第163回:“疫病退散”願掛けのような緊急事態宣言(南部義典)

 「もはやコロナ禍が時代や国家を支配している」というのは錯覚でしょうか。私は令和3年というより「コロナ2年」を迎えたような感覚で、新年を迎えました。正月気分にさえ至らないまま一年が動き始め、あす(7日)には国の緊急事態宣言が再発令される見通しです。

 国の緊急事態宣言は昨年4~5月に続いて2度目で、菅総理が4日の年頭会見でその方針を明らかにしています。首都圏を中心に新型コロナウイルスの感染拡大が著しい状況で、結論として宣言再発令を支持する意見が多数のように見受けられます。しかし私は、大いに違和感を覚えます。

生活困窮者支援に触れなかった年頭会見

 私が考えるところ、当面のコロナ対策として重要な3つの柱があります。①ワクチン・治療薬の開発と処方、②医療崩壊の回避、③生活困窮者に対する支援です。①~③は言うまでもなく、国の緊急事態宣言に拠らなくても施すことが可能であり、そうしなければならないものです。緊急事態宣言には直接関係しません。

 菅総理は年頭会見で、①については2月下旬までに医療従事者、高齢者などから優先的に接種をスタートさせること、②については看護師・スタッフの確保、医療機関への財政支援、自衛隊医療チームの派遣検討を挙げ、具体的に言及したものの、③については始終、何の言及もありませんでした。年頭会見の内容でまず非難しなければならないのはこの点です。
 コロナ禍において、生活困窮者が急増しています。この年末年始まで何とか乗り切ったものの、なお雇用、家計の危機に面し、恐怖に怯えている方、生活保護の支給決定が待てない方が大勢います。また、当面は凌ぐことができても、緊急事態宣言の再発令の後、経済が悪化することで、生活の困窮が避けられなくなる(その不安を抱えている)方も少なからずいます。好ましい比較ではないものの、コロナウイルスの陽性者であれば、保健所、病院その他の医療機関が隙間のない手当てを講じてくれる(治療、回復までの場所がある)ものの、生活困窮は周囲からの支援が難しい場合や相談・対応の窓口が一元化されていない(判然としない)場合が多くあります。
 結果として命に関わることは変わりなく、生活困窮は常時目が離せない深刻な問題であることを認識する必要があります。生活困窮者の支援、フォローは継続性、迅速性が求められますが、そもそもコロナ対策として患者数、病床数等ばかり判断評価し、生活困窮者に対する支援を一体として論じないのは、「木を見て森を見ていない」政治・行政の姿勢そのものだといえます。この点は大手メディアも同様で、年頭会見の後は「GoTo」の再開、学校の休校要請、衆議院の解散・総選挙ばかり話題に上げています。

宣言再発令は“疫病退散”の願掛けか?

 政府の専門家会議でも、飲食店(首都圏)が感染拡大の潜窟になっていると昨年から指摘されており、政府と東京都との間で時短要請をめぐるボールの投げ合いがあったことは周知の事実です(ようやく4日になって、小池知事は応じる姿勢を明らかにしました)。時短ないし休業の要請に応じない(店名を公表しても応じない)事業者、店舗の対策として「罰則」の対象とすることは以前から議論のあるところですが、それは特措法の改正によって実現し得るものであり、緊急事態宣言と直接のリンクはありません。余談ですが、昨春に見られたマスク、消毒液の買い占め等は、今後は起こり得ないと思います。仮にそういう事件が起きたとしても、すでに特措法の政令が対応しており、緊急事態宣言に拠らなければ回避できない生活上のリスクは考えられません。

〔内閣総理大臣〕特措法に基づく緊急事態宣言
    ↓ 一定の期間と区域
〔都道府県知事〕実施が可能になる6つの措置※
①外出自粛の要請(強制はできない) ④臨時の医療施設としての私有土地・建物の使用
②学校、福祉施設などの使用停止(要請、指示) ⑤消毒液、マスク、食品の売り渡し(要請、収用、保管命令)
③スポーツ、演劇、映画、音楽などのイベントの開催の制限(要請、指示) ⑥運送事業者による緊急物資の輸送(要請、指示)

※酒類の提供の有無にかかわらず、飲食店に対する営業休止、営業時間の短縮の要請(特措法24条9項に基づく、いわゆる協力要請)は、国の緊急事態宣言に拠らなくとも可能です。

 ここに来て、なぜ緊急事態宣言を求める声が大きくなっているのか。私は、宣言再発令の目的・手段(効果)が、国民の意識の中でズレてきているのではないかという点を危惧します。感染拡大の防止という大義、目的は正当ですが、とるべき手段、行動が適切な方角を向いていないのではないか、と感じています。批判を恐れず言えば、「疫病退散」の願掛けのようなイメージで、宣言を求める集団心理が膨らんできた結果が、多数世論に現れています。とにかく、根拠がはっきりしないのです。さらに言えば、「強制措置を講じなければ、人の移動は増大するばかりで、感染拡大に歯止めが掛からない」と、ある種の戒厳令的な発想で、人の移動、活動を強度に「抑制」しようという思想が見え隠れします。これが無意識のうちに蔓延してきている危険を、誰も感じないのでしょうか。

集団心理に甘え続ける、安倍・菅総理

 過日、箱根駅伝の沿道で何重もの観戦の列ができて、密な状態が生じていたことがニュースになりましたが(主催者側は沿道での応援は自粛するよう呼び掛けていました)、これでは新規感染者数が連日更新される中であっても、「コロナなんて大丈夫」という集団心理上の「免疫」がますます強くなってしまいます。つまり、「コロナを正しく恐れる」ことが出来なくなってしまうのです。
 ちなみに昨年3月(緊急事態宣言の発令前)、さいたまスーパーアリーナで某格闘技イベントが行われ、6500人の観客が集まりましたが(大野知事は大会の休止要請をしましたが、主催者は応じませんでした)、結果としてクラスターが発生しなかったことがある種の成功体験(=免疫)となり、その後の行政措置に困難を及ぼしたことを私は一県民として記憶しています。

 政府・与党の一部は明らかに、このような集団心理上の「免疫」に甘え過ぎています。内閣総理大臣は行政のリーダーとして、支持率が大きく下がることも覚悟の上で、国民に対する厳しいメッセージを発しなければならない時があります。しかし、安倍氏も菅氏も保身のあまり、肝心の一言が出てきません。この意味で、私は「リーダー失格」であると思います。行政のリーダーが、先手策を連発するという危機管理の要諦を忘れ、様子見に明け暮れているようでは、コロナ禍を永久に克服できない社会へと固まり始めてしまいます。改めて、緊急事態宣言の再考を求めます。

       

南部義典
なんぶよしのり:1971年岐阜県生まれ。衆議院議員政策担当秘書、慶應義塾大学大学院法学研究科講師(非常勤)等を歴任。現在、国民投票総研 代表。専門は国民投票法制、国会法制、立法過程。主な著書に『図解 超早わかり18歳成人と法律』『図解 超早わかり国民投票法入門』(以上、C&R研究所)、『Q&A解説 憲法改正国民投票法』(現代人文社)、『9条改正論でいま考えておくべきこと(別冊法学セミナー No.255)』(共著、日本評論社)、『広告が憲法を殺す日』(共著、集英社新書)、『18歳成人社会ハンドブック』(共著、明石書店)、『18歳選挙権と市民教育ハンドブック[補訂版]』(共著、開発教育協会)などがある。(2020年6月現在)