永井幸寿さんに聞いた(その2):緊急事態条項は、「国民を守る」ための定めではない。大きすぎる濫用の危険

全国で、新型コロナウイルスの感染拡大が続いています。最初に国内での感染が報告されてから1年半あまり。ここまでの間に、もっと効果的な策を打つことはできなかったのかと感じる一方、政治家からは「憲法に緊急事態条項がないことが、対応のスピードを鈍らせている」といった声も聞こえてきます。菅義偉首相も、「コロナ禍を機に緊急事態への備えに対する関心が高まっている」などと発言したと報じられました。
緊急事態条項とは、災害などの「緊急事態」において一時的に政府に権限を集中させる規定のことですが、果たして本当にそれが、有効なコロナ対応に必要なのでしょうか。そして、コロナ以外の「想定外の事態」への対処を考えたときには──? 阪神・淡路大震災以降、被災者支援に長く携わり、緊急事態条項に関するご著書も多い、弁護士の永井幸寿さんに詳しく解説いただきました。  >(その1)はこちら

「想定外の事態」に備えて緊急事態条項が必要?

──前回、緊急事態条項がないから適切なコロナ対応ができなかったというのはまったくの誤りだというお話をお聞きしました。では、それ以外の場合はどうなのでしょうか? 他の不測の事態──自然災害や、外部からの武力攻撃などに備えるために必要なのでは? という意見もありそうです。

永井 東日本大震災の後にも、「憲法に緊急事態条項がなかったから私権制限ができず、倒壊家屋の撤去ができないなどの問題が起こった」などと言う人がいましたね。しかし、これも完全なデマです。必要な措置は、災害対策基本法などの法律で定められていますし、実際にそれに基づいて救出や復旧の作業が行われました。
 武力攻撃に対しても、有事関連法や国民保護法などで、国民の私権制限についてはすでに細かく定められています。私はこれらの法律制定には反対の立場でしたが、「だから緊急事態条項が必要」ということにならないのは確かです。

──それ以外の「想定外の事態」についてはどうでしょう。基本的には国会で法律をつくって対処するとしても、その「国会で法律をつくる」のを待てないようなケースもあるのではないでしょうか。

永井 まず押さえておきたいのは、国会が閉会中であっても、必要があれば内閣は臨時会召集の決定をすることができるということです(憲法53条)。さらに、衆議院が解散中だったとしても、憲法54条2項で「参議院の緊急集会を求めることができる」と定められている。過去にこの緊急集会は2回開かれたことがありますが、1回は請求から5日、2回目は4日で召集されましたから、緊急時にも十分に対応が可能です。
 「それでも遅すぎるような想定外のことが起こったらどうするんだ」と言う人もいるかもしれません。しかし、「想定外」というのは、どこまで行っても切りがありません。想定外の事態を考えて制度をつくっても、今度はそれは「想定内」だということになるので、さらにその先の想定外の事態を考えて制度をつくらなくてはならなくなる。結果として、どんどん権利の制限が強まっていき、人権が保障されなくなる危険性が高まってしまうのです。
 これは災害被災者の支援などにずっと取り組んできた経験から思うことですが、想定外のことというのは必ず起きます。ただ、平時からきちんと準備していれば、そのほとんどにはなんとか対応できるんですね。もちろん対応を誤ってしまうこともありますが、そのときは誤った原因を考えて、より有効な方法を採用していけばいい。想定外ばかりを考えるよりも、過去に実際に起こったことを検証し、過ちから学んで対策を取るほうが、ずっと大事だし確実なんです。問題にうまく対処できないのは、「緊急事態条項がない」といったシステムの問題ではなく、政治における姿勢の問題ではないでしょうか。

