今クール、いや、この1年でいちばん楽しんだテレビドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」が、今夜(6月15日)最終回を迎える。たのしみだ。そしてさみしい。
「まめ夫」(タイトルが長いのでこう略されています)のなにがこんなに自分をひきつけるのか。それはやっぱり坂元裕二の脚本でしょ。もちろん俳優陣もすばらしい。さらに主題歌がめちゃカッコいい。松たか子はほんと歌うまい。と、いろいろあるんだけど、朝日新聞がこの「まめ夫」をとりあげた記事で、記者のひと言コメント(こんなのあったんだ)に、「『名前のない関係性』が近年のコンテンツによく見られる~」とあって、「これだ!」と思った。
たしかに、大豆田とわ子と3人の元夫との関係性に名前はない。まあ、元夫か。夫婦じゃないし、家族でもない。松田龍平演じる最初の夫とのあいだには子どもがいるから、その子どもを通じて家族なのか? その際、呼び名ってあるのかな。いや、元夫でいいのか……と、「名前はないけれど親密で、でも家族ではない関係」のなかでドラマは進んでいく。
この距離感、この関係性のなかで生じる悲喜こもごもに、自分はひかれているのかもしれない。
で、こども食堂である。
私は仕事の関係上、2015年からこども食堂に関わっている。最初は、いい取り組みだとは思っていたけれど、その価値について、何もわかっていなかったように思う。ただ、こども食堂を主宰している人たちがとっても魅力的で、それぞれが地に足のついた言葉を持っていることにほんとうに感心した。
最初の転機は、湯浅誠さんが「こども食堂はすごい。イノベーションだ」と言うのを聞いたときだった気がする。「自分は貧困問題に30年関わってきて、多くの人に自分事として考える機会をつくりたいと思ったが、その方法がわからなかった。その壁(限界)を、こども食堂は楽々と超えていった」といった話を聞いたとき、きわめて単純な感想だけれども、こども食堂ってすごいんだ、と改めて思った(湯浅さんの詳しい話はこちらをご参照ください)。
そして湯浅さんたちとともにこども食堂を応援するNPOをつくることになるのだが、そのなかで「こども食堂には多様な価値観がある」という話をよくしている。
こども食堂は、一般的には「子どものための場所」と思われている。もちろんそのとおりなのだけれども「子どもだけの場所」では決してない。そこに集まる保護者の方であったり、ボランティアをする地域の人たちであったり、そしてなによりこども食堂を主宰する運営者・実践者の方であったり、そこに集うすべての人たちのための場所である。
少し回り道をしたけれど、ここで「名前のない関係性」の話に戻る。こども食堂は、「名前のない関係性」にあふれた場所じゃないだろうか。
運営者と子どもたちは、当たり前だけど、親子ではない。運営者とボランティアさんも、兄弟ではない(いや、もちろん親子だったり、兄弟だったりする人もいるかもしれないけど)。でも、そんな「名前のない関係性」の人たちが集まって一緒に食事をする。その行為が、こども食堂に集う人たちを幸せな気持ちにさせ、さらに多くの物語を生み出している。そのことに、私自身とても感動している(生み出している物語の詳しい話は、こちらを参照ください)。
なので、「まめ夫」が好きなひとは、こども食堂のことも好きになる可能性が高いんじゃないか。逆もまた真なり、かもしれない。今夜の放送が、とにかくたのしみだ。
(山下太郎)