第17回:新型コロナウイルスのワクチンは「グローバル公共財」か(岸本聡子)

強者による強者のためのワクチン政治

 新型コロナウイルスワクチン接種の招待と案内が届いた。事前に行政から年代別時期予測が出ていたが本当にそのとおりで、この度はベルギーの行政機構のスピードと機能に感心する。ネットでの予約も多言語で簡潔、2回目の予約も同時にできた。

 いっしょに仕事をしている公衆衛生の専門家は、コロナパンデミックとその後の対応で国民の信頼を失った政府が、ワクチンを迅速に分配することで信頼を回復させようとする政治的なプロジェクトだと分析する。ちなみに彼はインド・バンガローの爆発的な感染の中で、支援活動に尽力している学者であり運動家だ。事実、ヨーロッパではワクチン接種が急速に進み、夏休みを前に楽観的な雰囲気が広がっている。

 コロナワクチンをめぐっては、個人的、世界的、政治的に、何層にも思考が巡る。「受けるか・受けないか」の個人的な判断、「受けられるか・受けられないか」という世界的な格差。あまりにも不透明で非合理な、強者による強者のためのワクチン・ポリティックス。感情や不安が絡み合うこのテーマはしんどいが、マガジン9には私の政治的な立ち位置からストレートに、今のヨーロッパのワクチン・ポリティックスを書きたい。

低所得国へのワクチン分配は、たった0.3%

 コロナワクチン、治療薬、検査法、医療器具は、「グローバル公共財」 (global public good) として、連帯、協力、真の多国間主義に基づく技術やデータの共有といったアプローチが必要なものであるはずなのに、現在は希少、独占、秘密、利潤、競争、ナショナリズムなど正反対のアプローチになっている。

 まずワクチンの世界的な分配状況を見てみよう。今までに18億回分のコロナワクチンが製造されているが(2021年5月28日時点)、その85%が高所得国と中高所得国に分配され、低所得国はたった0.3%しか得ていない。インドは全ワクチンの60%を生産しているにもかかわらず、5月末まででワクチン接種を受けた人口は3%だ。

 コロナワクチンの公平な分配を目指す国際的な枠組みとしては、2020年に作られた「COVAX(コバックス)」があり、190か国が参加してワクチンを共同で購入・分配することになっている。COVAXは、2021年末までに92の低所得国に20億回分のワクチンを寄付することを約束していたが、インドのセラム・インスティチュート・オブ・インディアからのワクチン供給に依存していたため、インドが国内の感染予防で手一杯になった影響で、3月から5月はまったく出荷ができなくなった。現在までに、約束の3.4%の量しか供給できていない。しかし、そもそもCOVAXが約束を100%果たしたとしても、カバーするのは世界人口の20%に過ぎない。

 一方、こうした国際的な枠組みの外で、EUを含めた強国は製薬会社と直接交渉し、自国のワクチン確保を優先させている。アメリカ、カナダ、イギリスはすでに自国民の数を大幅に上回るワクチンを確保している。COVAXに関わるテクノロジーや医療技術を共有、移転するしくみは、結局のところ製薬会社の「自発性」に依存している。金持ち国との商業取引で多額の利益を上げられる製薬会社が、特許や技術を「自発性」に提供するはずもない。この(COVAXとCOVAX外での交渉という)二重の仕組みは不効率なだけでなく、国際的なモラルや倫理を崩壊させている。

「公共財」から一転、莫大な利益を得る製薬会社

 こうした仕組みから莫大な利益を上げているのが一握りの製薬企業である。製薬企業が医薬品の技術を囲い込むことで希少性を人工的に作り出し、価格や条件の交渉実権をにぎり、膨大な利益を上げている構造を、コロナワクチンがより明らかなものにした。これは突然始まったことでも、コロナワクチンに限ったことでもない。約20年前、エイズがおびただしい人命を奪ったのは、特許でガチガチに固められたHIV治療薬が、一人当たり100~200万円もしたからだ。この状況を打ち破ったのも、途上国政府と連動したグローバルな民衆の運動だった。

 今となっては驚くが、フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長 は、コロナのパンデミックが始まった直後の2020年4月、コロナワクチンは「私たちのユニバーサルな『共有財(common good)』」だと記者会見で言い、同年5月末、欧州委員会はコロナワクチン、治療薬、検査法のユニバーサルで安価なアクセスを求めるグローバルアクションなる宣言をしている。その中で、フランス・マクロン大統領は「コロナと闘うためにワクチンをグローバル公共財に」と、イタリア・コンテ首相(当時)も「ユニバーサルで平等なアクセスのためにワクチン、治療と治療薬をコモン、グローバル、公共財に」と謳った。パンデミックの直後、「グローバル公共財」という語彙が使われたことは重要だ。