──それでも、「有効な策をとるには緊急事態条項が必要」と言われてしまうと、なんとなく「そうなんだ」と思ってしまう人も多いのではないでしょうか。

 特に今は、いろんな不安が社会を覆っていますよね。コロナに対する不安はもちろん、医療に対する不安、雇用に対する不安、DVに対する不安、教育に対する不安……。それに対して政府は無策で、何も解決する兆しが見えない。そういう不安の中にいると、緊急事態条項が問題を一挙に解決してくれる「魔法の杖」のように見えてしまうのだと思います。
 でも、これは明らかに錯覚です。医療の問題は医療の問題として、雇用の問題は雇用の問題として、それぞれについて地道に解決していくしかありません。緊急事態条項は、魔法の杖でも伝家の宝刀でもないのです。

日本国憲法に緊急事態条項が設けられていない理由

──もう一つ、緊急事態条項の必要性が主張される際によく言われるのが、「海外の憲法にはみんな緊急事態条項がある、ないのは日本国憲法だけ」という話です。これについてはどうでしょうか。

永井 たしかに、多数の国が憲法で国家緊急権を定めています。ただ、その内容やあり方は国によってさまざま。たとえば、米英独仏四カ国を見てみても、フランスやイギリス、アメリカでは憲法の緊急事態条項が想定しているのは戦争や内乱のみで、災害やテロに対しては個別の法律で対処すると定められています。ドイツだけが災害にも緊急事態条項を適用するとしていますが、発動の要件が厳しく、これまで一度も発動されたことはありません。
 海外と比較することに意味がないとは言いませんが、国家緊急権や緊急事態条項は、各国の歴史や社会構造、法体系とも密接に関連するもの。単純に「多数の国が持っているから日本も持つべきだ」とは言えないのは確かだと思います。

──では逆に、なぜ日本国憲法には緊急事態条項、国家緊急権に関する定めが設けられなかったのでしょうか。

永井 その答えのヒントが、終戦後まもない1946年に、新憲法案について審議をしていた衆議院の組織「帝国憲法改正案委員会」における、憲法担当国務大臣・金森徳次郎の答弁の中にあります。
 彼は、まずこう述べています。「民主政治を徹底させて、国民の権利を十分擁護するためには、非常事態に政府の一存において行う処置は、極力防止しなければならない」。民主主義を守るためには、国家緊急権による政府の一存の処置はなるべく設けてはいけないということです。
 次に「非常という言葉を口実に政府の自由判断を大幅に残しておくと、どのような精緻な憲法でも破壊される可能性がある」。非常という言葉を口実にして政府の権力を大きく残すと、憲法で国家権力を縛るという立憲主義を守ることができなくなる、憲法そのものが破壊されてしまうというのです。
 そして「特殊の必要があれば、臨時国会を召集し、衆議院が解散中であれば参議院の緊急集会を召集して対処できる」。これはすでにご説明したとおりです。
 さらに「特殊な事態には、平時から法令等の制定によって濫用されない形で完備しておくことができる」。これは非常に重要です。緊急事態条項を設けてしまうと、濫用される恐れがある。だから非常事態には、国家緊急権ではなく、平時から厳重な要件で整備した法律で対処しましょうというんですね。

──「濫用の危険」ですね。

永井 よく引用される一般的な定義では、国家緊急権とは〈戦争・内乱・恐慌ないし大規模な自然災害など、平時の統治機構をもってしては対処できない非常事態において、国家権力が、国家の存立を維持するために、立憲的な憲法秩序(人権の保障と権力分立)を一時停止して、非常措置をとる権限〉とされています。そもそも、国民を守るための制度ではないというところにも注意が必要です。
 人には生まれながらに人権があり、その人権を守り、実現するために国家権力が存在します。しかし、その権力があまりに強大になると、かえって人権を侵害してしまう恐れがある。どんな立派な人でも、いったん権力を握ってしまったら濫用したがるからです。だから権力分立──権力を行政、立法、司法の三つに分割して、お互いに牽制し合う仕組みがつくられたわけです。
 先の定義に従えば、国家緊急権というのはこの権力分立の仕組み、権利保障のために権力を憲法で縛る立憲主義を停止させてしまう制度なんですね。ですから当然、権力濫用の危険が非常に大きくなります。

