「ビジネスと人権に関する指導原則」で時流をつかめ! 講師:湊信明氏

近年、企業と人権との関わりが急速に変化しています。2011年、国連人権理事会で「ビジネスと人権に関する指導原則」が承認され、世界各国の企業は国際人権を尊重することが求められるようになりました。日本政府も「行動計画」を策定し、大企業から中小企業まで企業活動において人権を守る取り組みが加速しています。今回は、東京弁護士会・中小企業法律支援センター「SDGsプロジェクトチーム」座長をつとめ、中小企業による人権や環境に関する活動の支援をされている湊信明さんに、弁護士は「ビジネスと人権に関する指導原則」を業務にどのように活かしていくべきかをお話しいただきました。[2022年1月15日@渋谷本校]

人権や環境を重視する動きが加速している

 今、企業活動においてSDGs(持続可能な開発目標)やESG(環境・社会・ガバナンス)と並んで2011年第17回国連人権理事会で承認された「ビジネスと人権に関する指導原則」が注目されています。
 これまで人権というと、国家や大企業に対立する概念と捉えられ、弁護士は、国家や大企業を相手に、人権を遵守するよう闘ってきました。
 それが今や、「ビジネスと人権に関する指導原則」が承認されたことにより、企業の側から、国際人権を遵守する旨を対外的に宣言し、ステークホルダー(利害関係者)の人権に負の影響を与えていないかを評価し、与えているなら、それを除去・軽減していかねばならないとされたのです。日本政府は2020年10月に「『ビジネスと人権』に関する行動計画(2020‐2025)(NAP‐National Action Plan)」を発表しました。企業法務に携わる弁護士にとって「ビジネスと人権に関する指導原則」はますます重要な原則になり、活躍の場も広がっていくでしょう。
 2021年ダボス会議(世界経済フォーラム特別年次総会)のテーマは「グレート・リセット」。ダボス会議創設者のクラウス・シュワブ会長は「世界の社会経済システム、資本主義の偉大なる仕切り直しをすべきだ」と言っています。シュワブ会長は、企業のステークホルダーである従業員、取引先、取引先の従業員、地域社会などの「well‐being(持続的な幸福)を配慮して経済を考え直すべきだ」とも言っています。
 このような人権を重視する流れを世界的に加速させた一つの事件があります。2013年4月24日にバングラデシュで起きたラナ・プラザ事件です。ラナ・プラザというビルには銀行や店舗の他、たくさんの縫製工場が入っていてこのビルが一気に崩落したのです。ずさんな違法増築が原因でいきなり崩れ落ち、死者が約1100人、行方不明者が約500人、負傷者が2500人を超える大惨事になりました。
 ラナ・プラザの縫製工場の事故現場には、世界展開をしているさまざまなファスト・ファッションのロゴが散乱していました。私たちがよく着ている、冬暖かく、夏涼しく、しかも安い日本のブランドもラナ・プラザ内の縫製工場に製造委託していました。そうした世界のファスト・ファッション企業から製造委託をされて服をつくっていた現地企業の中には、劣悪な労働環境のもと月収3900円程度で貧しい女性たちを働かせていた事例もありました。そうしたことが報道されて世界の人権団体から批判がわき上がり、ファスト・ファッションのブランド・イメージは地の底に堕ちました。崩落事故が起きたとき「ビジネスと人権に関する指導原則」は既に国連で承認されていましたが、この原則をさらに重要視させたのが、ラナ・プラザ事件だったわけです。