 しかし、それから1年たって私たちが目撃しているのは、製薬会社と秘密裏の購入交渉を行い、ヨーロッパ中心主義丸出しで、ヨーロッパ市民のためだけに「妥当な」価格で製薬会社からワクチンを買うことに必死なEUの姿である。膨大な公的資金をつぎ込んでおこなったワクチン開発にもかかわらず、グローバル製薬企業にワクチンの価格や供給をめぐって「公共財」として扱うよう、1ミリの交渉成果も引き出せなかったEU。それどころか、その後の知的財産権をめぐる議論で、完全に本性を現す結果となった。

コロナ関連特許の一時停止を求める動き

 世界的な公衆衛生の危機下で、コロナウワクチン、薬、検査法など医療ツールについては、コロナ危機が終焉するまで一時的に特許を放棄することを求める世界的な世論が、ここ半年でどんどん大きくなっている。

 国際貿易機構(WTO)では、インドや南アフリカのリーダーシップで、コロナ特定の知的財産の一時停止を62カ国が共同提案し、現在は100カ国以上に支持されている。多くの国際機関、世界中の市民組織、医師たち、介護・医療従事者の労働組合、有識者などが、粘り強く各国政府に要求し、署名運動を広げ、「みんなが安全でなければ、誰も安全ではない!」というスローガンを掲げて、グローバルにつながった。

 昨年10月の共同提案以来、コロナ特定の知的財産権の一時的な停止「TRIPS ウェイバー」(※)に反対してきたのは、アメリカやEU(27カ国)を筆頭に、イギリス、ノルウェー、スイス、日本、オーストラリアといった一握りの先進国とブラジルであった。ところが国内外の世論を受けて先月5月5日、製薬会社の既得権益の中枢であるアメリカが、一時的停止に賛成したというニュースが世界中を驚かせた。

 では、アメリカのTRIPS ウェイバー賛成後、EUや、日本はどう動いたのか。

 EUは、今となってはTRIPS ウェイバーに強固に反対する唯一の大きなブロックとなっている。強固な反対の中心はドイツである。ドイツはバイヤーを始め巨大でパワフルな製薬会社が集中しているだけでなく、製薬産業を世界的にリード(独占)している国だ。EU加盟国内でTRIPS ウェイバーにはっきりと賛成しているのはスペインだけで、フランス、イタリア、ポーランド、ハンガリー、ギリシャは前向きな姿勢を示してる。TRIPS ウェイバーを求める世論は強くなる一方で、少なくない各国の議会は賛成にまわっている。日本は他の先進国と同様、過剰な知的財産権の擁護を長年支持してきたが、常に追随の対象である米国が態度を180度変えたことで自身の態度をやや軟化させている。

(※)TRIPS ウェイバー:「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」(TRIPS協定)で定められた義務の一時的な免除(ウェイバー)を求める内容で、「TRIPSウェイバー」提案と呼ばれている

知的財産権に触れる議論を避けたいEU

 この6月は、知的財産権・TRIPS ウェイバーをめぐって重要な局面となる。WTOのTRIPS評議会は今週(9~10日)行われる予定で、TRIPS ウェイバーの交渉を開始できるのかが注視される。11~13日にはロンドンでのG7会合があり、コロナワクチンの不足と供給体制の議論を避けることはできない。

 EUの政策監視をするNGOは、EUの交渉の立場を以下の3つと予測する

 1.アメリカ、英国などのワクチンの輸出の制限や禁止を非難する
 2.ワクチン製造企業にCOVAXを通じて自主的な技術共有を促し、また他社と協力してワクチン製造の規模を拡大する
 3.TRIPS協定はすでに現状のままでも十分な柔軟性があり、コロナワクチンの製造の強制実施権(※)は可能であると主張する

※強制実施権:TRIPS協定では、政府が一定の条件の下で特許権者の許諾を得なくても特許発明を実施する権利を第三者に認めることができる。これを強制実施権という

 これだけ見るとまっとうに見えるかもしれないが、つまりこれはコロナに限定するにしても「知的財産権に触れる議論は徹底的に避けたい」という姿勢が透けて見える、確信的な時間稼ぎ戦略だ。TRIPS協定の強制実施権の要請は各国が個別に行わなくてはならず、膨大な時間と資金がかかり途上国にはハードルが高すぎるし、できたとしても特許を保持する企業に提訴される可能性があると、多くの途上国政府が主張しているのを全く無視している。

 とにかく知的財産権の根本的な議論を避けたいEUのリーダーたちは、先月25日、年内までに低所得国に1億回分のワクチンを寄付すると発表した。ヨーロッパ中心主義、不道徳といった批判をかわすPR活動に必死だ。

 この「1億回分」という数をどう見るだろうか。先日28日のWHO(世界保健機関)の会合で、インドネシアの保健省大臣は、製薬会社がノウハウを共有さえすれば国内の6つの製造会社で年間5億5000万回分の製造が可能だと語っているのだ

公的資金をつぎこんでも、権利は製薬会社?

