寝たきりでてんかん発作や重度の知的障がいがある娘を、著者はピョンちゃんと呼ぶ。かつての人気漫画『ど根性ガエル』の主人公ひろしのTシャツに張り付いたカエルのピョン吉になぞらえた。2人は一心同体という思いを込めた呼び名で、前著『重症児ガール ママとピョンちゃんの きのう きょう あした』(ぶどう社)では、母と娘の日常生活やピョンちゃんの成長過程で思うところなどが綴られた。
第2作となる本書は、Tシャツからピョンちゃんが離れる、母もまた自立していこうとする物語だ。
そこでは様々な壁が立ちはだかる。夫と離婚した著者をまず悩ませたのは日本の「世帯主」主義。別れた妻が夫の戸籍から抜け、子どもの親権者が母親であることを両者が合意していても、娘の戸籍は父親の戸籍のまま。母と娘の戸籍をつくるためには家庭裁判所に申し立てをしなければならない(そうしないと娘への様々な手当を母親は受け取れない)。
次に困窮。重症児のいるシングルマザーはなかなか職に就くのが難しい。娘への諸手当が振り込まれるのは3カ月あるいは4カ月ごとだったりする。貧乏でも幸せよね、なんて、とてもじゃないが言っていられない。その状況を突破すべく、著者は持ち前のガッツと能力で重症児の放課後等デイサービス、それも未就学児から高校生までを受け入れる「多機能型」の通所支援事業を始める。
が、その後もピョンちゃんが気管切開、著者が子宮全摘の手術を受けるという苦難が待っていた。
こうした過程で著者は母娘が自立していく必要性を認識していく。そのために自分とピョンちゃんの状況をオープンにし、ヘルパーさんをはじめ地域の人たちの助けを借りる。ただし、そこにあるのは、助ける側と助けられる側という関係だけではない。ピョンちゃんはときにヘルパーさんを笑わせたり、幸せな気持ちにさせたりするのである。
そうして本書は、重度の障がいのある人でも安心して地域に暮らせるための提言へと向かい、最後にはコロナ禍の現在にも言及する。2人は絶対に感染できないという緊張感のなかにいるが、障がい児の通所支援事業は原則開所しており、「買い物も普段から週一回、飲み会や食事会は年数回行ければいいほうですし、マスクも夏場を除いていつもしていて、手洗い、うがい、アルコール除菌は当たり前」という生活はコロナ禍前から変わっておらず、一方、たくさんの人がいま「ピョンちゃんスタンダード」を体験していると著者はいう。
重度障がい児を抱え、先の見えない不安の夜に苛まれて、精神が壊れていき、娘のケアを止め、自分はマンションのベランダから飛び降りることまで考えざるを得ないような修羅場をくぐりぬけてきた著者が、読者に新しい視点を持たせてくれる。そんな本書に感謝したい。
(芳地隆之)
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