日本の企業や消費者の意識も変化してきた

 企業による人権侵害は今も世界中で起きています。たとえば中国北西部の新疆ウイグル自治区でウイグル族が強制労働をさせられている事件が報じられています。日本では、技能実習生から逃亡防止のためにパスポートを取り上げた上、最低賃金以下で働かせているなどという実態もあります。地下水の過剰取水による水資源の枯渇、漁業権における持続性を超えた乱獲で先住民族の採る魚がなくなるということも起きています。
 「ビジネスと人権に関する指導原則」には法的拘束力がないのですが、それが企業において無視できない存在となったのはなぜでしょうか。人々の人権意識の進展に加え、インターネット技術及びSNSとスマートフォンが著しく進化したことが大きな原因と思います。個人も人権NGOも、企業による人権侵害の事実を、マスメディアを使うことなく世界中に瞬時に送り届けることができるようになりました。そして、それを企業の評価に直結させることができるようになったのです。それによって企業におけるレピュテーション・リスク、つまりマイナスの評価や評判が広まることでブランド価値や業績が下がり、経営が悪化するリスクが著しく高まりました。こうして企業は、自らの活動によってステークホルダーの人権に負の影響を与えていないかを企業の最重要課題として注視せざるを得なくなったわけです。ここに弁護士が携わる意義があると思います。言葉を換えれば、私たちが社会に役立つ新たなチャンスが生まれたのだということです。
 では、人権問題について日本企業への影響はどうなっているのか。現在の日本の企業を取り巻く状況を見ていくと、日本は世界に類を見ない少子高齢化に突入しています。生産人口もあっという間に少なくなっていく。企業が経営を維持していくためには優秀な人材が必要であり、急速に人口が萎んでいく社会の中でいかにして人を集めて働いてもらうのか、ということが問われてくるわけです。
 2020年10月30日の日経新聞に「SDGs時代はエシカル就活」(エシカル=倫理的な)という記事があります。就職活動中の学生たちは、当然これから伸びる会社に入社したいわけですが、学生たちはこれから伸びる会社はSDGsやESGに力を入れている会社だと言うことが多いとのことです。「ビジネスと人権に関する指導原則」もこれに含まれるでしょう。特にZ世代(1990年代後半以降に生まれた世代)は社会的に意義のある仕事をしたいと思っている人の割合が高いそうです。ですから、企業は優秀な人材を採用しようと思ったら、人権や環境に配慮していなければ若い人が集まらない時代になっているのです。
 就職活動中の若者たちだけでなく、消費者の意識も変わってきました。以前は、洋服を買うときも「この服、安くていいね」という意識でしたが、現地の人々に強制労働をさせてつくった生地じゃないのかとチェックする時代になっています。消費者庁のエシカル消費の調査でも2016年から2020年にかけて、4年間で「エシカルな商品を買いたい」という消費者が大幅に増えているという結果があらわれています。
 それから、日本の大企業が中小企業を見る目も変わってきています。大企業が、その取引先の中小企業が人権侵害をしているのに、それを放置していた場合には、大企業が取引先による人権侵害に加担したと評価されるリスクがあります。ですから大企業は、取引先となる中小企業がどれだけステークホルダーに対する人権的配慮をしているかを注視しており、その意識に乏しい中小企業は取引相手とされなくなってきているのです。