 この間、日本の市民連絡会「新型コロナに対する公正な医療アクセスをすべての人に!」が、この問題についてタイムリーにウェビナー(ウェブ上で開催されるセミナー)を開催して、国内外の情報を伝えてくれている。ここで、貿易投資、公衆衛生、医療の専門家たちから学んだことだが、知的財産権というのは大昔からあるわけではなく、1985年のプラザ合意ごろから現れたものだという。それから30年余をかけて様々な多国間、二国間貿易投資規定などで強化の一途をたどった。プラザ合意と言えば、覇権が揺らぎ始めた米、西欧が強者のための国際経済秩序を改めて打ち立てたもの(と私は認識している)。その中心イデオロギーは新自由主義(ネオリベ)で、今に至る35年間を支配してきた。企業の特許を独占的に保護する知的財産権はその重要なツールである。

 知的財産権すべてを否定する必要はないと思う。が、こと今回のコロナワクチンについては、研究開発に膨大な公的資金が投入されたのは皆が知るところで、アストラゼネカ・オックスフォードのワクチン開発は97%が公的資金によって行われたとされている。にもかかわらず、知的財産権は一握りの民間製薬企業に属し、製造と供給、利益を独占する。国家は研究開発に金を払い、ワクチンの購入にもう一度お金を払う。そのお金とはつまりは私たちのお金だ。

 どうしてEUがコロナ特定の知的財産権の一時的な停止に触れたくないのかは明らかである。認めると、これが風穴となって今まで製薬会社が巨額の利益を上げてきた仕組みが白日にさらされ、コロナを超えて知的財産権の根本的な改革の世論と圧力が高まるからだ。それが避けられるなら、ワクチンの寄付やCOVAXへの資金提供なんて何でもない。ほとんどの国家は成長と国際競争のために製薬会社に利益を上げさせるのが有効な戦略だと信じている。

 1%のエリートを富ませるとんでもないイデオロギーとそれを支える姑息な政治を見破るためにも、「グローバル公共財」という規範は重要ではないだろうか。先述したように、パンデミック直後はさすがのエリート政治家も、未曾有の危機に直面し、その必要性を認識していたはずだ。

市場原理の外に置くべきものは医療だけではない

 労働、医療、公衆衛生、フェミニズム、居住の権利、気候変動、経済正義などに取り組む社会運動は、「ワクチンや医療、電力、住宅は、グローバル公共財である」と連携を強めてきた。これらすべての人に必要なものが、市場化、商品化、私有化、金融化されて、庶民の手が届かないものになっている。そのことへの対抗が「これらのものこそグローバル公共財として、市場原理の外に置かなくてはいけない」というメッセージに発展している。

 WHOの委託を受けたコロナウイルスの対応を検証する独立委員会で共同議長を務める元ニュージーランド首相が、未来のパンデミックを避けるために「ワクチン、診断法、治療薬を迅速に供給するために市場モデルから決別し、グローバル公共財として供給すべき」と2021年5月に発信したことも、こうした動きに弾みをつけている。

 さらに興味深いことに、パンデミック危機下のワクチンや治療薬と、気候変動危機下での脱炭素化のための再生エネルギー技術移転が、「グローバル公共財」という考えでつながり始めている。いずれも世界的な格差と不平等を是正するために、新たな多国間主義を希求している。

コロナ危機、気候変動危機から生きのびるために

 2019年4月に、国連貿易開発会議(UNCTAD)という国連機関が「グリーンニューディールのためのジュネーブ原則」という報告書を発表している。UNCTADは途上国の視点からの政治経済に定評があるが、報告書もグローバル・グリーンニューディールの先駆けとして、注目され議論を喚起した。その報告書の中でも、「グローバル公共財」が重要な概念として登場している。

 気候変動はグローバルな危機であるが、経済的に脆弱な国々の人々のリスクはより高い。ワクチンと同様、脱炭素化のため再生エネルギー関連のテクノロジーも特許や知的財産権として、先進国に集中している。グローバルな危機にグローバルに対応するためには、技術の共有と移転を促し、生産、供給能力を世界全体で上げる必要があるというのがUNCTADの考えだ。報告書は「技術を公共財と認識」し、現行の「主要なグリーンテクノロジーを共有するために、国際社会は現行のWTO下の知的財産権のルールを根本的に変える必要がある」と提案している。

 コロナという公衆衛生の危機や気候危機の中で生きる私たちは、生存のためにこそ、競争と利益の最大化のイデオロギーと決別しなくてはいけない。コロナ特定の知的財産権の一時的な停止は、その確実な一歩だ。それだけに、いま1%のグローバルエリートの強烈な抵抗に直面している。

       

岸本聡子
きしもと・さとこ:環境NGO A SEED JAPANを経て、2003年よりオランダ、アムステルダムを拠点とする「トランスナショナル研究所」(TNI)に所属。経済的公正プログラム、オルタナティブ公共政策プロジェクトの研究員。水(道)の商品化、私営化に対抗し、公営水道サービスの改革と民主化のための政策研究、キャンペーン、支援活動をする。近年は公共サービスの再公営化の調査、アドボカシー活動に力を入れる。著書に『水道、再び公営化! 欧州・水の闘いから日本が学ぶこと 』(集英社新書)