日向史有さんに聞いた:「難民」として日本にやってきた若者たちの、希望を奪うものは何か──映画『東京クルド』

今年7月、東京・大阪などで「緊急公開」された映画『東京クルド』は、故郷のトルコでマイノリティとして迫害を受け、日本に逃れてきたクルド人の若者たちを追ったドキュメンタリー。現在、日本に暮らすクルド人は2000人以上ともいわれますが、日本政府がトルコ国籍のクルド人を難民として認定したケースはこれまで1件もなく、彼らは在留許可を持たない「非正規滞在者」として、不安定な生活を強いられています。その日常を5年にわたって取材する中で、見えてきたこと、感じたことは──。日向史有監督にお話をうかがいました。

「何が彼らを追い詰めるのか」を知りたかった

──『東京クルド』では、難民として日本にやってきて、東京に暮らすトルコ国籍のクルド人たちの日常が描かれています。彼らを取材するようになったきっかけを教えてください。

日向 最初の直接的なきっかけは「欧州難民危機」といわれた2015年、多くの人々がシリア紛争を逃れてヨーロッパへやってきた光景をテレビやインターネットで見たことです。長蛇の列をなして国境線近くの荒野を歩く人たちや、小さな船にぎゅうぎゅう詰めにされて海を渡る人たち。その姿を見ているうちに、「難民って、どういう存在なんだろう」ということがとても気になってきたんですね。
 日本にも難民として来ている人がいるのは知っていたけれど、そのときは会ったことも話したこともありませんでした。もしかしたら、欧州のあの光景の先には、日本という存在もまたあるんじゃないか。そんなふうに考えて、日本の難民支援団体などに話を聞くうちに、在日クルド人団体の「日本クルド文化協会」に行き着きました。
 そこで出会った、あるトルコ国籍のクルド人の若者から聞いた言葉がすごく衝撃的だったんです。

『東京クルド』より(C)2021 DOCUMENTARY JAPAN INC.

──どんな言葉でしょうか。

日向 「IS(イスラム国)に対抗し、戦いに行きたい」。イスラム過激派のISが急速に台頭してきていた時期で、イラクでもシリアでも、それと最前線で対峙して戦っている兵士の多くはクルド人でした。日本にいるクルド人の若者の中には、その姿に憧れる子たちも少なくなかったんです。
 危険な祖国から「平和」なはずの日本に逃げてきた彼らが、なぜわざわざ「戦いに行きたい」と考えるのか。それがすごく不思議で、さらに話を聞くうちに、「日本には僕らの居場所がない、役割もない」といった言葉が出てきた。日本社会の何がそんなに彼らを追い詰めるのかを知りたくなって、クルド人の若者たちを取材するテレビ番組を企画したのが始まりです。
 ただ、そのときは「トルコ国籍のクルド人」では日本でほとんど知られていないし、ニュースバリューがないと判断されたようで、企画が通らなかったんです。それで先に、シリアから逃げてきたクルド人家族を取材した番組を制作しました。それでも「ISと戦いたい」という若者の言葉はずっと僕の中から離れなくて、会社の自主制作という形で短編映画を作ることにした。それが今公開している『東京クルド』のもとになっています。

──「日本にやってきた外国人」の物語ですが、監督自身も外国で暮らした経験がおありだそうですね。

日向 小学校の1年生から4年間、父親の仕事の関係でロンドンにいました。最初の1年は現地の小学校に通ったのですが、英語も話せないし、同じ学校にアジア人が3人くらいしかいなかったので、「自分はよそから来てる部外者だ」と強く感じて。そういう思いも後に、故郷を離れて難民になった人たちに関心を抱く背景になったように思います。
 その意味ではもう一つ、専門学校時代にバックパックの旅で訪れたスペイン・バスク地方のことも忘れられません。フランスとの国境近くのこの地域には、独自の言葉や国旗を持っていて、「自分たちはスペイン人ではない、バスク人だ」と考える人たちが住んでいます。独立運動も根強く続いていて、スペインの中でもやや特殊な目で見られていたし、人々と話していてもすごく強固な「バスク人」としてのアイデンティティを感じました。普段、日本で暮らしていると「自分は日本人だ」と意識することなんてほとんどありませんから、その強いアイデンティティに憧れのような思いも抱きましたね。国ってなんだろう、独立ってなんだろうといったことを、そこからずっと考えるようになった気がします。
 