「緊急事態」だと宣言すれば、際限なく国家緊急権を使える

──自民党改憲案における緊急事態条項もそうでしょうか。

永井 もちろんです。たとえば、12年に出された「日本国憲法改正草案」では、緊急事態中に内閣は「法律と同一の効力を有する政令」を制定でき、「財政上必要な支出」ができるとしています(99条)。つまり、国会での審議なしに内閣は事実上の法律をつくることができ、予算の使い道も勝手に決められる。しかも、その「政令」の内容には何の制限もありません。国民の人権を大幅に制限するような法律をつくったり、無用な政策に莫大な予算を投入したりすることも、内閣の一存で可能になってしまうのです。「事後に国会の承認を得なければならない」とは書いてあるものの、「いつまでに」という期限の定めはないし、「承認されなかった場合に効力を失う」とは書かれていないので、何の歯止めにもなりません。首相が「全責任は私にあります」とでも言って、「政治的責任」のみで決着としてしまえるんですね。
 しかも、緊急事態を宣言する要件として、外部からの武力攻撃、大規模な自然災害などの他に「その他の法律で定める緊急事態」が含まれている(98条)。法律さえつくれば、内閣が勝手に「今は緊急事態だ」と言い張ることが可能になるんです。
 さらに、緊急事態の期間は原則100日以内で、100日を超える場合には事前に国会の承認を得なくてはならないと書かれている(98条の3)。一見歯止めがあるようですが、100日も続く「緊急事態」なんてあり得ません。先ほどからお話ししているように、それだけ時間があれば臨時国会でも参院の緊急集会でも召集できるはずです。18年に出された「憲法改正に関する議論の状況について(条文イメージ・たたき台素案)」では、この「100日」の定めさえ削除されています。

──一度「緊急事態」だと宣言すれば、そのまま際限なく国家緊急権を使い続けることができてしまう……。

永井 そのとおりです。私が緊急事態条項の創設に反対するのは、先にご説明したように「そもそも不要だから」というのももちろんあるのですが、このように「濫用の危険性が高いから」という理由が大きいんです。

──「緊急事態条項をつくるべき」という政治家も、それをわかっていて主張しているのでしょうか。

永井 そう思います。与党政治家たちが口を揃えて「緊急事態条項が必要だ」と言うのは、国家緊急権を濫用したいからです。濫用しないのなら、こんなもの不要なんですから。
 そして、最後にもう一つお話ししておきたいことがあります。日本国憲法に緊急事態条項がないのは、「日本が戦争をしない国だから」でもあるということです。

──どういうことでしょう。

永井 先ほど、海外でも憲法の緊急事態条項は戦争や騒乱のみを対象にしている国があるというお話をしましたが、本来的に緊急事態条項、国家緊急権というのは、戦争を想定して設けられるものなんです。なぜなら、戦争をするとなれば、何を決めるにも早く結論を出す必要がある。だから時間と手間のかかる国会での審議は飛ばしたいわけです。そして、戦争に勝つためには人的物的資源を政府に集中させて、どんどん投入しなくてはならない。人権を大幅に制約して、国民が「お国」のために命を捧げてくれるようにしなければならないんです。

──かつての日本の姿ですね。

永井 言うなれば、緊急事態条項のように、政府に権力を集中させる仕組みがなければ戦争はできません。戦争と緊急事態条項は不可分の、セットの関係なんです。その意味では、9条で「戦争をしない」と宣言している日本の憲法に緊急事態条項が設けられていないのは、むしろ当然のことともいえるのではないでしょうか。

(構成・仲藤里美)

ながい・こうじゅ●1955年東京都生まれ。早稲田大学法学部卒。弁護士(兵庫県弁護士会)。元日本弁護士連合会東日本大震災・原子力発電所事故等対策本部副本部長、日本弁護士連合会災害復興支援委員会元委員長、日本災害復興学会監事、NPO法人災害看護支援機構監事などを務める。2017年には、衆議院憲法審査会で「緊急事態条項」創設について参考人として反対の意見陳述を行った。『憲法に緊急事態条項は必要か』(岩波ブックレット)、『よくわかる緊急事態条項Q&A――いる? いらない? 憲法9条改正よりあぶない!?』(明石書店)など著書多数。

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