「鼻をつまんで投票する」横浜市長選を巡って(田端薫)

 投票権を得てから半世紀、国政選挙から地元の区議選まで、棄権したことはまずない。確たる支持政党はないが、だれに入れようか迷うことは少なく、野党系候補に投票してきた。そのうち当選したのは1人か2人。わが清き1票は、はかなく死票となって、闇に消えるのがならいだったが、それでも投票には行った。しっとりした樹脂製の投票用紙に2Bとか3Bの鉛筆で、間違えないようただひとり意中の人の名前を、一筆入魂の思いで書く。その緊張感と投じた後の晴れ晴れしさは、他では味わえない時間だった。
 ところが今回ばかりは勝手が違う。入れたい人がいない。ずっと悩んで迷って、もう棄権するしかないか……。4日後に迫った横浜市長選挙のことである。

 8月22日の横浜市長選挙の最大の争点は、山下埠頭へのカジノを含むIR誘致の是非にある。現職の林文子市長は、前回の2017年の市長選では「カジノについては白紙」として3選を果たしたが、19年8月に突如誘致を正式表明、今回はカジノ推進を前面に掲げて4選に挑む構えだ。
 それに対して菅政権の閣僚の座を捨てて突如参戦してきたのが、自民党の小此木八郎氏。国会ではIRカジノについて「我が国が観光先進国となる上で重要な取り組みである」とまで答弁していたのに、「横浜へのIR誘致は取りやめ」と含みを持たせた言い方ながら、カジノ反対派候補として出馬、一気に先頭に躍り出た。
 実は小此木氏は、菅総理が秘書を務めていた小此木彦三郎元建設相の息子で、横浜が地元の菅首相とは昵懇の仲。当初は戸惑いを装っていた首相も、小此木支持を明らかにしたことで、自民党横浜市連は自主投票を決定、小此木対林の分裂選挙となった。
 一方、立憲民主党は地元・横浜市立大医学部の元教授・山中竹春氏を擁立。専門のデータサイエンスを生かしたコロナ対策とカジノ反対を旗印に、共産党、社民党、さらには反カジノの市民運動グループの支援も取り付けた。
 そのほかに元神奈川県知事の松沢成文氏、元長野県知事田中康夫氏など計8人が立候補、いったいどうなってるのという混戦ぶりである。

 今回の市長選が横浜市のみならず全国の注目を集めているのは、小此木氏が勝てば菅政権は安泰、負ければ自民党内で菅おろしが始まるやもしれず、勝敗の行方が首相の政権運営、さらには衆院選に影響を与えるのは必定、まさに天下分け目の横浜の戦いなのである。

 私は当然のことながらカジノ反対で、一日も早く菅政権を終わらせなければと思っているので、野党がおす山中氏に投票するのが一番順当なはずである。
 ところがところが、この人、なんだかうさんくさい。まず最初にひっかかったのがイソジン疑惑。昨年話題になった、コロナにうがい薬のイソジンが効くという吉村大阪府知事の会見の際、示されたフリップに、根拠となるデータ解析を担当した医療統計専門家として山中氏の名前があったのだ。この件に関して山中氏は関与を否定しているが、なんだかもやもやする。
 そのほかにもパワハラ疑惑とか研究実績への疑問とか、週刊誌やネット上にスキャンダラスな話題がわらわらとでてきて興ざめする一方。山中氏は逐一否定しているようだが、噂は消えず、なんだか“脇の甘い人”という印象がぬぐえない。ほかの政策も通り一遍で、この人に市政を任せようという気持ちに、どうしてもなれない。
 気を取り直し、選挙公報をじっくり読んでみると、田中康夫氏の「12の取り組み」に目がとまった。コロナ対策としては「アクリル板完備などでヨコハマ版“孤独のグルメ”徹底、脱・飲食店いじめ」「温かい学校給食実現」「カジノは地元経済に寄与せず」など、横浜市の実情をよく分析した上で、長野県知事の経験を生かした実効性のある提言をしていて、合点がいく。
 けれど私の世代にとっては『なんとなく、クリスタル』の元祖チャラ男の印象が強く、彼の名前を書く勇気が持てない。

 さらに私を混乱させたのが郷原信郎弁護士の「落選運動」だ。郷原氏は当初は市長選に自ら候補していたのだが途中で断念、小此木、山中両候補を落選させることで「菅支配の完成とパワハラ市長を阻止する」というネガティブキャンペーンを始めた。郷原氏をリベラル派の論客として注目してきただけに、執拗な山中批判にますます気が滅入った。

 もう、誰に入れたらいいのか分からない。棄権? 白票? いっそ「宇都宮けんじ」とか「山本太郎」とか、勝手に書いてみようかしら。でもそれでは自己満足にすぎない。
 選挙は人気投票ではない。「入れたい人がいないから投票に行かない」では自民党を利するだけ。無党派層の「欲しいものがないから買わない」という消費者目線が、今日の自民党長期政権を支えてきたことは明らかだ。
 選挙は自分の好き嫌いだけでなく、大局をみて戦略的に考える。多少気にくわなくても「鼻をつまんで」全体の情勢に資する方向で投票する──法政大学の山口二郎さんが常々おっしゃっていることを思い出し、頭を冷やして考えた。
 小此木氏と山中氏の接戦と報じられている今回は、なんとしてでも小此木氏を落とすことが第一。小此木氏が負けて、菅政権を揺さぶることが出来るなら、横浜市民としてこんな光栄なことはない。で、結論。今回は鼻をつまみ、目を閉じて、耳をふさぎ、息を止めて山中候補に投じよう。山中氏が市長になって、めちゃくちゃなことやったら、リコールすればいい。

 今回の選挙では誰ひとり当選に必要な法定得票数に届く候補がおらず、再選挙になるかも、という予想もある。そうなったらまた考え直そう。私が50年間大切にしてきた1票、もっとすがすがしく誇らしい気持ちで投じたいから。

(田端薫)