「自分は、必要ともされていないし価値がない」

──さて、『東京クルド』では、ともに幼いころに家族と来日した2人のクルド人の若者、18歳のオザンさんと19歳のラマザンさんの物語が中心に描かれています。この2人を主人公にしたいと考えたのは、どうしてですか。

日向 オザンとは日本クルド文化協会の人を通じて会ったのですが、やんちゃな部分と壊れそうなくらい繊細な部分とが同居していて、とにかく魅力的だと感じました。初対面のときから、将来の不安や恋愛についてなど、すごく素直にいろんなことを話してくれましたね。
 ラマザンは、2015年トルコ総選挙在外投票の日、駐日トルコ大使館前でトルコ人とトルコ国籍のクルド人との衝突が起こった後に、クルド人たちが開いた記者会見に出席しているのを見たのが最初です。若いのに、たくさんの日本人の記者たちに囲まれても、自分が納得のいかないことについてはしっかりと、毅然と主張する姿がすごく印象的でした。その後、オザンに聞いたら「ラマザンとはトルコにいたときからの幼なじみだ」ということで、2人を主に取材していくことになったんです。
 最初は「国とは何か」「クルドのアイデンティティとは」といった大きなテーマから取材を思い立ったわけですけど、最終的に2人にカメラを向けようと思ったのは、2人が人間として非常に魅力的だったということが大きいですね。

『東京クルド』より(C)2021 DOCUMENTARY JAPAN INC.

──難民認定を受けられず「非正規滞在者」である2人は、「仮放免許可」を得て入管施設への収容こそ免れているものの、就労はできず、いつ収容されるかわからない状況にあります。そんな中でも、ラマザンさんは語学を学んで通訳者を目指そうとするけれど、「(仮放免中の人の受け入れは)前例がない」という理由で専門学校への入学を拒否され、タレントへの夢を抱くオザンさんも、仮放免のルールで「就労できない」がために芸能事務所との契約を断られる。そういう、見ているだけでもつらい場面がたくさんありましたが、撮影していてどう感じられましたか。

日向 多分、多くの人がそうだと思うんですけど、10代後半ってちょうど、自分の能力はさておいて、「何者かになれるんじゃないか」「こんな未来を生きていきたい」と想像してわくわくできる年代じゃないですか。その彼らの夢が潰えてしまう瞬間を目の前で見るのはものすごくつらかったし、なんて残酷なんだろうと思いました。たった18歳の子が「自分はダニ以下だ」「必要ともされてないし価値がない」(オザンさんの言葉)とまで口にするわけで、どうしたらいいんだろうと、撮影しながらもつらかったです。
 ラマザンが在留特別許可(※)を求めて裁判をするために、弁護士と会う場面がありますよね。ラマザンは苦労の末、もともとの希望分野とは違うもののある学校に入学できた後で、その学校の研修旅行に参加してアメリカに行きたい、という話をします。「(外国に行くのが)夢だったんだ」と。でも結局、「それまでに裁判が終わることはないだろうから無理」だと弁護士に言われ、すぐに「わかりました、大丈夫です」と答えるんですよね。彼はいったい、これまで何度この言葉を言い続けてきたんだろうと、自分の映画ながらあの場面を見るたびに胸が苦しくなります。そういえば、彼は僕の前でもよく「大丈夫だから」って言っていました。

※在留特別許可:在留資格を持たない外国人に対し、法務大臣が様々な事情を考慮して例外的に日本での在留を認める許可のこと

──自分のせいではない、理不尽なことに遭ったときに「あきらめる」ということに慣れてしまっているのでしょうか。

日向 彼自身は「慣れたくない」と思っていると思います。それでも、そうならざるを得ないところがありますよね。 

──そうした「夢が潰えてしまう」ような場面に出合ったときに、監督から何か言葉をかけたことはありますか。

日向 不用意に「頑張れ」みたいなことは言えないですよね。かける言葉も見つからなくて、彼らのほうが何か言葉を発するまで、ただずっとカメラを向けているしかできなかったことのほうが多いです。
 一度、ラマザンがある専門学校に入学を拒否されたときに、電話で話をしたんです。そのときは入学拒否というか、面接さえ受けさせてもらえなくて、ラマザンも「もう、あきらめようかな」という感じになっていた。それで僕がつい「希望は持ち続けられないのか」と言葉をかけたら、「いや、受け入れてくれないのはそっちじゃないですか」と言われてしまって。「そうだよね、ごめん」と謝るしかありませんでした。

