従順な国民でも、聞く耳を持たなくなるのは当然だ。だから、私は今こそ、世界標準の感染対策に倣うべきだと私は考えている。
 世界が行っている新型コロナ対策は、三本柱だ。①感染地域を封鎖し、②その地域の住民に大規模検査をかけて、陽性者を隔離する、③ワクチン接種を進める、の3つだ。
 第一の対策のロックダウンは、日本ではまだ一度も行われていない。しかし、ニュージーランドでは、オークランドでたった1人の感染者が確認されただけで、8月17日から3日間のロックダウンを全土で始めた。オーストラリアの首都キャンベラは、感染者1人が1年ぶりに確認されたことを受け、8月12日午後5時から1週間のロックダウンに入った。
 8月20日の全国知事会でも、ロックダウンのような強い人流抑制策を求める声が続出した。新型コロナ対策分科会の尾身会長も、ロックダウンが可能となるような法整備を行うよう要請すると、8月17日に記者団に語っている。
 菅総理の「世界で外出禁止に罰金をかけても、なかなか守ることができなかったじゃないですか」という主張は、やりたくないときにしばしば使われる理屈だ。確かに、ロックダウンを完全に行うことはできない。しかし、1%の人が守らなかったとしても、99%分の効果は出てくる。実際にこれまでのロックダウンが大きな効果を持ったことは、科学的にも立証されているのだ。
 もちろん法的な問題があって、外出者に罰金を科すようなことは、日本ではできない。しかし、ロックダウンに近いことはできる。例えば、東京をロックダウンしようと思ったら、東京発着の列車や飛行機や高速道路を走行する自家用車は、県境を越えて運航してはならないと命令するだけで、すぐさま実施が可能だ。台風のときには実際に止めているし、鉄道や航空は認可事業だから、国には逆らえない。高速道路は、全株式を国が保有しているから、株主の命令には逆らえないのだ。感染症の専門家が「災害級」と口をそろえているのだから、災害のときと同じ対応をするだけでよいのだ。
 私は、8月24日から9月5日のパラリンピック開催期間中に、全国一斉にロックダウンと学校休校を実施するのが望ましいと考えていた。デルタ株は子どもにも感染する。このまま学校を再開すれば、学校でクラスターが発生する可能性がかなり高いのだ。ただ、子どもが夏休みを延長すると、親が面倒をみないといけなくなる。だから、親の仕事も止めて、家族全員で巣ごもりができるようにするのだ。13日間の「ロックダウン」をすれば、爆発的感染拡大は、ほぼ確実に止めることができるだろう。
 ただ、萩生田文部科学大臣は8月20日の会見で「国から全国一律の休校を要請する考えはない」とあっさり一斉休校を否定してしまった。ロックダウンの最後のチャンスが失われてしまったのだ。
 そして、感染抑制の第二の柱である検査と隔離に関しては、日本の異常さが際立っている。例えば、中国は昨年、感染が拡大した武漢や青島で市民全員の検査を実施した。そして今月、武漢市は、わずか7人の陽性者が発覚すると、再び市民全員の検査を開始した。これに対して、日本が医療として検査をするのは、発症者など医師が検査の必要性を認めた人や濃厚接触者に限られる。一般市民の検査は、国立感染症研究所の積極的疫学調査の一環として行われるだけだ。検査に大きなコストはかからない。PCR検査の原価は1000円程度だから、国民全員のPCR検査をしても、1千億円あまりのコストで実施可能だ。しかし、医療界はそれに反対する。検査で大量の陽性者が出てくれば、医療がますますひっ迫するし、大規模検査は民間の検査会社を動員しないとできないから、PCR検査が医療の独占ではなくなってしまうからだ。政府も、大量の陽性者の存在を明らかにしたくない。コロナ対策の失敗が鮮明になってしまうからだ。
 そもそもすべての疾病対策は、まず検査をして、疾病がみつかったら治療をするというのが基本中の基本だ。ところが、新型コロナに関しては、検査をせずに実態から目を背け続けてきた。新型コロナ対策分科会の委員を務める谷口清州三重病院院長は、実際の感染者数は、明らかになっている新規陽性者数の4倍程度いるだろうと主張している。それだけ新規感染者を取りこぼし、そうした人が動き回れば、感染が拡大して当然なのだ。