弁護士が企業に人権を堂々と語れる時代に

 人権や環境への取り組みは、企業にさまざまな影響をおよぼします。米国のApple社を例に説明しましょう。Appleがすごいのは、人権や環境に対して真剣に取り組んでいることです。
 Appleは以前、iPhoneの製造委託先である台湾の企業が従業員に強制労働をさせていたことが発覚して、不買運動が広がりました。Appleはそこから世界中のサプライヤーに対して従業員の人権や権利、環境、安全などについて監査を始めています。それだけでなく監査の基準を満たさず、サプライヤーにならなかった企業に対しても、支援活動、教育活動を行っているとのことです。環境問題についても、2030年までに製品の製造過程におけるカーボンニュートラルの実現をめざすことや、リサイクル材の利用を拡大する方針を示しています。私はApple のこうした活動が気に入って、数年前にAndroidからiPhoneに乗り換えました。そういう努力をしている会社としていない会社と、どちらの製品を買いたいでしょうか? 人権や環境に真剣に取り組んでいる会社の製品を買いたくなると思います。
 今や、企業が人権や環境にしっかり取り組まないとネガティブな影響が必ずあらわれます。売上の減少、業績の悪化、株価の低下、既存顧客との取引停止、不買運動、訴訟を起こされることも考えられます。人権に配慮していなければ従業員の定着力が落ちるので、採用コストも増える。それから、石炭火力発電に関連した産業からのダイベストメント(投資・融資の引き揚げ)も加速しています。逆に、人権や環境にしっかり取り組んでいけば生産性や採用力も向上するし、ブランド価値や株価も上がる。新規顧客の開拓にもつながるというわけです。
 さて、企業に「ビジネスと人権に関する指導原則」や憲法・法律に基づくアドバイスをできるのは誰でしょうか? これまでは、私たち弁護士が、企業経営者に「人権や環境を守りましょう」と言ったら、「人権? 環境? そんなもの守っていたら会社は潰れるよ!」と言われることもあったかもしれません。それが今や、私達は企業側の弁護士として「ステークホルダーの人権を守りましょう。そうすることによって御社の企業価値はもっと高くなりますよ。株価も上がるかもしれません!」と言える時代になってきたのです。

「ビジネスと人権に関する指導原則」を業務に活かす

 ここから「ビジネスと人権に関する指導原則」と実際の弁護士の業務の可能性についてお話ししていきたいと思います。私の事務所では多くの中小企業と顧問契約を結んでいますが、大企業と中小企業の関係においてよくある事例としてお話しします。
 たとえばソフトウェア開発大手のX社という会社が、ソフトウェア開発を中小のY社に発注したとします。ところがX社はソフトウェアの発注元から、「仕様変更してください」と言われた。そのしわ寄せがどこに来るのかというと、中小のY社に来るんです。仕様変更があった、でも納期は変更できない、料金も変更できない。とにかく「仕様変更があったんだから、やってくれ」と言ってくる。これは下請法違反になり得るわけですが、Y社は、「下請法違反だ!」とX社に言えますか? 公正取引委員会に訴えられるでしょうか? そんなことをしたら契約を切られるから、Y社の従業員は深夜労働や土日の労働も強いられながら泣く泣くやるわけです。
 こうした事例で企業の顧問弁護士は、どのように「ビジネスと人権に関する指導原則」を使っていけばいいのでしょうか。最初に、政府は2020年に「『ビジネスと人権』に関する行動計画2020‐2025」を発表したとお話ししましたが、ここには「ディーセント・ワーク」(働きがいのある人間らしい仕事)という言葉が出てきます。
 X社の顧問弁護士だとしたら、X社の経営者に「取引先のY社の従業員は土日も仕事をしていますよ。Y社の従業員のディーセント・ワークを奪っているのはどこの会社ですか? このことがSNSで広がったらX社の評判も株価も下がりますよ」というアドバイスを顧問業務としてできるのです。