「他の国に行け」の言葉は、彼らにとっての「日常」

──ラマザンさんもオザンさんも、幼い子どものときに家族に連れられて日本にやってきています。その点で、自ら日本に来ることを選んだ親世代と異なるところはあるのでしょうか。

日向 親世代は自分の意志で逃げてきただけに、どんな状況でも生き抜いてやるという覚悟を持っていると感じるし、意識して日本社会になじんでいこうとする人も多いです。映画にも出てくるラマザンの叔父のメメットさんは、東日本大震災の後にボランティア活動に参加したりもしていました。
 一方子どもたちには、そうした感覚はあまりないと思います。第一言語はもう日本語だし、日本の子どもたちと一緒に学校にも通っていて、当然この先も周りと同じようにいけるだろうと考えている場合が多い。それが、進学、就職を考える時期になったときに、就職はできない、進学も難しいというので「あ、自分は違うんだ」と突然気づかされるんですよね。

『東京クルド』より(C)2021 DOCUMENTARY JAPAN INC.

──つらいですね……。オザンさんについては、映画の中で父親との確執も描かれていましたね。

日向 お互いを思い合っているからこそ、確執が生まれているという部分がかなり大きい気がします。お父さんは当たり前だけど息子に幸せになってほしい、望む職業に就いてほしいと願っているし、何か自分にできることがあれば言ってほしいと思っている。ところがオザンにしてみれば、「いやいや、言ったところでお父さんも在留資格がないんだし、何もできないでしょ……」ということになるわけです。
 だから「何をやりたいんだ」とお父さんが聞いても、オザンは答えないし、それに対してお父さんは「なんで言ってくれないんだ」と悲しむ。そうして、思い合っているのに相手のために何もできないということで、どんどん溝が深まっていく。そこも残酷だなと感じました。

──また、ラマザンさんやオザンさんが仮放免許可の延長手続きのために入管を訪れたとき、職員からぶつけられる言葉も衝撃的でした。「帰ればいいんだよ」とか「他の国行ってよ」とか……。

日向 僕ももちろん、「こんなことまで言うのか」とショックではあったのですが、見てくれた人たちの間であの言葉が注目されるというのは、ちょっと予想外でもありました。というのは、オザンは月1回、ラマザンは2カ月に1回、延長手続きに行かなくてはならなかったんです。そこでああいう言葉をかけられるのは、彼らにとってはある種の「日常」なんですね。
 あの職員の音声は、僕がオザンに頼んで録音してもらったのですが、テレビや映画で使用するにあたって「使っても大丈夫?」と何度も確認しています。そのたびに彼は、「いいですよ」と言いつつ、毎回のようにこう付け加えるんです。「あんなもんじゃないですよ。あんなの、優しいほうです」。もっと口汚く怒鳴られたり、罵られたりすることもよくある、というんですね。だから僕自身もあの場面は、特別に「ひどい」場面というよりは、彼らの「日常」として描いたつもりなんです。

入管問題への関心を、一過性のものにはしたくない

──2人の取材を始められてから5年以上が経っていますが、入管行政の変化は感じますか。

日向 僕がラマザンやオザンから話を聞いている限りでは、非正規滞在者に対して厳しくなった、「早く国に帰そう」という方針がさらに強まったというのは、肌感覚としてありますね。「早く帰ってほしい」「無理矢理帰されること(強制送還)も覚悟しておいてください」などと言われることも、回を重ねるごとに増えていった気がします。

『東京クルド』より(C)2021 DOCUMENTARY JAPAN INC.

