第559回:ネットいじめが人を孤立させる理由 もう誰も死なせないために。の巻(雨宮処凛)

 昨年5月、テレビ番組「テラスハウス」に出演していた木村花さんが亡くなった。

 5月19日、彼女の死後にTwitterで中傷したとされる男性に、129万円の支払いが命じられた。男性を訴えたのは、花さんの母親。男性は「あんたの死でみんな幸せになったよ」「地獄に落ちなよ」などと投稿していたという。インターネット上の中傷をめぐり、賠償を命じる判決は初めてだそうだ。

 そんな報道に接した約一週間後、ある人の訃報を知った。

 それはアイドルの望月めるさん。昨年冬に亡くなっていたことが家族によって発表された。死因は公表されていないのでわからない。ただ、家族によるTweetに「彼女にも至らぬ点があったかと思いますが、どうかこれ以上の誹謗中傷などはお控えください」という言葉があり、目の前が暗くなった。

 私は彼女をTwitterでフォローしていた。「ファン」と言えるほど熱心に応援していたわけではない。でも、彼女の写真を見るのが好きだった。ただ、投稿は昨年10月で止まっていて、どうしたのだろうと思ってはいた。だけどまさか亡くなっているなんて、想像もしてなかった。

 めるさんを初めて知ったのは、ヴィジュアル系バンド「0.1gの誤算」のMV。そこに登場する彼女に一発で魅了されたのだ。自らプロフィール欄に「整形課金700万」と書き、透明感いっぱいの自撮りをアップする彼女は、今の時代を全身で体現しているように見えて、なんだか目が離せなかった。

 そんな彼女がSNS上でひどい言葉を投げかけられているのを偶然目にしたことがある。

 目の前で、めるさんが通り魔に襲われたのを目撃したような衝撃を受けた。

 これ、偶然目にした人間が放置していいものなの? 20歳の彼女に対して、大人には何かできることがある気がした。

 だけど、私は何もしなかった。自分に攻撃が向くのが怖かったから。

 「地獄に落ちろ!」

 朝、爽やかな気分でSNSを開くと、私に対するそんな暴言が飛び込んできた。

 毎年開催している「自由と生存のメーデー」のデモ写真をアップしたら、それが何千とリツイートされ、数百人から「乞食!」と罵倒された。罵倒は日が経つにつれどんどん増えていって、怖くなって私はそのTweetを削除した。

 この1、2ヶ月の間に起きたことだ。

 それ以前のことも含めると、膨大な悪意に晒されてきた。誹謗中傷、名誉毀損、私と付き合いのある人にまで波及する攻撃。暴言、罵倒、差別用語。

 もう何年も続いているので、どこかの時点で「慣れる」のではないかと思っていた。しかし、まったく慣れない。慣れるどころか、暴言はどんどん威力を増している。例えば最初に攻撃された時が1だとすると、2回目は2倍、3回目は4倍、4回目は8倍となって襲いかかってくるイメージだ。

 攻撃も巧妙になっている。弁護士に相談するたびに、裁判になったとしても中傷とは認定されないような書き方がものすごく上手くなったと感じる。

 それだけではない。より合法的に、より効率よく「言葉で人を殺す技術」が日々上がっているのをひしひしと感じる。

 おそらく、暴言を吐くことが即、個人の特定と、場合によっては刑事罰につながるのであれば、こんなことはまかり通っていないだろう。しかし、今は中傷した者勝ち、暴言を言ってスッキリした者勝ちの無法地帯に思えて仕方ない。

 そしてそんなネットの中傷は、コロナ禍以降、より深刻になったと感じる。ストレスがたまっているのか、「こいつは叩いていい」と思った途端、全方向から攻撃が仕掛けられる。たまった鬱憤を向けられた方は、リアルに人となかなか会えないコロナ禍だからこそ、コロナ以前より言葉の刃のダメージを手酷く負う。

 「たかがネット、気にしなければいい」と言う人もいるかもしれない。しかし、Twitterの書き込みが原因で内閣官房参与がやめる時代だ。

 このようなネット上の誹謗中傷に対しても、国からは「なんとしても命を守る」という姿勢が見えてこない。コロナ対策をはじめ、すべてにおいて、この国の政治では「命」は最優先されるものではない。対応は後手後手で、遅きに失しているとしか言えない。

 そうして政治に期待したくても、与党議員自らがネットいじめを助長するような書き込みをしているのを何度も見てきた現実がある。女子高校生への貧困バッシングを出すまでもなく、集団リンチをけしかけるような議員が多く属する現政権に、一体何を期待すればいいのだろうとため息が漏れるばかりだ。

 個人の良心に訴えたところで、なんの意味もないことはわかりすぎるほどわかっている。だからこそ、この無法地帯を終わらせる策が必要なのだ。木村さんの死によってネット上の中傷に対しては規制が強化されたものの、それで日々接するSNSが安全になったかといえばまったくそんなことはない。

 最後に、ネットで集団から中傷されている時の気持ちを書いておきたい。

 多くの人に「乞食」となじられている。多くの人がそれを見ている。恥ずかしくて情けなくて、消えてしまいたい。そして暴言と同じくらいつらいのは、多くの人が見ているはずなのに、誰も助けてくれないということだ。その事実は、地味に私の心をえぐる。もしかして、親しい人たちもみんな私のことをそう思っているのでは? みんな、私への罵倒を見て、「よく言ってくれた」とニヤニヤしているのでは?

 こうしてネットいじめは、周りの人間への不信感にも繋がっていく。そうして当人を孤立させていく。

 例えば児童虐待には、通告義務がある。児童虐待防止法は、すべての人に対して、虐待を見かけたら市町村窓口などに通告することを義務づけている。

 一方で、ネット上でどれほどひどいことがなされていても「見て見ぬふり」はいくらでもできる。通告義務などないし、スルーしたことで当人が咎められることもない。

 そうして今日もまた、ネット上の中傷で、死を考えるほどに追い詰められている人が放置されている。

 今のままでいいとは、決して思えない。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。