ワクチン一本槍の意味

 政府が病床の確保をせず、ワクチン以外の感染抑制策にも後ろ向きである最大の理由は、財政問題だろう。菅総理は、安倍政権を支えていた経済産業省出身の官僚を官邸から更迭した。そのため、財務省出身官僚の力が一気に強くなった。そのことは、財政動向をみれば明らかだ。財務省は8月10日に、国債や借入金などの残高を合計した「国の借金」が、6月末で1220兆6368億円と過去最高を更新したと発表した。残高合計は3月末と比べて4兆1735億円の増加だ。しかし、昨年度は1年間で102兆円も国の借金は増えている。3か月あたり255兆円だ。それがいま4兆円に激減しているのだ。菅政権になって、とてつもない財政緊縮が進行しているのだ。
 安倍政権時代のコロナ対策には大きな批判があるのは承知しているが、それでも1人当たり10万円の特別定額給付金や中小企業向けの最大200万円の持続化給付金など、国民生活を支えるための財政出動は行った。ところが、感染状況や経済状況は、いまの方がはるかに深刻なのに、今年は特別定額給付金や持続化給付金の話さえ出てこないのだ。
 緊縮財政が貫かれるという視点からみると、菅政権のコロナ対策の本質が見えてくる。大規模な病床確保のためには、大きな財政資金が必要になる。ロックダウンをすれば、当然、補償の問題がつきまとう。
 財政出動を避け、コロナを収束させるためにはどうしたらよいのか。菅総理の描くシナリオは次のようなものなのではないだろか。
 8月6日から13日までの一週間で、一日当たりのワクチン接種は122万回だった。このペースでワクチン接種が進み、そのうち半分が2回目の接種に回るとすると、ワクチン接種完了者の割合は、1日当たり0.48%上昇する。衆議院議員が任期満了となるのは10月21日だから、そこまで待てば、ワクチン完了者の比率は、76.3%まで高まる。さすがにそこまで接種率が高まれば、感染拡大は止まるだろう。さらに投開票日は最大11月28日まで引き延ばせる。接種完了率はさらに高まるだろう。
 実は、世界では接種完了率が6割前後のところで、接種が頭打ちになっている。接種を望まない人がかなり存在するからだ。しかし、日本はその壁を打ち破り、7割を超える接種完了率になると私は考えている。
 医療崩壊が進むなかで、自分の命を守る手段がワクチン接種しかないことに国民が気付き始めているからだ。実際、私の周囲の若者のなかでも、ワクチン接種に否定的だった人が次々に接種派に転向している。
 世界最高レベルの接種率を達成し、新型コロナが落ち着いてきた段階で選挙をすれば、与党が勝利できる。もちろん、このシナリオの下では、医療が崩壊し、大量の重症者と死亡者が発生する。しかし、そんなことは関係ない。菅総理にとって必要なことは、財政負担を減らし、選挙に勝ち、総理の座を守ることだからだ。
 こうした国民軽視の政策を是認するのかどうか。私は、次期衆議院選挙は、戦後の歴史のなかで、最も重要な選挙になると考えている。

       

森永卓郎
経済アナリスト/1957年生まれ。東京都出身。東京大学経済学部卒業。日本専売公社、経済企画庁などを経て、現在、独協大学経済学部教授。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』(光文社)、『年収120万円時代』(あ・うん)、『年収崩壊』(角川SSC新書)など多数。最新刊『こんなニッポンに誰がした』(大月書店)では、金融資本主義の終焉を予測し新しい社会のグランドデザインを提案している。テレビ番組のコメンテーターとしても活躍中。