──今年春には国会で、難民申請をしていても、3回目以降の申請なら強制送還できるようにする、退去命令に従わない人に罰則を設けるなどの「入管法改正案」が審議されていました。反対の世論が高まって最終的には成立は見送られましたが、どうご覧になっていましたか。

日向 「(入管施設での)長期収容を解消する」のはいいとして、そのために罰則を設けるというのは、僕の予想をはるかに超えた内容でした。怒りというよりも、心がへし折られるような感じがしましたね。僕がこうして映画や番組を作って、彼らの存在を広く知ってもらうことで、少しでも制度がいい方向に変わるようなこともあるかもしれない、そのかすかな可能性を信じて取材を続けてきたようなところもあったので。
 ラマザンとも国会での審議中に会って話す機会があったのですが、彼も彼のお父さんも、すでに何度も難民申請を繰り返しているんです。だから「この法案が通ったら、すぐ帰されてしまうかもしれない、毎日不安だ」と言っていました。見送りになったことで安心はしましたけど、もともとひどい内容の法律なのが、それ以上に悪くならなかったというので喜んでいいのか、とも思います。

──3月には名古屋の入管施設で収容中だったスリランカ人女性が亡くなるという事件もあり、入管行政への関心は、これまでになく高まったように思います。

日向 あれは本当に痛ましい事件だったと思いますが、一方で彼女の前にも何人も入管施設で命を落とした人たちがいるんだということを知ってほしい、とも感じます。入管法改正案のことも含め、「そんなことがあったね」「あの女の人は気の毒だったね」みたいに、「終わったこと」のような扱いはされてほしくない。せっかく関心が高まったのだから、一過性のものにせず、注目をし続けてほしいという思いがあります。

──その思いもあっての「緊急公開」ですね。

日向 映画が完成したのは今年4月で、本来なら早くて今年終わりくらいの公開になるはずでした。配給会社さんが「関心が高まっているうちに」と緊急公開を提案してくれ、劇場の皆さんもそれを受け入れてくれた。それはすごくうれしかったです。

──特にこんな人たちに見てほしい、というのはありますか。

日向 この映画は、入管法や難民認定などの制度ももちろんテーマの一つにはなっているのですが、「入管を糾弾してやろう」と考えて作ったわけではありません。オザンとラマザンというとても魅力的な2人のクルド人青年の、10代後半の一番キラキラした時間を見てほしいという思いもすごくあります。その意味では、ぜひ若い世代に見てもらいたいですね。もちろん、できるだけ多くの人に見てほしいというのが一番ですが(笑)。

──最後に、今後扱っていきたいテーマについて聞かせてください。

日向 一番最近作った番組が、お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔さんを追ったドキュメンタリーで、今後長編化もしたいと考えています。
 『東京クルド』とはテーマがまったく違うと思われるかもしれませんが、通底しているのは個人と、国や民族、会社といった「大きな主語」との関係性という問題なんです。村本さんを撮りたいと思ったのは、テレビにはそんなに出なくなっているのに、あれだけネット上などで叩かれる人って何なんだろうと思ったのがきっかけ。彼の姿を通じて、個人と日本社会の「空気」、あるいはテレビという大きなメディアの関係性を探ってみたいと思ったんです。
 クルドの若者たちにしても、オザンやラマザンのように個人が個人として生きていけない、夢をつかみ取れないという現実があるときに、個人が民族という大きな主語に飲み込まれてしまいがちになる。それは、クルドの人々とは敵対関係にあるISに身を投じる人たちにもいえることではないかと思います。
 そうした「大きな主語」と個人との対峙の仕方、関係性のあり方というテーマは、今後もずっと追っていきたいと考えています。

(取材・構成 仲藤里美)

『東京クルド』

渋谷 シアター・イメージーフォーラム、大阪 第七藝術劇場などで公開中、他全国順次公開
→公式サイト

ひゅうが・ふみあり●1980年東京都生まれ。2006年、ドキュメンタリージャパンに参加。東部紛争下のウクライナで徴兵制度に葛藤する若者たちを追った「銃は取るべきか」(16・NHK BS1)や在日シリア人難民の家族を1年間記録した「となりのシリア人」(16・日本テレビ)を制作。本作『東京クルド』(21)の短編版『TOKYO KURDS/東京クルド』(17・20分)で、Tokyo Docsショートドキュメンタリー・ショーケース(17)優秀賞、Hot Docsカナダ国際ドキュメンタリー映画祭(18)の正式招待作品に選出。また、ドホーク国際映画祭(18)にて上映、DMZ国際ドキュメンタリー映画祭(19)コンペティション部門にノミネートされた。テレビ版「TOKYO KURDS/東京クルド」(18・テレビ朝日・30分)は、ギャラクシー賞(18)選奨、ATP賞テレビグランプリ(18)奨励賞。近作に、「村本大輔はなぜテレビから消えたのか?」(21・BS12)。