弁護士が活躍できるチャンスが大きく広がっている

 ビジネスと人権に関して企業が取り組むべき課題はたくさんありますが、「ビジネスと人権に関する指導原則」では、指針として「方針によるコミットメント」「人権デュー・ディリジェンス」「救済措置」という3つの柱を示しています。これは3つとも弁護士マターで、これが私たちの具体的な業務の内容になってきます。
 まず「方針によるコミットメント」というのは、企業の人権尊重方針を明確にしてそれを公表することです。インターネットで公表すると全世界に人権の尊重を約束することになり、コミットメントに反すれば直ちにレピュテーション低下に直結する。弁護士は、遵守すべき国際人権にのっとって、このコミットメントの策定に携わることができます。
 それから「人権デュー・ディリジェンス」。これは企業活動による人権に関するマイナスの影響を評価し、防止・軽減する取り組みのことです。経営者はよく「わが社は人権を大事にしています」と言いますが、自分の会社の中しか見ていないことが多い。しかし、たとえば自社の製品の運送を運送会社に依頼するときに、短納期かつ低額で「この値段で早く運べ」と急かし、トラックの運転手さんを過重労働に追いやっているかもしれない。製造委託をしている国内海外のサプライヤーの現場では、強制労働、長時間労働、児童労働を強いているかもしれない。さらには製品を消費者が購入して、それを捨てるときにはどこでどう処理されるのか。環境を破壊していないか。弁護士は、「人権デュー・ディリジェンス」に際して、バリューチェーン全体を川上から川下までひっくるめてアドバイスすることができるわけです。
 そして「救済措置」。これは人権侵害が認められた場合に、被害を受けているステークホルダーの人権を救済することです。ソフトウェア開発大手のX社と中小のY社の例でいうと、X社はY社に対して仕様変更を命じて、納期も料金も変えずに、Y社の従業員の労働時間だけが長くなっている。X社の顧問弁護士は、発注元とも協議しつつ、製品納期の延長を図り、残業代等を代金に上乗せして支払うべきであるとX社経営者にアドバイスして、Y社従業員の人権救済措置を講じていくことになります。そうした活動を展開することこそが、X社の企業価値を上げることにつながるからです。
 弁護士が企業の取り組みに貢献できる場面は他にもあります。たとえば、企業とサプライヤー間の契約書の作成やチェック業務。先ほど述べたバングラデシュのラナ・プラザ事件を例に説明しましょう。、世界展開をしているファスト・ファッションと劣悪な環境で労働をさせていた現地企業との間には資本関係はなく、指揮命令関係もありません。ですから、サプライヤーに対して、悲惨な事故を起こさないように、あるいは人権侵害をしないように命令することは本来できません。ですから、あらかじめ契約条項の中に「人権を遵守せよ、人権侵害が発生した場合には是正措置を講じよ、是正しなければ業務委託契約を解消する」という内容を盛り込んでおかなければいけないのです。また、逆にサプライヤー側の企業は、ささいな問題で簡単に契約を解消されないように契約条項をきちんと確認しておく必要があります。つまり、どちらの側の顧問弁護士も、人権を遵守した契約を締結するために企業に適正なアドバイスをすることが重要な仕事のひとつになってきたのです。
 「ビジネスと人権に関する指導原則」の承認以降、日本においても大企業だけでなく中小企業も巻き込んで、人権や環境に関する取り組みが進められてきました。この動きは弁護士会の活動にも影響しています。東京弁護士会では中小企業法律支援センターに「SDGsプロジェクトチーム」を立ち上げて、中小企業が「ビジネスと人権に関する指導原則」を実践するための支援をしています。企業による「ビジネスと人権に関する指導原則」を用いた対応はこれからますます必要となるでしょう。法曹をめざすみなさんの目の前には、チャンスが大きく広がっているということを胸に刻んでおいていただきたいと思います。

みなと・のぶあき 弁護士、湊総合法律事務所所長。1987年、中央大学法学部法律学科卒業。2003年、湊総合法律事務所開設。2013年、東京弁護士会・弁護士業務妨害対策特別委員会委員長。2015年、東京弁護士会・副会長、 関東弁護士会連合会・常務理事。2017年、東京弁護士会・中小企業法律支援センター本部長代行。2020年、日本弁護士連合会・弁護士業務妨害対策委員会委員長。2021年、東京弁護士会・中小企業法律支援センター「SDGsプロジェクトチーム」座長。主な著書は『成功へと導く ヒューマンライツ経営』(日本経済新聞出版/共著・松田純一)、『伸びる中堅・中小企業のためのCSR活用法』(第一法規/共著)、『勝利する企業法務 実践的弁護士活用法』(第一法規)、『事例で学ぶ 生前贈与の法務リスクと税務リスク』(大蔵財務協会/共著・湊義和)。

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